慶応大学名誉教授の井村喜代子氏が『日本の科学者』4月号に「世界的金融危機と現代資本主義」という論文を書かれている。その中で、井村氏は、新しい投機的金融活動の内実を、理論的に「実体経済から独立した、金融・金融収益のための金融活動」「金融操作から生み出された、実態的な富の裏づけのない『虚』の金融取引の膨張」としてとらえる立場を強調しておられる。
ここで「『虚』の金融取引の膨張」と言われているのは、ただたんに株価の高騰によって時価総額が膨れあがったとしても、その株式の所有者全員がその価格で売ろうとするとたちまち株価は下落してしまい、全ての株主が高騰した株価でのキャピタルゲインを取得できるわけではない ((井村喜代子「『現代資本主義の変質』とその後の『新局面』」、『経済』2007年1月号、30-31ページ、参照))、という意味で「虚」というのにとどまらず、「『虚』の金融膨張から生じた売買差益」を含む「『虚』の金融収益」、さらにその「『虚』の金融収益への将来期待が確実な裏付けのないままに膨れあがっていき、そのもとで金融取引それ自体の自己増殖、『虚』の自己増殖がすすみ、『虚』の金融収益が大きく膨張」 ((『日本の科学者』2009年4月号掲載論文、8ページ))したもの、とされる。
井村氏は、このような「投機的金融活動」を現代資本主義の「段階」(「新局面」)としてとらえようと言われるのである ((前出『経済』2007年1月号論文で井村氏は、第2次世界大戦後の世界の資本主義を「国際的協調体制のもとでの国家の大規模かつ恒常的な介入」としてとらえ、それを「資本主義の新しい段階=現代資本主義」と規定されたうえで、70年代以降の「変質」を「現代資本主義内における区分」としてとらえ、その「変質」後から現在までを「新局面」として規定すると述べておられる。))。
井村氏は、このような「現代資本主義の変質」は、<1>金・ドル交換の停止、初期IMF体制の崩壊と、それに替わった変動相場制とアメリカ主導の金融面での規制緩和=金融の自由化、<2>先進諸国における持続的高度成長・高雇用の破綻と、それに対して現れたアメリカ主導の新自由主義=規制緩和・競争市場原理の世界的普及、という2つの柱でとらえておられる ((前出『経済』2007年1月号論文、21ページ。井村氏は、これら2つは、<2>が<1>よりもかなり遅れた現れたために、別個のものとして取り扱われるが、「両者の理念は同じ」であり「両者を関連づけ統合されたものとして把握することが肝要である」と指摘されている。))。
そして、金・ドル交換停止について、「アメリカの衰退・支配力の弱さだけを見ることは大きな誤り」として、次のように指摘されているのが注目される。
アメリカは……金・ドル交換の制約を取り除くことによって、もはや金準備、国際収支問題にとらわれないで通貨膨張・信用膨張や財政赤字を継続できるようにするとともに、これまで金・ドル交換のために余儀なくされていた対外投融資規制を撤廃し、国内外の金融自由化によって国際的金融活動・国際t系資本移動の舞台をいっきょに膨大化してアメリカ金融証券市場の活性化・アメリカ金融派遣の強化をはかろうとしたのである。 ((同前、23ページ。))
『経済』2008年6月号の論文「サブプライムローン問題が示すもの」では、同じことを指摘した上で、括弧にくくって、「それまでは米国系多国籍企業・多国籍銀行は規制の無いユーロ市場(旧)だけで活動しており、米国の金融業・独占企業は強い不満をもっていた」と説明されている ((『経済』2008年6月号、17ページ。))。
その結果、アメリカが毎年の巨額の対外赤字でドルを流出させ、黒字諸国にたまっていった余剰資金は、「その多くは実体経済で有利な投資先」がなく、「為替相場や証券価格の変動差益(投機的利益)や金利差額を求めて世界中を駆け巡る」ようになった ((同前、同ページ。))。黒字国でのドル資金は、その国の通貨膨張・信用創造を容易にして、投機的資金供給を拡大させる。さらに、アメリカ自身が、ドルの垂れ流しを続け、また財政赤字への歯止めが無くなったために、ますます投機的な資金が膨れあがった。
