政府が、新型インフルエンザにたいする「対処方針」を緩和。完全防備の物々しいいでたちでおこなわれていた機内検疫も基本的に中止。学校の一律休校も見直して、「地域の実情に応じた柔軟な対処」に切り替えられることになりました。
それなら、これまでの対応は「過剰反応」だったのか? それとも警戒を緩めすぎ? 今晩の「毎日新聞」の「特集ワイド」は、警戒が必要だと指摘する人、パニックだという人、そして渦中の神戸で暮らす人、三者三様のコメントを紹介しています。
特集ワイド:新型インフル 過剰反応…いや、当然? : 毎日新聞
押谷氏の意見は昨日も紹介しましたが、「どの程度の被害が出るのか、評価が重要」、それにもとづいて対処方針をきめるべきだとの指摘はそのとおりです。
他方で、効果のほどがわからないのにマスクを着用して、「ちゃんとやってます」とアピールする式の過剰対応を外岡氏が「アリバイ作り」と批判しているのも、もっともだと思います。
内田氏が、市民は不要な外出を控えているだけで、パニックには陥っていない、むしろ公共的福祉を優先した適切な行動だというのも、神戸に住んでいる人ならではの説得力があります。
特集ワイド:新型インフル 過剰反応…いや、当然?
[毎日新聞 2009年5月22日 東京夕刊]
ついに首都圏でも感染者が確認された新型インフルエンザ。街にはマスク姿が目立ち、どこもかしこも対策、対策の大合唱だ。「冷静な対応が求められる」とみんなは言うけれど……。“冷静と過熱のあいだ”にあるニッポンについて、識者3人と考えた。【小松やしほ、遠藤拓、山寺香】
◇弱毒性だからと油断しないで――東北大教授・押谷仁さん
機内検疫や感染者の追跡調査は、国内で感染が広まった今となっては過剰で無意味な対策だ。しかし、2?3日前から急に通常の季節性インフルエンザと一緒だという認識が広がり対策の緩和が言われ始めたが、危機感を感じる。
季節性と新型とは明らかに違う。季節性でも年1万?2万人が死亡するが、大半は高齢者で元々重い疾患を持っているのがほとんど。今回は肺炎から呼吸器不全を引き起こし、インフルエンザそのものが死亡原因となっている。しかも死者は若者だ。
米国の状況を見れば今後何が起きるか想定できる。米国では感染者が確認されてから死者が出るまで1カ月あった。1カ月後には日本で死亡例が出てもおかしくない。特に妊婦やぜんそくなどの人は重症化する可能性がある。
新型インフルエンザは弱毒性で、数十万から数百万人の死者が出るような事態にはならない。しかし、季節性と同程度の死者が出る可能性はあり、仮に日本で若者が数百人死んだら、大騒ぎになるだろう。死者が若者だった場合のインパクトは全く異なる。
国のガイドラインは非常に病原性の高いものを想定しているが、新型インフルエンザの致死率は相当低く全部ガイドライン通りにする必要は無い。しかしまずは、どの程度の被害が出るのか、評価が重要。国が被害をどう見積もっているのかわからないが、少なくともきちんと国民に伝えられているとは言えない。その上で政治家は、企業の閉鎖など社会活動をどの程度制限するのか議論し、重症者を救う対策を検討すべきだ。
マスコミ報道も冷静さを欠いている。どんな人が重症化してどうしたら救えるのか、報じてほしい。
日本の対応はヨーロッパに比べて過剰だと言われるが、ヨーロッパでは日本のように感染拡大が確認されておらず状況が違う。日本の基準をはっきりさせ、早期に重症者を救う対策を講じるべきだ。時間をかけている暇はない。◇責任逃れの「アリバイ」目立つ――元小樽市保健所長・外岡立人さん
新型インフルエンザに対する日本社会の態度は、過熱どころかパニック状態と言っても過言ではありません。なぜならば、現時点で症状はそれほど重くないし、患者は無熱、無症状のケースもあるからです。危険度は季節性と同等か、軽微でしょう。普段、季節性でここまで手を打ちますか? 私見では、今の新型インフルが季節性と同程度でも、必要によって学校を閉鎖するぐらいで十分です。
もっともらしい対応は企業に目立ちますが、職場の同僚が感染した際の自宅待機も、出社前の体温測定も無意味です。ネット上でこうした主張をすると、企業の危機管理担当者からの抗議が相次ぎます。対策のアピールに張り切っているのでしょうが、冷静になってほしいです。
こうなったのも、国が「ひとまず心配しなくてもいい」とのメッセージをしっかりと出さないからです。万一の事態に対する責任を取りたくないため、「最大限やっている」とのアピールを続ける。まるでアリバイを証明しようとしているかのようです。それが必ずしも功を奏さないのは、空港での「水際作戦」が、関西における患者の大量発生を食い止められなかったことでも明らかなのに。
パニックの一因はマスコミにもあります。「○○地域で○人発症」といった日々の動きを強調してばかりでは、不安は増幅される。「心配いらない」とのメッセージも、併せて伝えるべきです。
ちまたではマスクの買い付け騒ぎにもなりそうですが、マスクが予防に役立つとの医学的な立証はありません。患者のくしゃみ、せきからの飛沫(ひまつ)物は、衣服や頭髪、持ち物などにも付着し、マスクだけでは防ぎきれない。着けるなとは言わないが、決定的な効果は期待できません。
ともあれ、このパニックもじきに落ち着くでしょう。ウイルスは夏場に活動が低下するし、国民もそろそろしらけてくるはずです。病原性の高いウイルスに変わる危険性があっても、現時点で騒ぎすぎる必要はないでしょう。◇金と健康はかりにかけるな――神戸女学院大教授・内田樹さん
