もやっと、もやっと… インキネン×日フィル×マーラー

日フィル第626回定期演奏会(2010年12月10日)

今朝は、寝過ごした!と思って目が覚めたにもかかわらず、体がさっぱり動かず、もがき苦しんだあげく、時計を見ると午前2時半…。それをしっかり確かめたにもかかわらず、まだ、寝過ごした、急いで起きなくちゃ…と真剣に焦りまくって、なんでこんなことをやってるんだろう? と思ったところで、目が覚めました。要するに夢か寝ぼけたかなんでしょうが、すっかり目が覚めてしまい(目が覚めてから時計を見たら、やっぱり午前2時半でした)、まったくの寝不足の一日でした。(- -;)

で、ふらふらのまま仕事をして、そのままふらふらしながら、サントリーホールへ。日フィルの定期演奏会です。

 シベリウス:組曲《クリスティアン2世》 op.27
 マーラー:交響曲第1番 ニ長調 《巨人》

プログラムノーツ(奥田佳道氏)によると、1曲目は、シベリウスが交響曲第1番の創作と重なる形でつくった組曲。クリスティアン2世は実在の国王で、宮廷に召し抱えられたオランダ市民の娘を愛し、スウェーデンの貴族たちに反対されたために、1520年、彼らを大量処刑したという ((このころデンマーク、ノルウェー、スウェーデンは同君連合がつくられていた。中央集権化を嫌うスウェーデンの貴族たちを、クリスティアン2世は1520年にようやく服属させた。そして、戴冠式の宴のさいに、多数の反国王派の貴族たちを捕らえ処刑した。しかし、それがかえって反発を生み、スウェーデンは1523年に同君連合から独立する。クリスティアン2世は、北欧の中世社会から絶対王権が生まれてくる過程の1コマに位置づけられている。))。それを、シベリウスの親友で劇作家のアドルフ・パウルが「悲恋もの」の歴史劇にしたて、それにシベリウスが7曲の劇付随音楽をつけたという。それを再構成したのがこの組曲。

なるほど、木管の使い方や、弦の響かせ方にシベリウスらしさを感じましたが、しかし、のちのシベリウスの交響曲に比べると、その「シベリウスらしさ」もどこかあっさりしていて物足りないまま。日フィルは、この間何度も書いているように、弦がとてもきれいに響くようになったのですが、しかし、今日は、こじんまりとお行儀よく演奏しているだけで、なにか日フィルらしさが感じられないまま、終わってしまいました。

後半は期待のマーラー交響曲第1番。第1楽章の出だしの弱音部分でも、日フィルの弦は、乱れず確度の高い音を出していました。しかし、そのあとどこまで行っても、マーラーの、どろどろして、あふれ出る先を探し求めてのたうち回るような「何か」が感じられません。舞台袖から聞こえるバンダとの掛け合いも、ただ交互に鳴っているだけで、そこから「何か」が生まれ出てこない。弦が音をずりあげるようなところでも、インキネンは、さらっとやってしまって、音としては非常にきれいなのですが、やっぱりマーラーらしくありません。最後、ホルンやトロンボーンを立たせて咆吼させるなど、きらびやかに盛り上げるところは盛り上げているんですが、しかし、やっぱり「何か」が足らないため、最後カタルシスを味わうことなく、こちらも、もやっとしたままで終わってしまいました。

日フィルの演奏って、もっとエネルギーを横溢させて、爆発させるところがあって、それが魅力だったはずなのですが、きれいが音が出るようになった代わりに、そのあふれるエネルギーがどこか消えて無くなってしまったのでしょうか。それとも、インキネンの指揮に押さえつけられてしまったのか。ともかく、らしくありません。

まあ、寝不足のせいで、僕だけがそんな印象をもったのかも知れませんが、ブラボーの歓声が飛ぶ中、これはいったい何なんだろう? と思って、帰ってきました。

本日のコンサートは録音がおこなわるとのアナウンスがありましたので、そのうちCD化されるでしょう。

【関連ブログ】
私ほど酷評ではありませんが、私が物足りないと感じたのと共通する「何か」を指摘をされている方がいることは確かなようです。

2010/12/10 日フィル定期(インキネン): 日記(新)
東条碩夫のコンサート日記 12・11(土)ピエタリ・インキネン指揮日本フィルハーモニー交響楽団

【演奏会情報】 日本フィルハーモニー交響楽団第626回東京定期演奏会
指揮:ピエタリ・インキネン(主席客演指揮者)/コンサートマスター:扇谷泰朋/ソロチェロ:菊地知也/会場:サントリーホール/会場:2010年12月10日 午後7時

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