それは綿実か、実綿か?

『資本論』第13章「機械と大工業」のなかで、「綿繰り機」の話が出てきます。

「綿を繰(く)る」というのは、摘み取った棉 ((植物のワタのことを漢字では「棉」と書きます。))(ワタ)の実から種子を取り除いて、綿の繊維 ((棉の実から種子をとった繊維を「綿花」といいます。綿花というのは、棉の花のことではないのでご注意を。))を分離する工程のことです。そもそも綿というのは、棉の種子に生えている毛のようなものなので、糸にする場合には、まず種子をとらなければなりません ((ちなみに、その種子からは油がとれ、「綿実油」(めんじつゆ)と呼ばれます。ちょっと高品質な食用油として市販されています。で、油を搾った種子の残りかすは「綿実粕」として肥料や飼料になります。))。

それを、たとえば新日本出版社の『資本論』では次のように書かれています。

綿紡績業における変革は綿実から綿の繊維を分離するための“綿繰り機”の発明を呼び起こした……(上製版『資本論』、新日本出版社、Ib、661ページ)

しかし、昔、日本近世史のゼミで綿作の話を勉強したときには、摘み取ったままの棉の実は「実綿」(「じつめん」または「みわた」と読む)と言ったはず…。はて、「実綿」なのか「綿実」(「めんじつ」と読む)なのか? 手元にある国語辞典を引いても、「実綿」も「綿実」も出てきません。いったい、どっちが正しいんでしょうか。

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