昨日、志位さんの緊急街頭演説を聴いた後、新宿のタワレコで買ってきたもの。グスターヴォ・ドゥダメル指揮シモン・ボリバール・ユース・オーケストラ演奏の新CD“RITE(祭典)”です。収録されているのは、次の2曲。
- ストラヴィンスキー:春の祭典
- レヴエルタス:マヤの夜 La noch de los mayas
しかし、輸入盤なので、詳しいことはさっぱり分かりません。(^_^;)
2曲目の作曲家、ジルヴェストレ・レヴエルタス(Silvestre Revueltas …正確にはなんと発音するのやら…)については、しばしば「ラテンアメリカのストラヴィンスキー」と呼ばれた作曲家だということぐらいしか分かりません。元々映画音楽の作品なので、ちょっとハルサイとは雰囲気が違いますが、非常にリズミックな作品です。
録音は、2010年2月、カラカス、音楽のための社会貢献活動センター(Centro de Acción Social por la Música)。
ということで、こっち↓が、CD解説に収められているドゥダメルのインタビューのヘッポコ訳。よく分からないところは、テキトーに訳してますので、間違っていてもお許し下さい。
人生のリズム
グスターヴォ・ドゥダメル グイド・フィッシャーとの対話
フィッシャー ドゥダメルさん、ベートーヴェン、チャイコフスキー、マーラーの偉大な5番のあと、あなたは、シモン・ボリバール・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラと、ストラヴィンスキーの「春の祭典」を録音されました。この曲は、近代クラシック音楽の最高峰であり、すばらしいオーケストラさえ汗をかかせる作品です。
ドゥダメル すばらしい作品です。イメージにあふれ、エネルギーがあふれ、もちろん、リズムにあふれています。この作品のすべてのダンスが、若さのこのエネルギーをもっています。――それは、春の始まりです。この曲を若いオーケストラと演奏するというのは、すばらしい組み合わせです。そして、シモン・ボリバール・ユース・オーケストラがもっているラテンアメリカの自由なリズムは、驚くべきものです。あるときは、それは一つの挑戦です。というのは、それは非常に難しい作品、音楽史のなかで新しいモメントを構成する作品だからです。1931年の初演時、「祭典」はまったくのスキャンダルを呼び起こしましたが、それは、この曲が音楽にとっての新しい扉を開いたからでした。この作品をつらぬくリズムは、最初から最後まで1つのラインになっています。そして、このラインを維持すること、コースから外れないこと、エネルギーを終わらせないこと、強い色とリズムの正確さはわれわれにとって大きな挑戦でした。
フィッシャー ストラヴィンスキー自身、幼年期でもっとも美しい瞬間の1つだったと見なしたロシアのすばらしい春について、すっかり夢中になって語っています。たとえば「世界中が噴火したように思える…」と。
ドゥダメル 新しい時代のこのメッセージは、もちろん、若者にとって重要です。若い音楽家たちにとってだけでなく、すべての若者にとって。ベートーヴェンが希望に身を捧げたように、「祭典」は、生命の始まりを祝っています。春がその始まりなのです。もちろん、ベネズエラは夏ばかりで、春はありませんが…。しかし、この音楽を通じて、冬から春へ移っていく、春へのこのアプローチは、始まりに似ており、生命そのものであることが理解できます。私は、いつも、バーンスタインが若いオーケストラと「祭典」を演奏したことを思い出します。あの有名なビデオで、彼は、オーケストラにこう語っています。木々を、花々を思い浮かべて耳を傾けなければならない。それは、まるであなた方が、世界を抱きしめたい、この始まりを、春のこの魔法のような瞬間を抱きしめたいと望んでいるかのように、と。思うに、このことはすべてあなたの人生に結びついています。音楽は人生と別個のものではなく、常に人生とつながっています。私たちがベネズエラでおこなっているこのすばらしいプログラム、「エル・システマ」とともに、音楽の内側のメッセージを受け止めること、演奏に自信を持つことは、私にとっても、若者たちにとっても特別なことです。それがもっとも重要なことなのです。
フィッシャー この間、あなたは、ほかのオーケストラ、たとえばロッテルダムとか、イェーテボリのオーケストラと「祭典」を演奏しています。
ドゥダメル これらの偉大なオーケストラと共演することは魅惑的な経験でした。昨年夏、私はザルツブルクでウィーン・フィルハーモニーと一緒でしたが、彼らは驚くような演奏をしました。しかし、もちろん、私とシモン・ボリバール・ユース・オーケストラとの関係はこの10年、11年にわたって発展してきたものです。私たちは、この作品を、ツアーにでかける前に、たとえば、2009年にロンドンやマドリードやリスボンで演奏したことがあります。もちろん、それ以前にベネズエラ国内で演奏したことも何度かあります。私がミュージシャンとして同じ波長にあるので、彼らは、私が何を望んでいるかを正確に分かっています。そして、このオーケストラの何がそんなにすばらしいかといえば、私があれやこれやの楽節について何を思っているか、滅多に口にする必要がないことです。それ以上に、このオーケストラは単純にその血のなかにリズムをもっています。
フィッシャー あなたが初めてストラヴィンスキーの「祭典」に出会ったのはいつですか?
