本日の日経新聞「大機小機」は、なかなか面白い着眼だった。
「民主不況」などという議論にたいして、「株価や為替の動向は政権に対する通信簿ではない」と喝破して、市場の「揺さぶり」を批判するだけでなく、現下の景気悪化を、「小泉改革」による「遅れてきた『改革不況』」かもしれないといっているのは、なかなか的確な指摘ではないだろうか。
ただし、鳩山政権が、実際には、後期高齢者医療制度の廃止を先送りしたり、子ども手当ての財源に扶養者控除などを廃止しようとしていることなど、「生活第一の政策」とは矛盾するようなことをやろうとしているところには、まったく目をつぶっている。そこはいただけないのだが。
国民の声を反映する政治とは
[日本経済新聞 2009年12月12日付朝刊]
「民主不況」という言葉がにわかに出始めている。デフレや円高、株価の低迷に効果的な対策を打ち出せない新政権に対する市場のいら立ちを反映しているのだろう。年明けには景気後退の二番底も懸念されるなか、新政権はどう対応すればよいのか。歴史的な政権交代を果たした鳩山由紀夫内閣にとって献金問題以上の試練に違いない。
しかし時々刻々と変化する株価や為替の動向は政権に対する通信簿ではない。政策を評価するのは国民であり、方法は選挙であることも見落としてはならない。その意味で、不合格の判定を受けたのは自民党中心の旧政権であり、新政権は国民から政策転換の負託を受けたのだ。市場は誕生したばかりの政権に揺さぶりをかけ、市場への「忠誠」を求めているのかもしれないが、新政権は翻弄(ほんろう)されてはならない。
そもそも市場の声は必ずしも国民の声を反映しているとは限らない。円高による輸入品の値下がりを多くの国民は歓迎しているし、家計の金融資産に占める株式の比率も日本の場合は7%と米国の同31%の4分の1にも満たない。市場が騒ぐほどには円高も株安も国民生活には直接影響を与えていないのだ。
かつて小泉潤一郎元首相は改革に反対するグループを抵抗勢力と呼んで一刀両断にした。鳩山首相にとっては、生活優先の政策を「経済無策」と批判するグループこそ抵抗勢力にほかならない。次の総選挙までは3年8カ月も残されている。足元の市場の動向に一喜一憂せず、新政権は生活第一の政策を着実に進めるべきだ。
改めて小泉改革の顛末(てんまつ)を見るならば、改革の「芽」が出るまで2年以上も要したうえ、その後、花が開いたのか実がなったのか筆者は寡聞にして知らない。その一方で、名目賃金の減少を放置するというデフレの種をまき、円高に弱い輸出主導型の経済構造を築いた。そう考えると、現在の日本が直面しているのは「民主不況」と呼ぶよりも、遅れてきた「改革不況」と呼んだほうが適切なのかもしれない。
8月末の総選挙で国民が支持したのは民主党であり、市場原理主義的な改革で生活や雇用を破壊し格差を放置した自民党ではない。政権交代を実現したのは国民なのだから、新政権は国民の声に耳を傾けて政策に臨んでほしい。(文鳥)