1963年に刊行された中木康夫氏の『フランス絶対王政の構造』(未来社)。
絶対主義は、没落しつつある封建領主と勃興しつつあるブルジョアジーとの均衡の上に成立したとする「均衡」論を、フランス絶対王政(アンリ4世の即位によるブルボン王朝の成立=1589年〜フランス革命まで)の実証的研究によって、根本から批判したもの。
土地の移動が事実上自由化され、それを基礎に旧来の領主的土地所有が後退して、地主的土地所有が拡大するが、それには、資本主義的な要素はなく、旧来の封建的所有関係と同じように、直接的生産者である農民の剰余労働全体を「地代」として収奪するという(著者はこれを「半封建的土地所有」と呼ぶ)。つまり、地主的経営といっても、寄生的関係であって、いわゆる地主手作り経営とは異なるようだ。土地にたいする封建的所有関係が階層化して地主的所有権が成長・発展するというのは、たとえば、日本中世での「職(しき)」の体系のような事態を考えればよいのだろうか。近世史研究の分野では、畿内農村で地主手作り(富農)経営が発展するが、それは根本的には封建地代(年貢)によって制約されていて、下人・年季奉公人が日傭に転換していくにつれて、地主手作り経営は赤字となり、地主的発展は阻止され、寄生地主化していくことが明らかにされている(山崎隆三『地主制成立期の農業構造』)。しかし、日本の場合は、いくら都市特権商人が大名に大金を貸し付けていても、そこから特権商人が領主化するという事態は生まれなかった。領主制に取って代わるような地主的土地所有とは、どう考えたらよいのだろうか。
ただ、16世紀に登場し、高等法院を独占した大地主、都市特権商人出身の新領主層の物質的基礎を「半封建的土地所有」と呼ぶのには、どうしても違和感がつきまとう。「半封建的」といわれると、やはり資本主義に移行したあとに、形をかえつつ残された封建的な土地所有関係というイメージがする。
旧領主=純粋荘園制、新領主=「半封建的土地所有」という区別は、フランスの場合はともかく、イギリス絶対主義にも見られる現象なんだろうか?
などなど、疑問山積。いずれにしても、絶対主義下の農業構造については、もう少し実態的なところを調べてみる必要がありそう。