山梨・韮崎市で、日中戦争期に中国で憲兵をつとめていた方が家族に送った手紙424通が見つかり、現在、山梨平和ミュージアム(甲府市)で公開されています。
娘さんのお話では、見つかった手紙の束には、「この便りも吾々の尊い体験として保存するも決して無意味ではなかろう」と書かれた便箋がつけられていたそうです。
粟屋憲太郎氏もコメントされていますが、私も、ぜひ活字化して史料集として出版されることを希望します。
山梨・韮崎市で、日中戦争期に中国で憲兵をつとめていた方が家族に送った手紙424通が見つかり、現在、山梨平和ミュージアム(甲府市)で公開されています。
娘さんのお話では、見つかった手紙の束には、「この便りも吾々の尊い体験として保存するも決して無意味ではなかろう」と書かれた便箋がつけられていたそうです。
粟屋憲太郎氏もコメントされていますが、私も、ぜひ活字化して史料集として出版されることを希望します。
訪米中の共産党の志位和夫委員長が、アメリカ国務省に乗り込み、沖縄・普天間基地は無条件撤去しかないと米政府に申し入れました。
日本の政党のなかで、党首がアメリカまで行って、沖縄の基地撤去を真正面から申し入れたのは初めて。もちろん、対応した米国務省当局者は「海兵隊の沖縄駐留は必要」「沖縄の負担軽減には現行案が一番」という従来の態度を変えませんでしたが、それでも、沖縄県民や日本の声を伝え、アメリカ政府に問題の深刻さ、現行案であれ鳩山首相が考えている一部徳之島移転であれ、そんなやり方では沖縄県民の不満が解消されないということを自覚させるために、大きな役割を果たしたのではないでしょうか。