保谷徹『幕末日本と対外戦争の危機』(吉川弘文館)
幕末の日本には、西洋列強による植民地化の危険があったのかなかったのか? という論争がかつてありました(遠山 ((ウィキペディアの「遠山茂樹」の項をみても、「昭和史論争」は書かれているものの、井上清との論争のことはまったく登場しません(2010年1月27日現在)。))・井上 ((同じくウィキペディアの「井上清」の項には「晩年はしんぶん赤旗に掲載される共産党支持者リストに名を連ねていた」とまことしやかに書かれていますが、これは記事を書いた人の勘違い。同姓同名の別人です。))論争)。最近ではすっかり流行らなくなっていましたが、その論争を受け継いだ骨太の議論を久しぶりに読みました。
幕末の変革運動が「攘夷」という形で広がったことは周知のこと。そして、それが「尊皇」思想と結びついて、いわゆる「尊皇・攘夷」運動となる訳です。普通は、そうした動きの中心になっていた長州藩や薩摩藩が、英仏蘭米4カ国連合軍による下関攻撃や薩英戦争での敗北をへて、「攘夷」の不可能なことを知り、「尊皇・倒幕」へ方向転換していく、というふうに理解されています。
しかし、本書は、この時期に幕府自身が列強に鎖港方針を示していたことに注目。イギリス政府などは、「攘夷」問題は一部過激な大名や藩だけの動きではなく、日本政府そのものの方針だと受け取っていたのであり、そこから、こうした幕府を含めた日本全体の攘夷の動きを押さえるためには、全面戦争も辞さず、武力によって日本政府に厳しく思い知らせる必要がある、という方針に傾いていきます。そのことを、本書は、イギリス政府の外交文書や海軍、陸軍の資料を使って、横浜などの居留民の安全確保をどうするか、兵力はどれぐらい必要か、作戦はどうするか、兵站はどうするか、等々、緻密に、本気で検討されていたことを明らかにしています。
「植民地化」の危機、あるいは民族的危機、という難しい議論はよく分からないという人でも、こうしたイギリス政府の戦争準備の様子を知るだけでも、幕末・明治維新の見方が変わってくるのではないでしょうか。ともかく、おもしろいです。
「あとがき」で著者が次のように書かれているのが、なるほどと思わされました。
一方、攘夷戦争があったからこそ、「攘夷派が士魂を見せた」からこそ、日本は中国と違って半植民地化を免れたのだという議論も根強い。しかし本当には、中国は西洋列強とことごとく戦い、日本の側は決定的な戦争を避けつづけた。(本書、227ページ)
【出版社のサイト】
幕末日本と対外戦争の危機 – 吉川弘文館
【関連サイト】
『幕末日本と対外戦争の危機』保谷徹先生: 三丁目生まれの日記
【書誌情報】
著者:保谷徹(ほうや・とおる、東京大学史料編纂所教授)/書名:幕末日本と対外戦争の危機――下関戦争の舞台裏/出版社:吉川弘文館/発行:2010年2月1日/定価:本体1,700円+税/ISBN978-4-642-05689-2