最後まで叙述の拡充に努めたマルクス

少し前から『資本論』第1部、第13章「機械と大工業」の第9節「工場立法(保健および教育条項)。イギリスにおけるそれの一般化」を読んでいます。その中で、今日、いろいろ調べて、わかったことがあります。相変わらず、『資本論』の理論的な本筋には全然関係ありませんが、わかってみると「なるほどなぁ」と思えることばかりでした。

上製版844ページから859ページ、新書版847ページから864ページにかけての部分。この部分は、実は、マルクスがフランス語版(1872年)のさいに大幅に叙述を拡充し、それをエンゲルスが第4版(1890年)のさいに取り入れた部分です。新日本版では、訳注でそのことが指摘されていますが、広い部分に訳注がばらばらに書かれているので、ちょっと分かりにくいところです。

まず、上製版844ページ(新書版第3分冊848ページ)に、本文の段落が始まる前に、次のような訳注があります。

〔以下の叙述は、エンゲルスによりフランス語版からドイツ語第4版に取り入れられた。本訳書、第1巻、46ページ参照〕

もう少しいくと、上製版848ページ(新書版851〜852ページ)に次のような訳注があります。

〔以上がフランス語版から取り入れられた叙述。また、以下の鉱山労働者にかんする叙述と引用は、初版から注であったものを、フランス語版および英語版により、エンゲルスが第4版で本文に組み入れた。本訳書、第1巻、46ページ参照〕

そして、上製版859ページに次のような訳注があります。

〔以上が注から本文に組み入れられた叙述と引用。また、以下の2つのパラグラフは、エンゲルスが、フランス語版および英語版から第4版に取り入れたものであり、その際、第3版までにあったフォーシットなどについての短い一文が削除された。〕

これによって、上製版844ページからここまでの部分が、フランス語版をもとに第4版で拡充された部分だというのが分かるようになっています。

しかし、これだけでは、フランス語版以前にはどうなっていたのか、それに、そもそもなぜマルクスがこれだけの叙述の拡充をやろうと思ったのか、そのあたりがいま一つよく分かりません。

実は、ドイツ語初版〜第3版では、新書版847ページの本文(注(320)と書かれているところ)のあとに、次のような文章がありました。(先ほどの訳注にあった「フォーシットなどについての短い一文」というのは、この文章だったのです)。

現在の調査委員会は同じように、鉱山業の新しい規制を提案した(231)。最後に、フォーシット教授が、下院に(1867年)農業労働者にたいする同じような決議案を提出したが、内閣がイニシアティブをとった。

そして、この削除された注(231)として付けられていたのが、現行版の上製版848ページから859ページまで(新書852ページ〜863ページまで)の文章です。初版〜第3版では、この部分が脚注としてあったほかは、先ほど紹介した削除された文章から、上製版859ページ(新書版864ページの)の「とにかく」以下の2つの段落に続いて、それで第9節はおしまいになっていたわけです。そう思って眺めると、この部分がいかに大幅に拡充されたことがわかると思います。

ところで、なぜこの部分では、このように叙述の拡充がおこなわれたのでしょうか? それを考える手がかりがいくつかあります。

それから、上製版の843ページの3行目から(新書版846〜847ページ)のところ、こんな文章が出てきます。

トーリー党内閣は、1867年2月5日の開院式の勅語のなかで、産業調査委員会の諸提案(319a)を「法案」に作成したと発表した。そのためには、新たな20年間におよぶ“価値低い身体における実験”を必要としたのであった。すでに1840年に児童労働にかんする調査のための議会委員会が任命されていた。……

ここで、思い出してほしいのは、1867年というのは実は『資本論』第1巻初版が刊行された年だということです。マルクスは、1867年4月に、『資本論』第1巻の原稿を出版社であるマイスナーに渡しています。ですから、2月の議会開会の話というのは、本当に原稿の締め切りぎりぎりの出来事だということがわかります。

さらに、ここにつけられた注(319a)には、次のように書かれています。

 (319a)工場法拡張法は、1867年8月12日に通過した。それは、次の諸産業を規制する……。労働時間規制法は、1867年8月17日に通過し、小規模作業場およびいわゆる家内労働を規制している。これらの法律や1872年の新鉱山法などには、第2巻で立ち戻ろう。

この注には、1867年8月の動きまで書かれています。先ほどもいったように、マルクスは、マイスナーに1867年4月に原稿を渡したのに、なぜ8月のことまで書けたのでしょうか?

