今朝の「産経新聞」に『超訳「資本論」』の紹介がでていました。面白いと思ったのは、その中で紹介されていた、担当編集者の言葉です。
「まず自分で読みたかった」。実際に読んでみたら「幕末から明治期に、こうしたことを考えて、書かれていたことに驚いた」。そして、「イデオロギーの本ではなく、社会学の本だと分かった」。
そうなのです。『資本論』というのは、実際に読んでみると、けっしてイデオロギッシュな本ではなく、資本主義の仕組みを解き明かした本だということが分かります。(^_^)v
【話題の本】「超訳『資本論』全3巻」的場昭弘著(MSN産経ニュース)
【話題の本】「超訳『資本論』全3巻」的場昭弘著
[MSN産経ニュース 2009.4.11 08:08]
■理解のため編集者も猛勉強
昨年5月の発売から11カ月で11刷7万5000部、これほど硬い本がこんなに売れるのかと話題になった。マルクスの『資本論』という書名は知っているが、あまりにも難しく、挫折した人も多いのだろう。
「まず自分が読みたかった」と、祥伝社書籍出版部の新書編集デスクの堀裕城さん(43)は話す。今のこうした格差社会を先読みしていたわけではなかった。
当初は、インターネットで『資本論』を調べ、研究書を読みはじめた。「幕末から明治期に、こうしたことを考えて、書かれていたことに驚いた」
イデオロギーの本ではなく、社会学の本だと分かった。
原著を読める書き手を探した。そして、自分が分からないものは売れない、と自身も猛勉強した。
最後には、インデックスも自身で作成したほどだ。何回も読み、どこに何が書いてあるかも分かるくらいになった。
3万部売れればと思っていた。当初の読者層は予想通り年齢が高かった。次第に、30代が主力になった。「売れるべくして売れた」というのが堀さんの実感だった。
男女比も、男性7割に女性が3割という新書には珍しく、『超訳「資本論」』は男性6割、女性4割という比率となった。そのことにも驚いた、という。
今月、第2巻と第3巻の同時発刊で完結した。「最初の本に3冊分いれたかったが、1冊分でも224ページとなって無理だった。実際の『資本論』が3巻だということも知らない人がほとんどだった」と、話す。
それぞれの作りも『資本論』と同じ章立てになっている。
「ロングセラーになれば」と期待する。(祥伝社新書 第1巻・882円、第2巻・840円、第3巻・924円)編集委員 松垣透
しかし、この『超訳「資本論」』には、いろいろと残念なところがあります。たとえば、『資本論』冒頭の有名な文章。同書52ページで、的場氏は次のように訳しています。
資本主義的生産様式を支配している社会的富は、「巨大な商品のかたまり」として現れ、この富を構成しているのがこの商品である。だから、われわれの研究は商品の分析から始まる。(『超訳「資本論」』52ページ)
冒頭の下線部分、ドイツ語原文はこうなっています。
Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise herrscht, erscheint als eine “ungeheure Warensammlung”, die einzelne Ware als seine Elementarform. Unsere Untersuchung beginnt daher mit der Analyse der Ware.
関係代名詞 welchen の先行詞が der Gesellschaften であり、従属節の主語が kapitalistiche Produktionsweise であることは明らかです。したがって、ここは、「資本主義的生産様式が支配的になっている社会の富は」としか訳しようがありません。どんなに逆立ちしてみても、社会の富が「資本主義的生産様式を支配している」という日本語にはなりません。
これは明らかな誤訳でしょう。
他にも、ケアレスミスと思われる文章もあります。同書61ページ。
一方で、労働はすべての生理学的な意味で人間労働力の支出である。そして、同じ人間労働である点、また抽象的人間労働という性質をもつかぎりで、労働は商品の価値を形成しているのである。
また一方で、すべての労働は(1)特殊で、ある決まった人間労働力の支出である。(2)こうした具体的な有用な労働をもっているという点で、使用価値を生産するのである。
Alle Arbeit ist einerseits Verausgabung menschlicher Arbeitskraft im physiologischen Sinn, und in dieser Eigenschaft gleicher menschlicher oder abstrakt menschlicher Arbeit bildet sie den Warenwert. Alle Arbeit ist andrerseits (1)Verausgabung menschlicher Arbeitskraft in besondrer zweckbestimmter Form, und (2)in dieser Eigenschaft konkreter nützlicher Arbeit produziert sie Gebrauchswerte.
下線部(1)は、直訳すれば、「特殊な、目的によって規定された形態での人間労働力の支出」。「ある決まった」と訳されていますが、zweckbestimmter の zweck (目的)が無視されています。
下線部(2)も直訳すれば、「具体的で有用な労働というこの性質において」となります。もちろん、inを「もっている点で」と訳すことも可能です。しかし、明らかに Eigenschaft (性質、属性)が抜けています(脱落したのか、訳し忘れたのかは不明)。前半では in dieser Eigenschaft は、きちんと「?という性質をもつかぎりで」と訳されています。ですから、ここも「こうした具体的な有用な労働という性質をもっているという点で」と訳すべきところです。
私自身、逐語的な翻訳がいいというつもりはありません。「超訳」かどうかはともかく、マルクスが言いたかったことがずばり分かる日本語であるべきで、そのために従来の訳文を大胆に見直すことがあってもいいと思います。しかし、だからといって、「資本主義的生産様式が支配する」を「資本主義的生産様式を支配する」とするのは明らかに間違いですし、「具体的な有用な労働をもっているという点で」では意味が通りません。
また、こんな問題もあります。
『超訳「資本論」第3部』の第27章部分では、次のように書かれています。
〔マルクスは〕まず信用制度の問題を4つに分けます。第1は利潤率の均等化を媒介するため(これはすでに第1編で語られていることです)、第2に流通費の節約(これは前章までの話)、第3が株式会社の成立、第4が株式制度です。(238ページ)
しかし、これは前にこのBlogにも書いたことがありますが、この第4というのは、マルクスが残した草稿にはなかったもので、エンゲルスが、マルクスの草稿を整理して第3部を出版するときに書き加えた部分です。このことは、岩波文庫や大月書店の『資本論』には触れられていませんが、新日本出版社の『資本論』には、しっかり注記されています(第10分冊、760ページおよび763ページ訳注1)。ちなみに、240ページでは、これがなぜか「第5の株式会社制度では」となっています。これは明らかな誤植でしょう。
的場氏も、『超訳「資本論」第2部』の「序章」では、エンゲルスの編集の問題や『資本論』の草稿に言及しているのですから、草稿の研究にもとづくこうした点はしっかり押さえておく必要があるのではないでしょうか。
なお、エンゲルスが「IV」と書き加えた部分は、「株式制度……を度外視しても」という文章で始まっていることからも分かるように、「株式制度」について論じた部分でありません。他人資本を利用して企業経営がされることで資本主義がどう変質するか? そういった問題が論じられているのではないでしょうか。念のため。
他にも、「超訳」を標榜するのであれば、マルクスが『資本論』とは別の著作のために書き抜きをしていた部分である第3部第26章とか第28章、第34章とかはすっ飛ばした方がよかったのではないでしょうか。第2部でも、「拡大再生産表式」の部分などは、エンゲルスの編集にとらわれず、草稿でのマルクスの論の展開に即して、重要ポイントとなる部分をきちんと紹介した方が、むしろ分かりやすいと思います。