的場昭弘氏(神奈川大学教授)の翻訳で、『共産党宣言』の新しい翻訳が出ています。
これまで様々な翻訳が出版されてきた『共産党宣言』ですが、なぜ的場氏は新訳を出版したのか? 同書は表紙に小さい文字で「初版ブルクハルト版(1848年)」と書かれており ((奥付でも書名は「新版 共産党宣言 初版ブルクハルト版(1848年)」となっている。))、そのことについて、的場氏は「凡例」で次のように説明しています。
翻訳のテキストは、『共産党宣言』(『宣言』)の初版とされるブルクハルト版全23頁のものを使用した。第5篇研究篇の歴史で述べるように、この初版にも数種類のバリアントがある。これまで邦訳されてきたものの多くは1933年のアドラツキー版旧メガ(Marx Engels Gesamtausgabe)所収のものからの翻訳である(最近の浜林正夫監修版、大月書店、2009年ではかつて初版といわれ、今では第2版といわれる30頁版が使用されている。……) 〔同書、11ページ、強調は引用者〕
つまり、「これまで邦訳されてきたものの多く」は30ページ本を底本としていたのにたいして、自分の新訳は23ページ組みの「ブルクハルト版」を底本にしている。そこに新訳の意味があるというのです。
しかし、いわゆる23ページ本にもとづく邦訳といえば、東北大学の服部文男氏が、1989年1月に新日本出版社から新日本文庫の1冊として出版したものがすでにあります ((服部氏が底本とした23ページ本が「ブルクハルト版」であることは、新日本文庫40ページに掲載された『共産党宣言』の表紙写真から確認できる。))。同氏の翻訳は、その後、1998年に同じ新日本出版社から「科学的社会主義の古典選書シリーズ」の1冊として刊行され、現在も入手可能です。
それにもかかわらず、この画期的な服部文男訳 ((服部文男氏の訳業は、「共産党宣言」各国語版の序文を、それぞれ発表された各国語から直接翻訳したという点でも、従来の翻訳史にはない画期的な意義をもつ。たとえば、1890年ドイツ語版には、エンゲルスが元のドイツ語版原稿を紛失したためロシア語からエンゲルス自身が翻訳しなおしたロシア語版序文が引用されている。従来は、この部分は、その後発見された原稿にしたがってドイツ語から翻訳されていたが、服部氏はロシア語版の序文を使って日本語への翻訳を行われ、たとえばドイツ語原稿では「プロレタリア革命」となっている部分がロシア語では「労働者革命」となっていたこと(そのことは訳注で指摘されている)など新しい事実が判明した。また、ポーランド語版序文では、従来の各種翻訳ではドイツ語にしたがって「ブルジョアジーの仕事をプロレタリアートにさせた」と訳されていた部分が、ポーランド語では文字どおり「火中の栗を拾わせる」となっているとして、その通り日本語に訳されている。))は、的場氏の新訳では一言も言及されていないのです。
たとえば、的場氏は「はじめに」で、これまでの邦訳にふれて、次のように述べています。
……翻訳の方では、日本では『宣言』の岩波文庫の大内兵衛訳や大月書店の国民文庫、そして最近では水田洋訳(講談社学術文庫)の復刊、浜林正夫監修版(大月書店)や筑摩書房マルクスコレクション(第II巻所収)などもでいて、比較的簡単に入手可能なものである。〔同書、6ページ〕
邦訳史ということでいえば、塩田庄兵衛氏の手による翻訳(角川文庫刊、1959年) ((もとは志保田博彦のペンネームで新社会社から1946年に刊行されたもの。同訳は戦後の最初の新訳になる。的場氏が気づいているかどうかは分からないが、『新訳共産党宣言』の第三編「『共産党宣言』序文」の扉写真(223ページ)には、この志保田訳・新社会社版の『共産党宣言』も写っている。))もありますが、それはともかく、ここまで各種邦訳があげられているにもかかわらず、ここでも服部文男氏の翻訳はまったく登場しません。それにもかかわらず、「これまで邦訳されてきたものの多くは」という書き方がされているのを見ると、分かっていながら、わざと服部訳を無視しているとしか思えません。
『共産党宣言』の初版といわれるものに、23ページ版と30ページ版がある ((23ページと30ページという大幅なページ数の違いが生まれた理由を服部氏は、1行あたりの文字数が30ページ本の方が少なく、1ページあたりの行数も23ページ本が53行にたいし30ページ本が47行と少ないこともあるが、なにより30ページ版の方が各節(I、II、などの)ごとに改ページをしているからだと説明されている。服部文男『マルクス探索』新日本出版社、1999年、109ページ。))ことは、旧来の邦訳でも指摘されていました ((たとえば大内兵衛・向坂逸郎訳『共産党宣言』岩波文庫の凡例を見よ。))。しかし従来は、30ページ版の方が正確だという理由で底本とみなされていました。
ところが服部文男氏は、「マルクスやエンゲルスはむしろ23ページ本に拠ったとみられる」(服部文男、新日本文庫「解説」)として、「あえて従来の慣行に反して、『宣言』誕生の最初の姿を読者に伝えよう」(同前)と思って、23ページ本を底本とした翻訳を初めて行われたのです。マルクスが23ページ本に依拠していたというのは、具体的には、マルクスが『資本論』で2カ所引用している『共産党宣言』のページ数は23ページ本のページ数である、という事実を指しています ((服部文男「『共産党宣言』の誕生」、前出『マルクス探索』所収、初出は『経済』1998年2月号。))。
ともかく、23ページ本と30ページ本のどちらを底本とすべきかという問題で、23ページ本に依拠すべきことを広く明らかにしたのは、この服部文男氏の訳業をもって嚆矢とすべきことは明らかです。的場氏は、どうしてその服部氏の訳業に触れないのでしょうか。
的場氏が、もし服部文男氏の翻訳について知らなかったとすれば、それは『共産党宣言』の翻訳史を問題にして新訳を世に問う資格が問われることになります。そうではなくて、服部文男氏の訳業を知っていながら、あえてそれに触れなかったのであれば、研究者としての資質が問われることになります。『共産党宣言』の新訳を出すことは自由ですが、他人の業績を無視するのは研究者としては許されません。
「…の多くは」などという曖昧な言葉でごまかしてもらっては困ります。
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