ドゥダメル この作品とは何度か出会っています。一度目は、私の田舎の町のオーケストラのヴァイオリニストの一人として、演奏しました。それは、私の、オーケストラの一員としての初めてのコンサートでした。私は13歳で、ついでながら〔オーケストラの中で〕一番若かったです。もちろん、それ以前に、少しだけ振ったことがあります。室内楽団で。しかし、大きなオーケストラとの演奏は、私にとって、非常に大きな挑戦でした。それはこんなでした。ワオ―! 私はこの作品と恋に落ちた、すっかり恋に、と。その後、私はベルリンに行き、ベルリン・フィルとサイモン・ラトルが、リズム・イットというプロジェクトをやっていることを思い出しました。そして、私はそこでサイモン・ラトルの助手をして、この作品を研究し、リハーサルの時に、彼を間近に見て、たくさんのことを学ぶ機会を得ました。その結果、そのすべての経験が、私たちのレコーディングに流れ込んでいます。「祭典」の最後の台詞は言われていませんが。カラカスでのレコーディングは、新しいアイディアがいつも加えられ続ける瞬間にちょうどおこなわれました。
フィッシャー 新しいCDの2曲目は交響組曲「マヤの夜」です。この曲は、しばしばラテン・アメリカのストラヴィンスキーと言われているメキシコ人作曲家ジルベステ・レヴェルタスによって作曲されました。
ドゥダメル 彼のもっとも有名な作品はなにかといえば、おそらく、センセマヤでしょう。この曲は、私たちはすでに録音していますが、リズムや音楽的色彩にストラヴィンスキーの影響を聴かないわけにはゆきません。4楽章からなる「マヤの夜」は、もともとチャノ・ウルエタ映画のために、1939年に書かれました。センセマヤの録音はストラヴィンスキーのバレー音楽とぴったり一致しますが、そうはいっても、この作品が宗教儀式やダンス、生け贄をめぐるものだから当然です。私たちにとって、有名な作曲家を、それほど有名でない作曲家と結びつけることは、いつも非常に重要なことです。私にとって、レヴェルタスは、いずれにせよ、ヘイトル・ヴィラロボス、アルベルト・ジナステラなど、ラテンアメリカのもっとも重要な作曲家と並ぶ人物です。ご存じのように、確か、伝説の指揮者エリック・クライバーは、レヴェルタスから、彼の音楽はマーラーの音楽と比較されるだろうという印象を受けました。20世紀のもっとも有名な指揮者の一人であるクライバーから贈られた、最高の賛辞です。
フィッシャー 「マヤの夜」では、とくに最終楽章「魅惑の夜」で、レヴェルタスは、古風に聞こえる、エドガー・バレーズの「未来音楽」を思わせる魔法や自立性を仕掛けています。
ドゥダメル 彼の「マヤの夜」は、さまざまな影響の混合物です。パーカッション奏者が変奏楽章「魅惑の夜」で即興演奏するとき、あなたは、ちょうど儀式の暗い気分の真ん中にいる気分を感じるでしょう。それから、レヴェルタスがフォルクローレに何を感じていたかを聴くことができるでしょう。第2楽章「祭りの夜」の熱気は、メキシコのマリアッチ音楽を思い起こさせます。そして、あなたが聴くメロディーは、フォルクローレ、赤ん坊を泣かせるために揺り動かすことのできるような子守歌の単純さをもっています。それでも、ストラヴィンスキーのように、支配しているのはリズム、マヤの神であれ春の神であれ、神をいい気分にさせるためのリズムです。
いちおう、Wikipediaの英語版には、ジルヴェストレ・レヴエルタスの項目があります。
Silvestre Revueltas – Wikipedia, the free encyclopedia
Wikipedia日本語版にも、項目がありました。
CD情報はこちら↓。国内版は6月23日に出るようです。
Stravinsky: Le Sacre du Printemps; S.Revueltas: La Noche de los Mayas – TOWER RECORDS ONLINE