こうして、「実体経済から離れた金融活動の膨大化・投機化」がすすむ。これが、80年代以降の金融工学的手法を駆使した投機的金融活動を生み出した。その結果が、今回のサブプライムローン証券化の破綻による金融危機・経済混乱ということになるという訳だ。
井村氏は、「実体経済からの金融の独立」の意味を、こうも説明されている。
本来、資本主義経済では金融は実体経済の活動のためのものであった。金融の役割は、実体経済の活動から生じた企業と家計の蓄蔵貨幣を実体経済の活動に融通し、実体経済の需要に応じて信用創造(預金創造)を行うことであった。
しかし、いまでは金融は「実体経済から独立し」、金融それ自体から利益を獲得するための金融活動が世界的に展開し、実体経済よりもはるかに高い伸びを続けている。 ((同前、26ページ。))
井村氏は、『経済』2008年6月号では、このような「実体経済から独立した金融活動」の膨張の結果、「実体経済の状況とは直接関係のない諸要因によって通貨危機、株価暴落、証券化商品をめぐる金融危機が惹起される危険が強まり、これらが実体経済をも巻き込んで経済全体を大混乱に陥れる危険が生み出されている」 ((同前、28ページ。))と指摘されていたが、リーマン・ショックを経て、最新の『日本の科学者』論文では、「今回の世界的金融危機は、世界が米国の世界戦略のもとで、米国の生み出した『実体経済から独立した投機的金融活動』によって翻弄されてきたことを示している」と指摘されている ((前出『日本の科学者』論文、9ページ。))。
今回のサブプライムローン問題に端を発した金融危機は、実体経済の状況とは無関係に金融面だけで起こった混乱ではない。井村氏もそんなことを主張しておられる訳ではない ((『経済』2008年6月号論文では、「01年ITバブル崩壊に対し政府・FRBが景気政策の柱を住宅需要拡大に求めたことによって住宅ブームが生じた」と指摘されている。同論文、19ページ。))。しかし、では、かつてのような過剰生産恐慌となにも変わらないのかといえば、そうではないことも明らかで、そこに、考えるべき「現代資本主義の変質」という問題があるというのが井村氏の提起だろう ((井村氏は、『経済』2007年1月号論文で、次のように指摘されている。
「現代資本主義は先行き不透明で不安定きわまりない事態に陥っている。これまで経験したことのない新しい事態である。/マルクス経済学ではなぜか、資本主義の発展段階、〔第2次世界〕大戦後の現代資本主義の推移・変質にかんする議論が姿を消しているが、いまこそ議論の復活が求められているのではなかろうか」(同論文、18ページ)))。
マルクスは、『資本論』第3部で、株式会社の発展から「ぺてんと詐欺の全体制」が再生産されると指摘した。
それは、新たな金融貴族を、企画屋たち、創業屋たち、単なる名目だけの重役たちの姿をとった新種の寄生虫一族を再生産する。すなわち、会社の創立、株式発行、株式取引にかんするぺてんと詐欺の全体制を再生産する。これは、私的所有の統制を欠く私的生産である。 ((『資本論』第3部、第27章「資本主義的生産における信用の役割」、新日本出版社、上製版IIIa、760ページ、新書版第10分冊、760ページ。))
これを、これまで僕は、ただたんに株取引の投機性、虚偽性を指摘したものだとしか読んでいなかったが、先の井村氏の提起を踏まえて考えてみると、金融活動が実体経済から独立して投機的な性格を強めることを問題にしたものと読むべきだろう。「私的所有の統制を欠く私的生産である」という指摘は、そういう意味なのではないだろうか。
なんにせよ、『経済』誌に井村氏が書かれてきた論文についても、今回、『日本の科学者』の論文を読んで、初めて、何を言っておられるのか、分かってきたような体たらく。もう一度、井村氏の『現代日本経済論<新版>』(有斐閣、2000年)や『日本経済―混乱のただ中で』(勁草書房、2005年)を勉強しなおさなければ…。(^_^;)