そのなぞを解くヒントが、上製版で注(319a)の末尾に〔〕でくくって付けられた次のような訳注です。

〔この原注319aは、末尾の一文を除き初版巻末の「補遺」でマルクスにより原注319に追加するよう指示されていた。第2版でも同様に、その巻末の「補遺」で追加の指示がされたが、そのさい末尾の一文が加わり、第3版で独立した注となった〕

つまり、注(319a)の部分は、もともと初版では、巻末の「第1部の注への補遺」に書かれたものだったのです。この「補遺」とは何かというと、4月に原稿を渡して、5月から8月いっぱいか9月初めぐらいまで校正が続くのですが、この間に、マルクスは、巻末に「注への補遺」と、それから有名な価値形態論にかんする「付録」を追加するのです。いまのようにコンピュータのなかった時代ですから、活字を組んでしまったあとで注に文章を追加するなどということは不可能です。それで、巻末にこのような「注への補遺」を追加したわけです。

注(319a)は、このようにして書かれたものだから、マイスナーに原稿を渡したあとの8月の出来事まで書くことができた、というわけです。

注(319a)の末尾には、さらに1872年の新鉱山法の話が出てきますが、この部分は、第2版で、先ほどの「補遺」にさらに追加されたものです。ちなみに、初版の「第1部の注への補遺」は、本来なら第2版をつくるときに本編の注に組み込まれてしかるべきでしたが、大部分が、第2版でも巻末の「第1部への補遺」に残されました(本編への組み込み作業は、エンゲルスが第3版を編集したときにおこなわれました)。

そういうことがわかってみると、この部分は、マルクスが『資本論』の原稿を書いている本当にぎりぎり最後の時期に、目の前ですすんでいた出来事について書かれているということが実感されます。いまでいえば、「派遣切り」や労働者派遣法改正問題のような、まさに目の前で現在進行中の大問題です。だからこそ、マルクスは、最新の動きをできる限り『資本論』に盛り込もうと、最後の最後まで手を尽くしたわけです。

だから、フランス語版を準備しているとき(1872年)に、マルクスは、初版(1867年)いらいの社会の変化のことを考えて、この部分の叙述を補強しなければいけないと思ったのでしょう。とくに、「現在の調査委員会は同じように、鉱山業の新しい規制を提案した」と書かれた部分は、1872年に新鉱山法が成立したのだから、書き換える必要があると思ったに違いありません。そこで、そのくだりを削除してフランス語版で新しい叙述を補った、というのがことの真相ではないでしょうか。

この補充部分の内容は、次のような3つにまとめることができると思います。

  1. 1867年の工場法拡張法と作業場規制法の内容とそれがもつ意義を明らかにした部分。(上製版844ページ〜847ページ本文の4行目まで、新書版848ページ〜851ページ4行目まで)
  2. 鉱山労働にかんする規制の動きとして、1842年の鉱山法、1860年の鉱山監督法、1872年の新鉱山法についてまとめた部分。ここに鉱山労働にかんする旧注(392)を取り入れた。(上製版847ページ本文5行目〜859ページの左から6行目まで、新書版851ページ5行目〜863ページ左から3行目まで)
  3. 農業労働についても、わずか1段落だけだけれども、1867年の農業労働調査委員会の報告を取り上げた。(上製版859ページ最後の5行、863ページ最後の2行〜864ページ3行目まで)

こういうふうに整理してみると、これらの内容は、「補遺」で補足した1867年の工場法にかんする動きと、削除されたフォーシット云々の文章でふれていた鉱山法と農業労働者の問題にぴたり対応しています。マルクスは、けっして、とりあえず1867年以降の動きをなんでもいいから追加したというわけではないことも分かります。

で、面白いのは、この部分を、エンゲルスがフランス語版からドイツ語第3版に取り入れるときに、若干未整理な部分が残ってしまったことです。それは、以下の部分です。

  • 上製版843ページ本文3行目(新書版846ページ最後の3行目)の「トーリー党内閣は」から、847ページ1行目「任命されていた」までの部分。これとほぼ同じ内容が、第4版で追加された上製版844ページ最終行からの段落(新書版848ページの最初の部分)に出てきます。
  • 原注(318)の内容も、第4版追加部分の上製版845ページ8〜11行目(新書版849ページ1〜4行目)に出てきます。

実は、フランス語版では、この2箇所ともありません。マルクスは、そこも整理してきちんと書き直していたのですが、エンゲルスがドイツ語版に取り入れる際には、そうしたところまで気がつかなかったため、こんなダブりができてしまったのです。

それで、この部分がダブっているということが分かったついでに、以下の点にも注意をしておきたいと思います。それは、

  • 上製版843ページ3〜4行目(新書版846ページ左から3行目)に出てくる「産業調査委員会」(これは「工業調査委員会」と訳した方が正しい思う)は、『資本論』で何度も登場している「児童労働調査委員会」のこと。これは、現行版では注記がありませんが、新MEGAで確認できます。
  • 注(319a)に出てくる「労働時間規制法」と、上製版845ページ6行目(新書版848ページ左から2行目)にでてくる「作業場規制法」は同じ法律。この法律の正式名称は「作業場で雇用される児童、年少者および女性のための労働時間規制法」というもので、それをどう略すかが違っているだけです。現在は、「作業場規制法」という呼び方のほうが一般的なようです。

以上、大月版や岩波文庫では、こうした訳注はいっさいありませんので、ますますどうなっているのか分かりにくいだろうと思います。(ヴェルケ版ページ数で、517ページから525ページのあたり)

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