『剰余価値学説史』はどう読めばよいのか(3)

『1861-63年草稿』220ページ(MEGA II/3.2 S.335)

さて、『剰余価値学説史』の続き。大月書店『資本論草稿集』第5分冊の170ページから。

マルクスは、「今度は、スミスについて考察すべき最後の論点――生産的労働と不生産的労働の区別――に移る」と書いているが、こんなことを書きながら、{}で括りながら、「あらかじめ、前述のことについてもう1つ」といって、再生産論にかんする書き込みをしている。ここで注目されるのは、次の部分。

年々の労働の生産物がそのうちの一部分をなすにすぎないところの年々の労働生産物が、収入に分解する、というのはまちがっている。これにたいして、年々の個人的消費に入っていく生産物部分が、収入に分解する、というのは正しい。(170ページ下段)

後半の「年々の個人的消費に入っていく生産物部分が、収入に分解する」というのは、再生産表式を使って説明すると、こういうこと。

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またもや歴史研究者には必読文献が

『歴史評論』2011年1月号 ((『歴史評論』は、歴史科学協議会が編集・発行する月刊の会誌です。))に、宮嶋博史氏が「方法としての東アジア再考」という論文を書かれています。岩波新書の「シリーズ日本近現代史」(全10冊、2006〜2010年)を取り上げたものです。同シリーズを取り上げた論評は、宮地正人氏の『通史の方法』(名著出版、2010年)を除くと、初めてだと思います。

宮嶋氏がこの論文でいちばん大きな問題として取り上げられているのは、第7巻『占領と改革』(雨宮昭一氏)です。その部分の見出しが「研究者のモラルについて」になっているのですから、その批判がどれほど厳しいか、わかるのではないでしょうか。

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