「日本経済新聞」2日付の「私の履歴書」で、ペリー元米国防長官が、1994年に、当時の細川・羽田両連立政権にたいし、朝鮮半島有事の際にすべての在日米軍基地施設を米軍が自由に使用できるかどうか「確認」を求めていたことを明らかにした。
当時は、北朝鮮の核開発をめぐって、一時アメリカ政府が核関連施設の空爆まで考えたといわれる時期だが、アメリカにとって何より大事なことは、在日米軍基地が「自由に使える」かどうかだということがよく分かる。
「在日基地、すべて自由に使えるか」 94年、米が確認要請:日本経済新聞
「在日基地、すべて自由に使えるか」 94年、米が確認要請
[日本経済新聞 2010/12/2 4:00]
ペリー元米国防長官が明かす
1994年春の朝鮮半島危機の際、対北朝鮮軍事計画の陣頭指揮を執ったペリー元米国防長官は2日付日本経済新聞の「私の履歴書」で、当時の細川・羽田両連立政権に対し朝鮮半島有事の際、すべての在日米軍基地施設を米軍が自由に使用できるか「確認」を求めていたことを明らかにした。朝鮮半島情勢が緊張するなか、ペリー氏の証言は日本の民主党政権に有事に備えた「高度な政治的決断」を促す材料になりそうだ。
ペリー氏は北朝鮮が韓国に侵攻した場合の戦争計画で「最大の懸念は日本の対応だった」と回想。具体的には「(有事の際に)青森・三沢から沖縄・嘉手納まで、米軍施設をフルに活用しなければならないと思った」と述べ、在日米軍基地の使用を含む幅広い日本の後方支援活動で、米国が一定の不安を覚えていたことを認めた。
当時、クリントン政権は北朝鮮に核開発計画の放棄を迫るため、在韓米軍に数万人規模の兵力を増派する計画を水面下で作成。有事対応の一環として、日本の支援確約を求めたという。
ペリー氏は「当時、私が求めようとしたのは自衛隊による戦闘参加ではなく、在日米軍基地の使用許可だけだ」と強調。日米安全保障条約では朝鮮半島などでの「周辺有事」の際、米国による在日米軍基地施設の使用を認めているが「日本政府に説明し、全面的な理解を得なければならないと考えた」と言明した。