日本古代史の東野治之・奈良大教授の新刊。11月発売の岩波新書の1冊。
5度の失敗や失明にも負けず、日本への渡来を果たした鑑真和上は有名ですが、本書で東野氏は、その鑑真がそこまでして日本へ伝えたかったものは何だったのか? という問題にせまっています。
で、答えを言ってしまえば、それは「戒律」なのですが、そうなると、その「戒律」とはいったい何か、どうして鑑真はそこまでして日本に「戒律」を伝えようとしたのか、ということが問題になります。
仏教にとっての戒律とは、出家した僧や僧になる前の沙弥が守るべき約束事、ということになるのですが、たとえば沙弥が守るべき10の戒律とは以下のようなもの(本書6ページ)。
- 殺生をしない。
- 盗みをしない。
- 性行為をしない。
- うそをつかない。
- 酒を飲まない。
- 花で身を飾ったり、体に香油を塗らない。
- 歌舞や演劇などを自らしたり、見聞きしない。
- りっぱな飾り付きの大きな腰掛を使わない。
- 朝食・昼食のほかに、食事をとらない。
- 金銀や宝物を持たない。
さらに、沙弥としての振舞い方が72あって、師匠と外出したときに師匠の足跡を踏んではならないとか、厠への入り方とか、いろいろこまごまとしたところまで決められているそうです。さらに出家して僧となるときには、「具足戒」という戒を授かることが必要です。
もともと、戒律という考え方は上座部仏教のもので、インドで出家して自治的な僧団をつくった僧たちが、信仰生活を送るためにつくられた戒めや規範。だから、衆生救済をめざす大乗仏教にはなじまないところがあって、そのために、大乗仏教独自の菩薩戒という戒律が考え出されたといいます。
しかし、信仰にかかわる道徳的な戒律とともに、出家した僧たちが自治的な集団組織を維持するために、一定の戒律が必要なことは明らか。そのことが、ときの権力から独立した独自の信仰集団としての自治・自律性を保障することにもなったわけです。
で、その戒律を授ける儀式が「授戒」。それには、10人の僧(三師七証)の立会いが必要とされます。しかし、日本に仏教が伝来して以来、この正式な授戒が行なわれてこなかったことが問題となり、それで鑑真の渡日になるわけです。しかし、それは当時の大和政権の国家意思として行なわれ、純然たる信仰だけではなかったのです。そこが鑑真の渡日を考える眼目の1つがあると、この本を読んで思いました。
その戒律をめぐって、いろいろなすったもんだがあったりするのですが、ともかく結論として、日本には鑑真が伝えようとした戒律は定着しませんでした。たとえば、戒律を前提にすれば、僧の妻帯はありえないことです。しかし、日本ではお坊さんの妻帯は当たり前。ということで、現在も、日本の僧とアジア各国の仏教僧とが交流しようというときに、授戒していない日本の僧は果たして本当に仏教僧といえるのか、ということが問題になるそうです。
ということで、仏教にとって戒律とは何か、という問題を考えた一冊でした。
【書誌情報】
著者:東野治之(とうの・はるゆき、奈良大学教授)/書名:鑑真/出版社:岩波書店(岩波新書・新赤版1218)/発行:2009年11月/定価:本体720円+税/ISBN978-4-00-431218-5
ピンバック: road to true