御年87歳の岩井忠熊先生が、『日本史研究』誌上で、戦後歴史学「破産」論に敢然と反論されています。
岩井先生の論文は、次の2本。
- 「『戦後歴史学』は本当に破産したのか」(『日本史研究』543号、2007年11月)
- 「戦後歴史学再論――その評価をめぐって――」(『日本史研究』561号、2009年5月)
たとえば、岩井先生は、こんなふうに書かれています。
私には、ソ連の崩壊によってマルクス主義の必然論がゆきづまったという大雑把な理解こそ再検討の必要があると思っている。ソ連の崩壊は政治世界のできごとであって、ただちに学説上の正否につなげてはならない。私はソ連の科学アカデミー付属アジア諸民族研究所へ研究の名目で約半年間モスクワに滞在し、ソ連社会を実地に見聞した……。硬直した無責任な官僚主義的支配で、この体制が長く続くとは思えなかった。だからソ連の崩壊で自分の思想や理論が根本からゆらぐことにはならなかった。(「『戦後歴史学』は本当に破産したのか」46ページ)
もちろん、岩井さんは、ソ連は「社会主義失敗の最悪の一例」で、「その歴史的解明はなお歴史学の重大な課題である」と指摘されています(同前)。
岩井氏は、60年代から歴史学界は丸山真男理論批判に血道を上げたとする論者に反論して、戦後歴史学がマルクス主義歴史学と実証史学、あるいは丸山などの近代政治学などとの共同という奥行きと幅をもっていたことを強調されていますが、他方で、西欧市民社会・文化を「理念型」とする丸山の方法論で、はたしてアメリカのイラク戦争を批判できるのかと指摘し、「丸山説に世界現代史の危機を見いだせない」とも述べておられます(「戦後歴史学再論」32?33ページ)。
さらに岩井氏は、学説・理論をめぐる論争を、政治的な対抗のように受けとる論者にたいして、学問的論争というのは決してそのようなものでなかったことをくり返し強調しておられます。そのなかでは、たとえば領主制理論の永原慶二氏と、非領主制理論の黒田俊雄氏について、学問的には厳しく論争しながら、永原氏が黒田説を高く評価していたことを指摘。さらに、「黒田氏は筆者と同年卒、永原氏は筆者と武山海兵団学生隊で同分隊(当時は互いに知らなかったが)。隔意なく話すことのできる関係であり、3人で歓談した記憶もある」(同前36ページ)と書かれています。エピソード的な話ですが、黒田氏も永原氏もすでに亡くなられたいま、ここに岩井氏の決意のようなものを感じて、思わず目頭が熱くなってきます。
そうかと思うと、岩井氏は、「私はつとめて憲法九条の会や憲法ウォーク等に参加してきた」とも述べておられます。そして、「数年前には絶無に見えた青年層の参加が増加してきた」ところに、「日本の市民社会」の変化の「きざし」を感じ取られていますが、ここらあたりは87歳とは思えない、岩井先生の若々しさを感じます。
論争の相手となった研究者の論文をまだ読んでいないので、ここでは論争そのものについて言及はしません。しかし、戦後歴史学は「破産」した、あるいは「敗北」したという議論は、当の歴史学界の一部からさまざまな形で生みだされています。それだけに、戦後歴史学「破産」論に正面から反論をされる岩井先生の姿勢は、ぜひ見習いたいと思います。
なお、後者の論文によれば、岩井先生は目下、『日本近代史学史』(仮題)という著昨にとりくんでおられるそうです。期待したいと思います。