第1次世界大戦でのドイツの賠償金といえば、世界史の教科書に出てきた、遠い昔の話だと思っていたら、いやいや、まだドイツは支払っていたんですねぇ。
当初の賠償額は1,320億金マルク(帝国マルク)でしたが、戦後のハイパー・インフレで紙幣価値が大幅に下落(賠償額は兌換停止前の金マルクで取り決められていたことに注意)して、ドイツ政府は支払不能におちいりました。そこで、1924年にいったん「ドーズ案」が合意されましたが、それも6年で破綻。1930年に合意された「ヤング案」によって、賠償額は358億金マルクに減額され、58ヵ年賦となりました。さらに1932年には賠償額が30億金マルクにまで減額されましたが、1933年に首班となったヒトラーは支払いを拒否。第2次世界大戦後も東西分裂によって支払いがとまっていたようです。
第1次大戦賠償金、やっと完済…終結92年後
[2010年10月3日20時28分 読売新聞]
【ベルリン=三好範英】ドイツ政府は3日、第1次世界大戦(1914-18年)の後始末を決めたベルサイユ条約でドイツが科された賠償金のうち、最後まで残っていた7000万ユーロ(約80億円)の支払いを終えた。
大戦終結から92年後の完済は、第2次大戦後の分断を克服した東西ドイツ統一から20周年の記念日に行われることになった。
DPA通信によると、支払われたのは、ベルサイユ条約発効後に、賠償額の軽減を定めたドーズ案(24年)とヤング案(30年)に基づく公債の利子分。
33年に発足したナチス政権が賠償支払いを拒んだことと、第2次大戦後も分断国家となり、ロンドン協定(53年)で、ドイツ統一までは支払いを猶予することが定められたため、一部は返済されないままになっていた。