で、家族の絆は回復されたのか? 映画「レイチェルの結婚」

レイチェルの結婚

昨日公開されたばかりの映画「レイチェルの結婚」を、渋谷・Bunkamuraル・シネマで見てきました。(今年3本目)

姉レイチェルの結婚式を前に、妹のキムが施設から帰ってきます。いちおう温かく迎えられるキムですが、ささいな行き違いや家族の態度、言葉に、キムは神経をピリピリさせます。そしてついに、結婚式前夜に姉と妹が大衝突…。

ということで、泣いてわめいて、家族がぶつかり合う映画です。(^^;)

といっても、いろいろ工夫がしてあって、なるほどと思いながら見ておりました。

1つは、家族のぶつかり合いを、姉の結婚式――つまり、2つの家族の出会いの場面に重ねたこと。日本だったら、両家の家族・親戚一同が集まったところへ、元「依存症」の妹が登場してキレまくったら、はっきり言って「こんな結婚やめておけ」式の展開になるところですが、そんなことはだれも言い出さないあたりが、アメリカらしいと思いました。

それから、新郎はアフリカ系アメリカ人で、家族・親族のつながりが強いというか熱いというか。主人公の中流白人家庭との対照ということを意識した設定なのかどうか、分かりませんが、これも作品に奥行きを与えているように思いました。

2つめは、お父ちゃんが再婚していることです。父の離婚も、実はキムをめぐるある「出来事」にかかわるのですが、それはともかく、結婚式には、レイチェル、キムの実母、つまりお父ちゃんから見れば別れた元女房が、再婚相手の旦那を連れてやって来る訳です。離婚した後でも、子どもとの関係は続く訳で、娘の結婚式にやってくるのは当たり前なのですが、そこには、親の世代だって決して「理想の結婚」「理想の家族」をつくっていた訳ではない、というメッセージがこめられていたように思います。

このレイチェル、キムの実母をデブラ・ウィンガーがなかなか貫禄みごとに演じていますが、「愛と追憶の日々」のデブラ・ウィンガーも、もう53歳。すっかりいいおばあちゃんになってました。

ところで、このお父ちゃん役のビル・アーウィンがなかなかの名演技でした。花嫁の父というのは、もともと結婚式のときは所在のないものですが、そこに爆弾をかかえた娘が帰ってきて、やさしく迎え、表情には出さないように気を遣いながら、一生懸命理解ある父親を演じています。しかも、それがけっこう透けて見えていて、娘からは「食事のことばかり気にしている」と切り捨てられてしまい、報われません。突然、新郎と、どっちが食洗機に上手く食器を詰め込めるかを競争し出したりする場面も登場して、そういうところに、「出来事」と何とか折り合いをつけて、何とかばらばらになりそうな家族をとりまとめようと必死になってきた様子が伝わってきます。実は、ある「出来事」で一番傷ついていたのは、この親父さんだったかも知れません。

結論として、この映画の出来は、主人公キムを演じるアン・ハサウェイの“目力(めぢから)”によるところ大きいのかも知れません。それぐらい魅力的なキャラです。妹を理解しつつ、反発して、思わず爆発してしまう姉レイチェル役のローズマリー・デウィットも見逃せませんが。

途中、いよいよ結婚式はぶち壊しになるのか?! と思われたのが、何とか無事に式を迎えます。ぶつかり合った姉妹が傷を癒し合うかのような場面が印象的でした。しかし、ラスト場面は何を表しているのでしょうか? はたして、家族の絆は回復されたのか? それとも、キムの傷は癒されないままだったのか? そこを、あえて曖昧にしたのでしょうか? ちょっと意外な結末でした。

なお、本作品は、クローズアップで手持ちカメラ風のアングルが多いので、映画館では少し後ろ寄りの席に座って見た方がいいと思います。あまり前の席だと、途中で気持ち悪くなるかも知れません。(^^;)

公式サイト:
レイチェルの結婚 – オフィシャルサイト

【映画情報】
監督・製作:ジョナサン・デミ/脚本:ジェニー・ルメット/出演:アン・ハサウェイ(キム)、ローズマリー・デウィット(レイチェル)、ビル・アーウィン(お父ちゃん)、デブラ・ウィンガー(別れたお母ちゃん)、トゥンデ・アデビンペ(新郎)他/2008年、アメリカ

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