奈良県の牽牛子塚古墳の発掘調査で、8角形に石が敷かれていたことが確認されたというニュース。これで、同古墳が斉明天皇陵であることがほぼ確定しました。
宮内庁が天皇・皇族の陵墓に指定した古墳は、研究者による発掘調査も不可能。しかし、牽牛子塚古墳は、別の古墳が斉明天皇陵に指定されているため、このように発掘調査ができて、今回のような貴重な発見につながった訳です。この際だから、他の陵墓についても、ぜひ科学的な調査・発掘ができるようにしてもらいたいものです。
八角形墳、斉明天皇陵か 明日香・牽牛子塚古墳
[asahi.com 2010年9月10日]
大化改新で知られる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=天智天皇)の母、斉明(さいめい)天皇(594〜661)の墓との説がある奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(国史跡)が、当時の天皇家に特有の八角形墳であることが確認された。明日香村教育委員会が9日、発表した。墳丘全面が白い切り石で飾られ、内部の石室も巨大な柱状の切り石で囲われた例のない構造だったことも判明。斉明天皇は巨石による土木工事を好んだとされ、被葬者が同天皇であることがほぼ確実になった。
明日香村教委は、飛鳥地方の古墳群と藤原宮跡の世界遺産登録に向け、牽牛子塚古墳を昨年9月から調査。墳丘(高さ約4.5メートル)のすそは上からみると八角形状に削られており、北西のすそから3辺分の石敷き(長さ約14メートル)が見つかった。縦40〜60センチ、横30〜40センチの凝灰岩の切り石が石畳のように3列(幅約1メートル)にすき間なく並べられており、八角形になるように途中で約135度の角度で折れ曲がっていた。
墳丘は対辺の長さが約22メートルで3段構成だったと推定され、石敷きの外側に敷かれた砂利部分を含めると約32メートルに及ぶという。三角柱状に削った白い切り石やその破片が数百個以上出土し、村教委は、これらの石約7200個をピラミッド状に積み上げて斜面を飾っていたとみている。
また、墳丘内の石室(幅5メートル、奥行き3.5メートル、高さ2.5メートル)の側面が柱状の巨大な16の安山岩の切り石(高さ約2.8メートル、幅1.2メートル、厚さ70センチ)で囲まれていたことも確認された。
過去の調査では、石室が二つの空間に仕切られていたことが判明している。斉明天皇と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)を合葬したと記された日本書紀の記述と合致するほか、漆と布を交互に塗り固めて作る最高級の棺「夾紵棺(きょうちょかん)」の破片や間人皇女と同年代の女性とみられる歯などが出土していた。
これまでの発掘成果と合わせ、「一般の豪族を超越した、天皇家の権威を確立するという意思を感じる。斉明天皇陵と考えるほかない」(白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長)など、専門家らの意見はほぼ一致している。
一方、宮内庁は同古墳の西に約2.5キロ離れた円墳の車木(くるまぎ)ケンノウ古墳(奈良県高取町、直径約45メートル)を、文献や伝承などから斉明天皇陵に指定。「墓誌など明らかな証拠が出ない限り、指定は変えない」(福尾正彦・陵墓調査官)としている。