まずは健康優先でしょう。弱毒性だからそんなに慌てることはないといっているが、感染した人にとっては、弱毒も強毒も関係ない。感染経路も分からず、ワクチンもない。タミフルは副作用が心配だということを考えると、状況がよく分からない時には慎重な対応をすることが基本だ。
一部メディアで「パニック状態」と言われているが、パニックになどなっていない。私は神戸在住だが、みんな外出を控えているので、街には人が少ないだけで、電車やバスもきちんと動いているし、ガス・水道・電気も通っている。都市機能はまひしていない。行政に言われたことに従い、おとなしく家でじっとしているのに、何がパニックか。マスクを買いに走るのは、公衆衛生の観点から見ても、ナチュラルな反応だと思う。
石油ショックの際にトイレットペーパーがなくなったことや、阪神大震災のときに物がなくて困ったことと比べれば、何ということもない。流行させないために外出を自粛するなど、公共的福利へ配慮した行動で、公民としての意識がきちんとあると感心するぐらいだ。
腹立たしいのは、市民の自粛で消費活動が不活発になった今、不景気へのさらなる打撃になると考えたのか、新型インフルエンザを過小評価しようとしているように見えることだ。
神戸市では来週から保育園や学校で休校措置をやめようとする動きもあると聞く。子どもが休んでいると、親も働けず困るなどという声が出ているらしいが、つまりは金がらみ。経済だ。公衆衛生や疫学的な観点でなく、経済活動を戻すという景気優先で考えているのが見え見えだ。金と健康をはかりにかけるのか。
今の季節だから、まだこのぐらいですんでいるが、本格的に流行する秋冬になったらどうするのか。私はコントロールできない自然の脅威に対しては、恐れを抱いた方がよいという考えだ。多少、過敏なぐらいが、人類学的には正しい態度だと思う。====================
◇おしたに・ひとし
1959年、東京都生まれ。東北大教授(ウイルス学)。99?05年にWHO(世界保健機関)西太平洋地域事務局の感染症地域アドバイザーとして、SARS対策の指揮を執った。厚生労働省の「新型インフルエンザ専門家会議」委員。◇とのおか・たつひと
1944年、北海道生まれ。北海道大医学部卒。小樽市保健所長在職中の05年から、ネット上で「鳥及び新型インフルエンザ海外直近情報集」を主宰。退職後も在野の専門家として発言を続けている。◇うちだ・たつる
1950年、東京都生まれ。神戸女学院大文学部教授(フランス現代思想)。「『おじさん』的思考」など著書多数。ブログ「内田樹の研究室」(http://blog.tatsuru.com/)も人気。
見直された「対処方針」はこちら↓。PDFファイル(298KB)が開きます。
2009年5月22日 新型インフルエンザ対策基本的対処方針 : 厚生労働省
要するに、政府の「対処方針」見直しの基準――「地域の実情に応じた柔軟な対応」というのが、うさんくさいのです。
昨日まで「感染が疑われる場合は、一般の病院には行かず、発熱外来へ」と言っておきながら、明日から「一般の病院でも診療する」と言われても、誰も信用しないし、住民はますます不安に思うだけでしょう。大規模な集団休校についても、感染拡大防止のためにそういう措置をとったのであれば、その見直しには、当然、感染拡大防止に効果があったのかなかったのかの検証が必要です。
どころが政府の方針見直しでは、そうしたことはまったく説明されていないし、検討された様子もありません。ただ、「国民生活や経済への影響を最小限に抑え」るために、「地域の実情に応じた対応」に改めるというだけです。相変わらず「感染拡大を防ぐ」と書かれていますが、「地域の実情に応じた柔軟な対応」に切り替えることが感染拡大防止にどれぐらい有効なのかの説明はありません。
しかも「地域の実情に応じた柔軟な対応」とは具体的にどうすることなのか、ということもまったく不明です。「集会、スポーツ大会等については、一律に自粛要請は行わない」といいながら、主催者には「感染機会を減らすための工夫」を検討するよう求めているし、企業などにたいしても「事業自粛の要請を行わない」が、「感染機会を減らすための工夫」を求めています。しかし、「感染機会を減らすための工夫」として何をすればいいのかはまったく書かれていません。要するに、どういう「工夫」をするかも含めて、民間に丸投げされているのです。
そもそもインフルエンザの感染・流行というのは、自然科学の問題。新型インフルエンザが流行し始めれば、一定人数の感染者が出るし、その中の一定割合は重症化する人も出ます。残念ながら亡くなるケースも出るのは避けられません。だから、「こうすれば感染者を減らせる」「こうしておけば、重症者が出ても対応できる」――そういう科学的な根拠にもとづいた「対処方針」が求められているのではないでしょうか。押谷氏が「どの程度の被害が出るのか、評価が重要」というのは、正鵠を射た指摘だと思います。
ところが、政府には「対処方針」を考えるうえでの基準・根拠がありません。基準や根拠がないから、効果がはっきりしないまま物々しい「機内検疫」や、全域的な休校措置、保育所や介護施設の閉所措置をやったかと思えば、たちまちその方針を撤回してしまいます。
「感染機会を減らすための工夫」を求められた企業も、何をどうしていいのか分からないから、外岡氏のいうように「アリバイ」「対策のアピール」に走るのです。
パニックに陥って、周章狼狽しているのは政府自身ではないでしょうか。