映画「扉をたたく人」

扉をたたく人

今月28日で閉館になる恵比寿ガーデンシネマで、これまでスクリーンにかけてきた作品をリバイバル上映していますが、先日、映画「扉をたたく人」を見てきました。2009年に公開されたときは、残念ながら見逃していたものです。

ストーリーなどは、こちらを↓。
映画『扉をたたく人』(原題:the Visitor)公式サイト

原題は The Visitor。ウォルターがNYの自宅に久しぶりに帰ったら、そこにやってきていたという意味でも、タレクたちはVisitorですが、海外からアメリカにやってきた Visitor でもあります。そして、その Visitor たちが、9・11後のアメリカ政府やアメリカ社会のあり方はそれで良いのかと問いかけ、扉を叩いている。そんな作品でした。(今年4本目)

妻を亡くして以来すっかりやる気をなくし、人間嫌いになっていたウォルターが、タレクと出会うことでふたたび心を開いてゆくのですが、そのぎこちなさが実にほほえましい。しかしそれ以上に感動したのは、タレクが逮捕されたときにウォルターが逃げ出さなかったこと。ウォルターからみれば、タレクは自分のうちへの「不法入国者」であり、コネティカットの大学へ戻ってしまえば関係なしですむ話なのですが、彼はそうせずに大学の用事をキャンセルしてまで毎日拘置所に通ってゆきます。結局、その努力は実らないわけですが、ともかく一生懸命に走り回る様子が偉いなぁと思いました。それから、とても印象に残ったのは、タレクの母親の毅然とした姿。

あと、同じニューヨークといっても、ウォルターの住んでいるところと拘置所のある街との落差が大きかったことも、ちょっとショックでした。入管の職員がみんなアフリカ系アメリカ人だったのは偶然なんでしょうか。

昔少し研究者の世界に身を置いたことがある人間としては、ウォルターが、前年のシラバスの年数のところだけホワイトで修正している様子や、映画のなかで描かれる経済学会の議論のつまらなさそうなことなども、むふふと思いながら見てしまいました。そして、アメリカで白人たちが論じる「開発経済学」にどれほどの意味があるのか、そんなことに気づいてしまったら、このあとウォルターは、はたしてアカデミズムの世界に戻ってゆけたんだろうか、と、ラストシーンを見ながら余計なことも心配してしまいました。

【映画情報】
監督: トム・マッカーシー/出演: リチャード・ジェンキンス(ウォルター)、ヒアム・アッバス(タレクの母)、ハーズ・スレイマン(タレク)、ダイナ・グリラ(ゼイナブ)/2008年、アメリカ

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