アメリカからみた御家事情はこんなところ…

エジプト政変の御家事情。ただし、あくまでアメリカからみた限りでの話だけど。

ムバラク大統領辞任、揺れる中東:WSJ.com

ムバラク大統領辞任、揺れる中東

[The Wall Street Jaurnal 日本版 2011年 2月 12日 1:52 JST]

 エジプトのムバラク大統領は、18日間続いたデモなど民衆の激しい抗議行動の結果、辞任した。大統領の権限は軍に移譲されたが、アラブ社会で最も多くの人口を抱えるエジプトは自国ばかりか中東全体にとっても、先行き不透明な一歩を踏み出した。
 11日午後の辞任発表を受け、ナイル川沿岸からカイロ市内の広場に至るまで人々は国旗を振り、花火を上げ、「自由」を叫ぶなど、エジプトは国中で歓喜の声がこだました。
 ヨルダン・アンマンの中心部では、ムバラク大統領の辞任が伝わると、車は一斉にクラクションを鳴らし、歓喜の群衆は在ヨルダン・エジプト大使館に向かった。ベイルートでも祝砲が放れた。
 ムバラク大統領の辞任は、一定期間軍政下に置かれる自国ばかりか、サウジアラビア、イスラエル、米国などにとっても先行き不透明な時代に道を開くことになる。ムバラク氏はこれまで、米国の中東政策で重要な支柱となっていた。
 チュニジアのベンアリ大統領は大衆の蜂起により政権の座を追われた。同大統領と同様、長期間政権を握っていたムバラク氏も似たような形で辞任に追い込まれた。このような政変が中東で起きたのは、1979年のイラン革命以来だ。
 エジプトの政変はオバマ米政権にとっても新たな圧力となる。エジプトで抗議活動が激化するなか、米政府は蚊帳の外に置かれ、ムバラク退陣を演出することに失敗していた。今後の試練は、エジプトを米国の権益を最も守る世俗的な民主主義国家に導くためにどう舵取りをするかだ。
 オバマ大統領は11日、「本物の民主主義以外は勝利を収めない」とエジプトを称え、今後必要とされるあらゆる支援を提供する用意があることを明らかにした。大統領は「今日はエジプト国民のものだ」と慎重に言葉を選び、ムバラク退陣で特定の人物などに功績があったとの認識は示さなかった。
 29年に及ぶムバラク政権の打倒に向けた運動は、フェイスブックなどインターネット・ツールを活用して、スラム街の住民や労働者にデモ参加を呼びかけた十数人の活動家の存在があった。
 その間、オバマ政権は一部の同盟国からムバラク政権に強硬姿勢で対応すべきだと促されていたが、その一方でムバラク氏は、イスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」からの脅威を封じ込める唯一の人物であるとする見解も出ていた。
 ホワイトハウスの補佐官らは、ムバラク氏に退陣を求めるメッセージを携えた特使を送りたかった。政府はその特使として、ムバラク氏やアラブ諸国の指導者とも親しい関係にある元駐エジプト米大使のフランク・ウィズナー氏を選んだ。メッセージは友人が渡すべきだという考えが背景にあった。しかし、それは間違っていた。
 関係筋によると、2月1日に渡されたムバラク氏の将来に関するメッセージは「生ぬるい」内容だった。その数日後、ウィズナー氏はムバラク氏が現職の地位にとどまることが政権移譲にとって重要と述べ、メッセージの内容をさらに薄めてしまった。クリントン米国務長官はこれにつて、ウィズナー氏の個人的見解であると強調した。しかし、このような経緯でムバラク氏はその地位に執着した可能性がある。ウィズナー氏からは今のところコメントは得られていない。
 転換点は2月6日に到来した。新たに任命されたスレイマン副大統領が危機打開に向けた話し合いを野党勢力と行うことに失敗した。
 反政府行動が勢いをなくしたかに見えた翌7日、スレイマン副大統領がテレビ会見でエジプトは民主主義の準備が出来ていないと発言。この発言に加え、今回の反政府デモで主要な役割を果たしたグーグル幹部ワエル・ゴニム氏の解放が決まると、抗議活動が再び活発化し、新たにデモに参加する組織も現れた。
 2月8日、バイデン米副大統領は、スレイマン副大統領に電話し、非常事態宣言の即時解除など「秩序ある民主主義移行」に関する米政府の考え方を伝えた。これはこれまでで最も強い調子の米国側の要求だった。
 米政府当局者によると、この要求で両国間の高級レベルのコミュニケーションがほぼ絶たれた。ムバラク氏とその側近のほか、在米のエジプト外交官らもオバマ政権がムバラク氏に強硬姿勢を取ったことに慌て、かつ怒ったとされる。つまり米政府はその後、エジプト上層部の政策決定者へのアクセスが限られるようになってしまった。
 そうした中、解放されたばかりのグーグル幹部のワエル・ゴニム氏がカイロ市内のハリール広場に頻繁に姿を見せ始め、抗議活動が再び活発化する。
 2月9日、スレイマン副大統領は与党や経済界幹部と会談を重ね、政治危機により国内経済が深刻な影響を受けると告げられる。
 翌10日、これら与党・経済界幹部らがムバラク氏と会い、退陣を求めたが、彼らはムバラク氏は退陣するとの印象を受けたという。
 米当局者も同様な印象を持った。米中央情報局(CIA)のパネッタ長官は議会での証言で、ムバラク大統領が10日夜にも辞任する可能性が高いと指摘していた。オバマ大統領も「非常に明確なことは歴史を目撃していることだ」とムバラク大統領辞任への期待を滲ませた。
 しかしムバラク氏が10日に行った演説は曖昧な内容だったため、デモ隊は怒りを募らせた。駐米エジプト大使がその後、大統領がスレイマン副大統領に権限を移譲すると説明したため、一段と混乱した。
 ムバラク氏は同日、親しいイスラエルの政治家と会談した際、米国は自分を見捨てたほか、退任すれば過激派が台頭する可能性を無視しているとして、米国の姿勢を非難したという。
 デモ隊側に立ち、政権とも近い関係にあるエジプトの有力実業家ナギブ・サウィリス氏は、大統領が10日行った演説を酷評する。これまで大統領側近と軍部が何時間もかけて練り上げきた政策決定を台無しにする「とんでもない」ものだったという。
 オバマ大統領はエジプト危機についてこれまでで最長の声明を発表し、ムバラク、スレイマン両氏が政権移行プロセスを混乱させていると指摘した。
 米当局者が11日明らかにしたところによると、ムバラク氏の辞任発表前の48時間に政府内で共有されていた機密情報報告では、エジプト政権は「状況を正しく把握していないほか、軍部はムバラクの取り巻きに一段と我慢できなくなっていた」ことが明らかになっていたという。同当局者は「特に軍部の転換点は 10日のムバラク演説のトーンだったと」と語る。
 ムバラク演説後、ゲーツ米国防長官はエジプトのタンタウィ国防相と話した。会話はエジプトでの抗議活動が始まって以来5回目。当局者は両者が何を話したかは明らかにしていない。

