数日前にJRの車内広告で見たのですが、シャープがこんなものを発売したようです。
A6サイズで約409g。ブラウザとメールができるだけでなく、PCデータ(WordやExcel)も開けるというのです。はたして、どれぐらい使い物になるんでしょうか。
『資本論』第1部第7章「剰余価値率」の第3節、有名な「シーニアの最後の1時間」の終わり近くに、こんなくだりが登場します。
【新日本版】 ……もし諸君が、諸君の「工員たち」から11時間半ではなく13時間を手に入れることに成功し、そして諸君は当然にそうすると思われるのであるが、超過した1時間半を単なる剰余価値につけ足すならば……(上製版Ia、387ページ、新書第2分冊、386ページ)
この下線部分。実は、戦前の河上肇訳では、次のようになっています。(仮名遣い等は、現代通用のものに直してあります)
【河上訳】 ……なお諸君が、諸君の織工を11 1/2時間でなく無理に13時間労働せしめ、かつその余分の1 1/2時間を全部剰余労働に加えるとすれば、――諸君にはそれらが全く同じものにみえるはずだが――……(改造社、616ページ)
ご覧のように、訳文が全く異なるだけでなく、「そうする」とか「それら」で受けているものが全然違っています。一体、どっちが正しいのか? なぜ、こんなふうに違っているのか? ささいな挿入部分で、ここでのマルクスの議論の筋とはなんの関係もないのですが、気になってしまいました。