日中歴史共同研究 報告書が公表されました

日中歴史共同研究の報告書が公表されました。

日中で犠牲者数の認識一致せず : TBS News-i

「南京虐殺事件で認識が一致せず」と報道されていますが、しかし、あくまでそれは犠牲者数。日本側の波多野澄雄、庄司潤一郎両氏の論文でも「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」「日本軍による暴行は、外国のメディアによって報道されるとともに、南京国際安全区委員会の日本大使館に対する抗議を通して外務省にもたらされ、さらに陸軍中央部にも伝えられていた」と明記されています(日本語論文PDFの271ページ)。「集団的」な虐殺があったと明記されていることが重要です。

報告書の全文は、外務省のホームページ↓から。
外務省: 日中歴史共同研究(概要)

日中で犠牲者数の認識一致せず

[TBS News-i : 最終更新:2010年1月31日(日) 18時3分]

 日本と中国の有識者による歴史共同研究の報告書が、公表されました。南京大虐殺の犠牲者数については、中国側が「30万人以上」とする一方、日本側は「20万人を上限」としていて、認識が一致しませんでした。
 公表された日中歴史共同研究の報告書は、時代ごとの全ての項目について、日中双方の論文がそれぞれ掲載されるという両論併記の形となっています。
 焦点の1937年の南京大虐殺を巡っては、日本側も「虐殺」には言及していますが、犠牲者数については「20万人を上限」としたのに対し、中国側は、「30万人以上」としていて見解が分かれました。
 また日中戦争については、中国側が「日本軍国主義による全面的な侵略戦争」と強調し、日本側も「中国の非戦闘員に多くの犠牲を強いた」と記しています。戦後については「現代に直結する問題だ」とする中国側の要請で、報告書への掲載が見送られています。(31日17:31)

戸部良一氏の論文では、「満州」で起きた平頂山事件(1932年)について、「1932 年9 月の平頂山事件のように、ゲリラに通じたとされる住民の虐殺に至るケースもあった」と明記されています(同PDFの248ページ)。

また、華北地域での、中国側から「三光作戦」と呼ばれた作戦についても、「これらの治安強化作戦の重点は、解放区の経済封鎖に置かれるようになり、軍の『現地自活』要求の強まりと相まって、共産党軍のゲリラ戦に対抗するため日本軍による粛正作戦も過酷なものとなり、住民の虐殺や略奪(これを中国側は『三光政策』と呼んだ)の原因となる」と、実際に過酷な「粛正作戦」のなかで「住民の虐殺や略奪」があったことが認められています(波多野・庄司論文、同PDFの277ページ)。

「共同研究」ということになっていますが、発表された報告書をみる限り、共同で研究したと言うよりも、日中双方の研究者による報告をとりあえず並べたという感じ。もちろん、これらの論文がまとめられる過程では、日中両研究者による共同の研究会や討論もあったのでしょうが、共通の歴史認識を作り上げるというにはほど遠い状況のようです。

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