ところで「章標」って何?

カミザワさんのコメントから、さらに問題意識が発展。そもそも「章標」って何? という話です。もちろん、マルクスが『資本論』でどういう意味で使ったのかということではなくて、「章標」という言葉は日本語としてどうなのよ、という話です。

ちなみに「章標」という言葉は、手元にあるいろいろな国語辞典を引いても、どれも載っていません(三省堂『大辞林』、岩波『広辞苑』、小学館『大辞泉』、三省堂『新明解』、太修館『明鏡』など)。似ている言葉としては、「章票」、あるいは「標章」は出てきますが、「章標」というのは、どうやら広く世間で使われている言葉ではなさそうです(もちろん、そうしたことは学術用語にはしばしばあるものですが)。

だからこそ、「章標」ってなによ? ということになるわけです。で、またまた電子辞書を駆使して、いろいろ調べてみました。(^_^;)

まず、いまここで問題にしている「章標」という言葉は、『資本論』に出てくるドイツ語 Zeichen の訳語です。Zeichen を電子辞書(小学館『独和大辞典』)で引くと、次のような意味があげられています。

  1. 合図。身ぶり。しるし、目じるし。符号、標識
  2. 徴候、前兆。あらわれ
  3. 象徴、シンボル。記号、句読点
  4. 〔占星〕星座、(12宮図の)宮。〔比〕星まわり、運命、時代
  5. 〔雅〕職業
  6. 〔電〕呼び出し符号、コールサイン

独英辞典(Oxford DUDEN German-English Dictionary)をひくと、sign, signal とか mark, reference、あるいは symbol、indication などの意味が出てきます。

ちなみに、エンゲルス監修の英語版『資本論』では、Zeichen には symbol という単語があてられています。

これまでの邦訳を調べてみると、長谷部文雄訳や岡崎次郎訳(大月書店)などが「章標」の訳語を当てています。新日本出版社の『資本論』も、「章標」です。向坂逸郎訳(岩波書店)は「標章」、江夏美千穂・上杉聡彦訳の『フランス語版資本論』は「表章」の言葉を使っています。

似た言葉で、辞書に載っているものとしては「章票」と「標章」があることは最初に紹介しましたが、それらを調べると、「章票」は「しるし。標識」のこと、「標章」は「特定の団体や催し物などを表わす記章・記号の類。シンボルマーク」と説明されています(デジタル大辞泉)。「記章」というのは、最近では聴きなれない言葉ですが、弁護士さんや一流会社に勤めるサラリーマンのお父さんたちが背広の襟につけているバッジのことです(「徽章」と書くのが正しいようです)。

「貨幣は価値の章標である」というのは、貨幣が価値を表わしている、価値=貨幣ではないが、貨幣をみれば価値であること、価値をもっていることが分かる、ということです。あるいは、貨幣が価値を代理している、価値の代わりとなるものである、という意味を表しています。

そこで、――ここからは僕の推測ですが――、Zeichenの訳語として「章票」という言葉を使うと、「票」という文字に引きずられて、「紙切れ」、つまり紙幣を連想してしまうのでうまくない。また、「標章」という言葉には、バッジとかシンボルマークといった具体的なイメージが先にたってしまう。そこで、こうした言葉をさけて、新しく「章標」という言葉を造語したのではないでしょうか。

Zeichen の訳語として、珍しいところでは、筑摩書店の『資本論』が「記号」としています。symbol の訳語なら「記号」というのが一番おなじみだし、「記号論」など、最近では「記号」という言葉もポピュラーになったのかも知れません。

しかし、「記号」では、『資本論』の Zeichen の訳語としては、少々難点があります。

というのは、「記号」というと、「社会慣習的な約束によって、一定の内容を表すために用いられる文字・符号・標章などの総称」(デジタル大辞泉)とあるように、「記号」そのものは具体的な物ではなくて、「文字」とか「符号」などを指しています。ですから、金(きん)や銀、あるいは鋳貨(コイン)のように、それ自体が価値を持っている物体としての貨幣を指して「記号」というのは、ちょっとしっくりこないわけです。

もちろん、価値は、それ自体としては何の価値も持っていない「紙切れ」(紙幣)によっても代表されるので、とくに現在のような不換銀行券やコンピュータ上の数字としての「預金通貨」などの場合は「記号」だと言えなくもないですが、それは貨幣としてもかなり発展した形態。マルクスが『資本論』で論じている貨幣は、理論的には、鋳貨ですらなく、一定重量(これを「貨幣の度量基準」という)ではかられた生身の金(きん)や銀の塊そのもの、を指しています(これを「地金〔じがね〕」といいます〕。それに、刻印を押したのが「鋳貨」(コイン、金製の鋳貨が「金貨」、銀製の鋳貨が「銀貨」です)であり、紙幣という場合も、『資本論』に登場する紙幣は、銀行へ持っていけばすぐに金(きん)や銀の「地金」や金貨・銀貨と交換してもらえる兌換紙幣に限られています。

貨幣という場合、そういう「地金」から「鋳貨」(コイン)、さらには、それを紙で代理した紙幣(あくまで「兌換紙幣」に限られるが)まで、すべてを含んでいます。それを、マルクスは、価値の「章標」だといっているわけです。ですから、「記号」では、やっぱりちょっとまずいと思います。

では、どういう訳語なら分かりやすいのか? 僕にもアイディアはありません。とりあえず、「章標」というのはそういうものだ、と思って『資本論』を読んでいくしかないようです。(^_^;)

【追記】

  1. 戦前の改造社版『資本論』(高畠素之訳)では、「表章」の訳語があてられています。
  2. 「章標」の訳語の始まりは、河上肇訳かも知れません。1931年刊の改造社版(河上肇、宮川実共訳)では、「章標」の訳語が使われています。
  3. 中国語版『資本論』(郭大力、王亜南訳、人民出版社、1953年)では、「符号」の訳語が当てられています。う〜む、簡単だなぁ…

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