毎日新聞客員編集委員の岩見隆夫氏が、今朝の「毎日新聞」の「近聞遠見」で、「不破哲三とマルクス」と題して、不破さんの最新著『マルクスは生きている』(平凡社新書)の感想を書かれています。
岩見氏が不破さんのマルクス論として注目したのは、こんな点でした。
1つには、「マルクスはどんな研究についても、自分の到達点に安住しなかった人だった」ということ。
2つには、21世紀が資本主義と社会主義をめざす流れとが、どちらが人類的、地球的課題により的確にこたえうるかをめぐって競争しあう世紀になる、という見通し。
3つめは、マルクスがなかなか日本通だったというエピソード。
3つめは、それだけだと単なるエピソードにすぎないかのように思われるかもしれませんが、1つめの論点と重ねてみると、マルクスが何を書くにも徹底的に研究してものを書いていた、ということが分かります。さらに、不破さん自身が、現職国会議員だった忙しい最中にも、そういうところまで徹底的に調べてマルクスを論じている、というところが、岩見氏にしてみればおもしろかったのかも知れません。
近聞遠見:不破哲三とマルクス=岩見隆夫
[毎日新聞 2009年6月13日 東京朝刊]
タフな筆力に驚く。共産党の書記局長、委員長、議長を通算36年間もつとめた不破哲三(党付属社会科学研究所長)がまた1冊本を出した。「マルクスは生きている」(平凡社新書)である。
不破のように、政務、党務のかたわら著書を大量に書き続けた政治家はほかにいない。「『資本論』全三部を読む」全7冊、「古典への招待」全3巻(以上、新日本出版社)「私の南アルプス」(山と渓谷社)「一滴の力水」(共著、光文社)「私の戦後六〇年」(新潮社)など130冊にのぼる。
作家志望の少年だったことと無縁ではなさそうで、1939年、小学校3年の時、「怪塔ロケット」という題の冒険SF小説を書いた。400字詰め150枚の大作、雑誌に載ったという。
翌40年春、あこがれの国民作家、吉川英治の東京・赤坂の私邸を父に伴われ訪ねた話はよく知られている。自作の小説をいくつか持参して読んでもらった。帰りがけ、吉川は、
「20歳になって、まだ書く気があったら、もう一度いらっしゃい」
と告げたという。だが、20歳の時、不破は小説など忘れ、東大共産党細胞で活躍している。小説に代わって、不破論文が早くから党内で光っていた。
さて、新著である。マルクスは21世紀の現代にどう生きているのか。
不破が最初にマルクスに触れたのは終戦直後の46年、それから60年あまりマルクスに親しんできたが、もっとも痛感している点は、
<マルクスはどんな研究についても、自分の到達点に安住しない人だった>
ということだという。未来社会論の面でも、マルクスは現代社会において生きた力を発揮している、と不破はみる。それはどんな予見なのか。
<おそらく、21世紀は、これからの歴史の進展のなかで、資本主義を維持し続けようとする流れと、社会主義をめざす流れと、どちらが人類的、地球的な課題により的確にこたえうるかをめぐって競争しあう世紀という性格をさらに強める。
人類社会の長い歴史のなかで、マルクス流にいえば、「前史」から「本史」への転換の過程で一つの役割を担った世紀として記録されるのではないか。私たちはいまそういう時代に生きている>
と結論づけた。やや難解な文章だが、<100年に1度>といわれる経済危機が打開のルールもなく、出口が見えないまま続いている国際社会と日本の現状をみると、不破の指摘も迫力を帯びてくる。
<マルクスはなかなかの日本通だった>
という話も面白い。「資本論」にも何カ所か日本論が記されているが、どこから知識を仕入れたのか、長く謎とされていた。
ところが、81年、不破が国会質問の準備中、たまたま手にしたイギリスのオールコック初代駐日公使(いまの大使)による回想録「大君の都――幕末日本滞在記」(岩波文庫)のなかに、「資本論」の日本記述のすべてが詳しく記されているのを発見、謎を解いた。マルクスは大英博物館でこれを読んだのである。
不破、79歳、さらなるご健筆を。(敬称略)