東洋経済編集部はどこに関心を持ったのか?

『週刊東洋経済』2009年6月13日号

『週刊東洋経済』6月13日号(6月8日発売)に、不破さんのインタビューが掲載されていることはご紹介したとおり。オイラも、月曜日にさっそく買ってきました。(^_^)v

で、読んでみると、同誌編集部が、不破さんの『マルクスは生きている』を読んで、どんなところに関心を持ったかが想像されて、なかなかおもしろかったです。

まず、リードの部分。こんなふうに『マルクスは生きている』や不破さんを紹介しています。

 「マルクスと現代」の視点から、マルクスの全体像をとらえようとする新書が好評だ。「マルクス研究」60年余の著者にその理解のエッセンスを聞いた。

で、最初のページの見出しが「マルクスの威力は思い込みがないこと」。これは、「あえてマルクスの魅力を一言で」と聞かれたのに、不破さんが「思い込みがない人」と答えたところからとったものです。

しかし、不破さんが、マルクスが生涯探究をやめず、『資本論』を書いたあとでも、『資本論』自体も書き直そうとしたことなどを紹介すると、インタビュアーも「弁証法によって認識し、考えたわけですね」と応じていて、マルクスというのが何か「真理」を発見して、それを金科玉条にして振り回したような思想家ではなかった、ということは大変印象的だったようです。『資本論』に日本関係の記述が多いという話も関心を引いたようで、これも、マルクスの研究ぶりを示すものだと言えます。

もう1つの見出しは「消費と生産の矛盾が爆発、形は違うが理屈は同じ」。これは、現在の世界的な経済危機についての質問から。

 ――マルクスの病理学者の目で今回の世界的な経済危機を見ると。

 マルクスの恐慌論については7年ほど前に熟考したことがある ((これは、不破さんが雑誌『経済』2002年1月号?10月号に連載した「マルクスと『資本論』」のこと。のち、2003年に『マルクスと「資本論」』(1)?(3)として、新日本出版社から出版。))。いままでマルクスの恐慌論には2つの柱があった。1つは恐慌の可能性の議論、もう1つは、どんな矛盾が恐慌を引き起こすのかという根拠・原因論だ。いままで、矛盾が恐慌という形で爆発するまでなぜ大きくなるのかについては、マルクスの恐慌論としていわれてきたものの中では整理がなかった。そこには「失われたリング」があると考えて、それを探究しようと研究した。恐慌の運動論だ。
 今回の場合、アメリカのサブプライムローンとは虚構の需要だった。みかけは金融恐慌だが、土台には架空の需要がある。アメリカの家計が持っている過剰債務は8兆ドルだという。それだけのものがバブルの元になっているのだから、過剰生産恐慌になるのは当たり前だ。金融恐慌で広がったが、金融で恐慌現象が起こったわけではない。生産と消費の矛盾が爆発している。自動車が痛めつけられるはずだ。いまの現象を見ると、マルクスが分析した恐慌の現代版。同じようにバブルが起きて、形は違うが理屈は同じだ。

さらに、インタビューは、「未来社会の開拓者」としてのマルクスについても。

 ――「未来社会の開拓者」としての視点では。

 マルクスについては誤解が多い。有名なのは、たとえばマルクスは革命は暴力革命といっているというもの。これはレーニンの整理であり、マルクスは普通選挙権に注目して、それを通じて革命ができるといった最初の革命家だった。
 だからこそ、「マルクスを、マルクス自身の歴史の中で読む」ことをお勧めしたい。

ということで、インタビュアーの最初の質問――「マルクスを、マルクス自身の歴史の中で読む」をモットーにしているようですね――に話が戻ったところで、お後がよろしいようで…。(^^;)

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