読売新聞「時代の証言者」で、共産党・不破哲三氏のインタビューが連載されていますが、その第14回(11月20日付)で、1970年2月27日の衆議院予算委員会での初質問の話が紹介されています。
そこで不破さんが取り上げたのは、公明党・創価学会による「言論出版妨害事件」。不破さんは、「野党の公明党にかかわることなので、政府への質問としてどんな角度から取り上げるかは、なかなかの難問でした」と語っています。
それで、このときの不破さんの質疑を読んでみたいと思って、議事録をインターネットで検索してみました。国会議事録は、いまはインターネットで簡単に検索できます。とは言ってもちょいと面倒なので、関連部分をダウンロードしてPDFファイルにしてみました。380KBほどありますが、興味のある方はどうぞ。
議事録を読んでみると、不破さんがこの「難問」にどう取り組んだのかよく分かります。
まず不破さんは、言論・出版の自由は民主主義の基本だ、だからそれがいかなる勢力、団体によって侵害されたとしても、それが放置されれば民主主義が根本から脅かされることになる、と問題の基本的な意義づけを明確にした上で、その出版妨害事件に国会議員が関与していることを問題を取り上げて、だから国会でその真相を明らかにする必要があると、不破さんがこの問題を取り上げる立場を明確にしています。こう言われると、「それは野党の問題だから、政府は関係ない」とは言えませんねぇ。
そのうえで具体的な追及では、まず不破さんは、自民党の当時の幹事長・田中角栄氏が藤原弘達氏に「口利き」をしていたことを質問して、佐藤首相が田中幹事長のやったことは「よけいなおせっかい」と言ったことをとらえて、一つ一つ理詰めで問題の本質に迫っています。佐藤首相にしても、「よけいなおせっかい」と言った以上、はっきり認めなくても、ともかく悪いことだとは思っているわけだから、不破さんの追及にたいして、「何の問題もない」とは答えられない訳ですね。
いやあ、不破さんって、やっぱり、このころから冴えてたんですねぇ。お見事です。(^_^;)
ところで、読売新聞によれば、この「出版妨害事件」というのは、「評論家の藤原弘達氏が69年、公明党の支持母体の創価学会に批判的な著書を刊行した」ことにたいする「出版妨害」事件で、「公明党が70年に『政教分離』を宣言するきっかけの1つになった」とされるもの。
しかし、不破さんと佐藤栄作総理大臣(当時)とのやり取りだけからでも、それがちょっと圧力をかけたというような生易しい問題でなかったことがよくわかります。さらに公明党が、藤原弘達氏の本以外にも、創価学会批判の本が出されようとすると、出版社が取次ぎから予約注文をとるために用意されたゲラのコピーを手に入れて、「ここをこう書き直せ」と働きかけたり、公明党・創価学会に批判的な人物を番組に出すなとテレビ局に圧力をかけたりしていたことが生々しく取り上げられています ((これらの事件は、不破さんが質問のなかで取り上げただけですが、公明党から「事実無根だから議事録から削除せよ」とは言われなかったわけですから、それが事実であったことは当の公明党も否定できなかった、ということです。))。
公明党・創価学会は、このとき、池田大作会長(当時)が「猛省」を表明して、70年には「政教分離」を宣言したのですが、さて、その体質は本当に変わったといえるのでしょうか。
池田大作氏の「猛省」発言については、こちらをご参照あれ。
創価学会・池田大作氏に問う 31年前の「猛省」は世をあざむく虚言だったのか 不破哲三(「しんぶん赤旗」2001年7月22日付)
他方で、不破さんは、この質問のなかで、政党はお互いに公然と国民のあいだで活動するのであり、お互いに批判をしたり、国民の批判を受けたりする、そのときに不当な批判を受けることもあるだろうが「これに言論で反批判する、これは当然政党政治の民主的な態度だ」と述べています。社会主義、共産主義というと「言論の自由がない」というように思っている人が多いけれど、共産党は、このときから、どんな批判であれ「言論での批判には言論で答える」という立場をはっきりさせていたんですね。当たり前のことですが、共産党が「自由と民主主義の宣言」を発表するのは1976年。この段階で、ここまで明確に発言していたことに注目しておきたいと思います。
日本にいま多くの政党が――多くといっても五つでありますけれども、五つの政党がある。すべての政党がお互いに公然と国民の間で活動し、互いに批判をし合いながら、国民のあらゆる批判を受ける。不当な批判を受ける場合にはこれに言論で反批判をする、これは当然政党政治の民主的な態度であります。