1月は、先日の読響第500回定期のあとも3つばかりコンサートを聴きましたが、いささか疲れてしまって、記事をアップするのがすっかり遅くなってしまいました。
ということで、3本まとめていきます。(^_^;)
上野の文化会館で都響の定期演奏会を聴くのは久しぶり。この日は別宮貞雄氏のプロデュースによる「日本管弦楽の名曲とその源流」シリーズの第12回ということで、プログラムはいわゆる現代音楽ばかり。
- 西村朗:サクソフォン協奏曲「魂の内なる存在」(1999)
- ジョリヴェ:ハープと室内管弦楽のための協奏曲
- 西村朗:幻影とマントラ―オーケストラのための(2007)
- ジョリヴェ:ピアノ協奏曲
会場に着くとプレトークをやっていたが、しゃべっていたのは西村朗、片山杜秀という先日の読響アフタートークと同じ顔ぶれ。西村氏は、西洋のクラシック音楽は背骨が立っているが、自分の作品は水中を横に泳ぐ生物のようなもの、とこれまた読響のアフタートークと同じことを話していた。どんな曲を作るのも作曲家の自由だが、それを聴かされる身にもなってほしいとも思う。とくに、1曲目は、ジャズならとっくの昔からやっているようなことを、クラシック音楽としてやることにどんな意味があるのだろうか、と、いささかささくれだったサキソフォンの音に辟易しながら思って聴いていた。それにくらべれば、まだ後半の「幻影とマントラ」の方が聴きやすかったが、いずれにせよ西村氏の音楽は苦手だ。
それにたいして、2曲目、4曲目のジョリヴェの作品は、初めて聴く曲。ハープ協奏曲の方は、20分足らずの作品だが、ハープがほとんど弾きっぱなしというめずらしい曲。ただ、吉野直子さんの演奏はやや硬く感じられたのが残念。ピアノ協奏曲は、フルオーケストラとピアノが真っ向勝負という感じで、大変エネルギッシュな演奏だった。メシアンとほぼ同世代のフランス人作曲家で、2曲とも1950年代はじめの作品だが、もっともっと演奏される機会があってもいいのではないかと思った。
演奏が終わって外へ出てみると、みぞれ交じりというか、あられ交じりのような冷たい雨が降っていた。
【演奏会情報】 東京都交響楽団第711回定期演奏会Aシリーズ
指揮:ヨナタン・シュトックハンマー/サキソフォン:須川展也/ハープ:吉野直子/ピアノ:永野英樹/コンサートマスター:四方恭子/会場:東京文化会館/開演:2011年1月24日 午後7時
新日フィルの定期は、「まつり」のために11月の定期を休んだので、昨年9月以来。これまですみだトリフォニーで聴いていたので、サントリーでアルミンクが振る姿を見るのは、まだなんとなく落ち着かない。
- ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
- プーランク:2台のピアノと管弦楽のための協奏曲 ニ短調
- フランク:交響曲 ニ短調 M.48
1曲目は、ラヴェルが、シューベルトの「高雅なワルツ」と「感傷的なワルツ」をモデルにしてつくった作品。8つの小曲で構成されるが、それぞれ曲の雰囲気がまったく違うので、何となく落ち着かないままだった。
2曲目は、2台のピアノが狭いサントリーのステージの真ん中にでんとおかれて、なかなかの迫力。演奏はトルコ出身の姉妹。双子というだけあって息はぴったりなんだろうが、アルミンクの指揮とはいまいち呼吸が合わず、小さな演奏になってしまった感じ。アンコールでピアソラの「リベルタンゴ」を弾いたが、こちらは実にのびのびとした演奏でよかった。
後半はフランクの唯一といわれる交響曲。プレトークでアルミンクが、フランクはフランスの作曲家といわれるがベルギーの出身で、交響曲ニ短調はフランス的というよりもドイツ風で、最初は人気が悪かった、と話していたが、実際その通り、循環形式で作品の構造はがっちりしているし、どちらかといえば暗く、深刻な印象。第2楽章のコーラングレ(イングリッシュ・ホルン)の旋律が印象に残った。
【演奏会情報】 新日本フィルハーモニー交響楽団第471回定期演奏会
指揮:クリスティアン・アルミンク/ピアノ:フェルハン&フェルザン・エンダー/会場:サントリーホール/開演:2011年1月26日 午後7時15分
22日の読響定期から1週間で4つのコンサートで、いささか疲れ気味。しかし、指揮のシズオ・Z・クワハラは、1976年日本人の両親の下東京で生まれ、10歳でアメリカに移住、エール大学音楽科で指揮を学んだという気鋭の指揮者というので、ハルサイをどんなふうに振るのか楽しみにしてサントリーへ。
- W・シューマン:アメリカ祝典序曲
- ライヒ:管楽器、弦楽器とキーボードのためのヴァリエーション
- ストラヴィンスキー:バレエ音楽《春の祭典》
ウィリアム・シューマン(1910〜1992)も、2曲目のスティーブ・ライヒ(1936〜)もアメリカの作曲家。1曲目の「アメリカ祝典序曲」は、その前にシューマンが発表した交響曲第2番が「あまりに知的すぎた」ために不評だったという反省にたって、作られた曲。それだけに、1939年の作品にしては分かりやすいのはいいのだが、「いかにも」という感じの祝典序曲になっている。
2曲目は、オケの中央にピアノが2台、さらに電子オルガンのキーボードが置かれている。20分ほどの作品だが、その間中、ずっとピアノや電子オルガンが同じ旋律パターンを引き続ける。ワンパターンといってしまえばそれまでだが、細かな変化がいろいろあって、けっして飽きない。ボレロよりはずっとましだと思う。
最後は、先日の読響アフタートークでも、オーケストラのサイズが最大になった作品として紹介されていたストラヴィンスキーの「春の祭典」。これは、もともとバレエ音楽で、しかもそのバレエが白鳥の湖のような古典的なバレエと違って、音楽も振り付けもかなり斬新。それだけに、オケの演奏だけの場合、これがなかなかはまらないところがあって、いろいろ演奏を聴いたりCDを聴いたりしてみても、これだという演奏にお目にかかったことがない。その中で、なるほどこれがハルサイかと思ったのは、サイモン・ラトルが、子どもたちをあつめたワークショップとしてやったハルサイ。映画リズム・イットでは、その一部しか紹介されなかったが、映画公開にあわせて、そのときの公演映像も上映していたので、それをみて、初めて、この曲のイメージがつかめてきた感じがした。
前半2曲で、いかにもアメリカ人好みの作品を華々しく振ったクワハラがどう振るか。期待もしたけれど、う〜む、なんだこりゃ? 大音量で猛烈な勢いではあるが、乙女の命を生け贄にささげる異教徒の儀式という禍々しさがどこにもない。日フィルのみなさんはがんばって、いい音を出していたが、これではせっかくのがんばりも生きてこないだろう。2006年に日フィルと初共演したときには、「火の鳥」を振ったというので、御本人はストラヴィンスキーが得意なのかも知れないが、いかがなものだろうか。
【演奏会情報】 日本フィルハーモニー交響楽団第627回定期演奏会
指揮:シズオ・Z・クワハラ/コンサートマスター:木野雅之/ソロ・チェロ:菊地知也/会場:サントリーホール/開演:2011年1月28日午後7時