 エジプト軍高官に近い関係者によると、危機が長引く中、タンタウィ国防相とスレイマン副大統領の関係がほころび始めた。ある軍関係者は「スレイマン氏が野党からいかなる種類のコンセンサスも得ることできないと分かると、軍部は介入を決めたようだ」と指摘。「スレイマン氏がしたことはすべて状況を悪化させただけで、デモも増えた」。
 関係筋によると、デモ隊が11日、政府の主要機関などを取り囲み、抗議行動が拡大すると、軍指導部は行動する必要があると決定した。「軍部は懸念していた。今これを止める以外に選択肢はなかった」という。つまり、これはムバラク氏に圧力をかけ、スレイマン氏にムバラク氏辞任発表を容認させることを意味していた。
 オバマ大統領は、メモを渡されて時、ホワイトハウスの執務室で側近と会議中だった。メモはムバラク氏辞任の意向を発表するスレイマン氏の声明に関するものだった。オバマ大統領は、沸き立つカイロのデモ隊の映像をテレビで眺めた。
 エジプトの政権移譲が今後どうなるかは依然不透明だ。全権を移譲された軍最高評議会(議長・タンタウィ国防相)は憲法に取って代わる権限は持っていないと主張している。しかし、新政権の発足、現行憲法の撤廃か改正、議会や内閣なしでどのようにして政府の機能を果たして行くのかなどについての情報は今のところほとんど提供していない。
 ムバラク氏の元首としての最後の行動がやや手掛かりになるかもしれない。ムバラク氏は、自由公正な選挙、数十年続いている非常事態宣言の解除、メディア規制の撤廃など憲法改正を検討する裁判官で構成される独立諮問委員会を設置していた。
 11日午後、大型軍用ヘリ2機が大統領宮殿から飛び立った。2機は地上の群集に向け機体を傾け、歓呼を誘った。噂では2機は大統領と一行がカイロ脱出のため乗り込んだヘリとされる。

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