奄美大島で1日で600ミリを超える大雨が降り、あちこちで大きな被害が出ているようです。
テレビカメラが現地に入り始めたようですが、新聞記事では、「朝日新聞」夕刊に載っていた朝日新聞奄美支局長・斎藤徹記者の記事が、20日朝から取材に入った様子を「私」という一人称も使いながら描いていて、みずから体験した豪雨の恐ろしさをリアルに伝えています。
取り残されたお年寄りら、体震わせうめき声 奄美豪雨:朝日新聞
インターネットで配信されている記事は、午後3時過ぎ(20日)に携帯電話がつながらなくなったところまでですが、夕刊には、そのあと、住用支所近くの体育館で一夜を過ごし、翌日、土砂で埋まった城(ぐすく)トンネルを通り抜けて、名瀬にたどり着くところまで記事が載っています。
取り残されたお年寄りら、体震わせうめき声 奄美豪雨
[asai.com 2010年10月21日13時16分]
記録的な大雨に見舞われた鹿児島県奄美地方。道路が冠水し、通信手段の途絶えた現場ではお年寄りが身を寄せ合うように避難していた。奄美支局長として現場で取材していた私も救助に加わった。(斎藤徹)
20日午前、奄美大島南部の瀬戸内町で起きた土砂崩れ現場の取材に向かった。支局のある奄美市名瀬に戻る途中から雨が激しくなり、車のワイパーを最大にしても前が見えないほどだった。同市住用(すみよう)町付近を通った午前11時半過ぎには、国道58号はところどころで冠水する程度だった。
正午過ぎになると土砂を含んだ濁流が道路に流れ始め、車で前へ進むことができなくなり、マングローブ原生林付近の高台にある店の駐車場に。そこでは同じように足止めをくらった車20台ほどが止まっていた。 近くで大規模ながけ崩れが起き、車で進めなくなった。2時間待っても雨がやまない。写真を出稿しようと同市住用総合支所まで歩いて向かった。途中、道の駅「奄美大島住用」には観光バスを含む約30人が避難していたが、駐車場はすでに冠水していた。
「助けてください。手を貸してください」
濁流の中、完全に冠水した道路で胸の辺りまでつかりながら、支所を目指す途中、こう声をかけられた。茶色い濁流と化した住用川の岸辺にあるグループホーム「わだつみ苑」に入所者のお年寄り数人が取り残されているという。
現場に急ぐと、地元の消防隊員や駐在員、市役所職員らが協力して、1階が冠水しつつあった施設からボートやカヌーを使ってお年寄りを救助していた。立ち往生していた車の運転手らに加わり、お年寄りを安全な場所に避難させた。救助できたのは9人。皆、体を震わせ、小さなうめき声を上げていた。そのうち2人はすでに息をしていない様子だった。トラックに乗せて近くの食堂「よってみ亭」の1階に搬送した。そこには地元の診療所の看護師や近くに住む主婦らがいて、ストーブで暖めながら、お年寄りを介抱していた。
午後3時過ぎには携帯電話が不通になり、集落は孤立無援となった。住用総合支所付近は特に冠水がひどく、消防隊員や市役所職員が建物2階に避難している人をロープやカヌーで搬送し、懸命な救助活動が続いていた。付近には濁流にのみこまれひっくりかえった車がいくつもあった。救助作業を見守る人々は「今日中には帰れそうもない」とため息をついていた。
私の携帯電話も通じなくなり、出稿どころか連絡もできない状況になった。
まだ今夜も奄美地方はかなりの雨が降るとのことです。これ以上の被害が広がらないことを願ってやみません。取材のみなさんも、くれぐれも安全にはご注意ください。