これまた日本史研究者には必読論文が

またもや、日本史研究者には必読の論文が、『歴史学研究』2011年3月号(第877号)に載っている。安田浩氏の論文「法治主義への無関心と似非実証的論法――伊藤之雄「近代天皇は『魔力』のような権力を持っているのか」(本誌831号)に寄せて――」だ。

サブタイトルにあるとおり、これは、同じく『歴史学研究』2007年9月号に載った伊藤之雄氏の論文「近代天皇は『魔力』のような権力を持っているのか」にたいする反論。伊藤氏の同論文は、同氏の『昭和天皇と立憲君主制の崩壊』(名古屋大学出版会、2005年)の書評(瀬畑源氏執筆、『歴史学研究』2006年10月号掲載)にたいするリプライなのだが、そのなかで、伊藤氏が、安田氏の名前をあげて、「近代天皇は『魔力』的な権力がある」とする見解を主張しているとして批判したことから、安田氏が伊藤氏への反論を書いたというわけだ。

「魔力」というのは、もちろん「」付きで使われているもので、伊藤氏は「天皇の特殊な権力を、ここで便宜的に『魔力』と表す」(17ページ)と断っている。しかし、そもそも正体不明の力のことを魔力というのだから、いくら「便宜的」といってみても、戦前の天皇が実際にもち、行使した権力を「魔力」とくくってしまったのでは、およそ学問研究にはならないだろう。

しかし、安田氏の批判は、そうした言葉上の問題にとどまらない。

安田氏が批判している第1点は、戦前の天皇制をイギリスの立憲君主制と「同様」だとする伊藤氏の見解。安田氏の批判の詳細は省略せざるを得ないが、「それぞれの君主制の、君主・行政府・立法府などの書記官の権能の根拠や範囲、権限行使の手続きなどの規定の仕方の相違により、君主権の拘束のされ方は、多様にならざるをえない」にもかかわらず、伊藤氏は国家主権論(機関説)か君主主権論かという「ラベリングの次元」でしか問題をとらえていない、という大変厳しいものだ(「法治主義への無関心」とする所以)。同時に、美濃部の憲法学説をどうとらえるか、またそれを論じた家永三郎氏の業績をどう評価するかなど、あらためてその意義を考えさせられたところも多かった。

また、興味深かったのは、その批判のなかで、安田氏が、「日本の歴史学界のなかにかなり強く存在した立憲君主制についての理解――輔弼を受けて何も政治関与しない存在が立憲君主であるとする理解――は間違いである」と指摘している点。僕自身、戦前の天皇制を「立憲君主制」だとする議論には、二重の陥穽があって、1つは、戦前の天皇は、その権限を、議会によって根本的には制限されておらず、したがって立憲君主制とはいえないものを立憲君主制だとすること、もう1つは、立憲君主を、まさに、安田氏が指摘したように、なんの政治関与もしない存在と考えて、戦前の天皇をそうした立憲君主像に合わせようとすることだと思っていたので、安田氏の指摘にはまったく賛成だ。

なお、余計なことかも知れないが、あえて一言すれば、絶対君主であるからといって、国家意思のあらゆる事柄を天皇が好き勝手に決めていた、ということにはならない。国家機構というのは、複雑かつ膨大なものであり、したがって、一人の個人がすべての問題を気ままに、今日はああいうふうに、明日はこういうふうに決められるものではない。腹心のものたちを、国家意思の決定に参与させたとたん、そうした者たちの合意をとりつけることが必要になる。その瞬間から、君主は個人のほしいままに権力を行使することはできなくなる。しかし、そうしたことは、君主が絶対君主であるか立憲君主であるかという問題とはなんの関係もない。絶対君主か立憲君主かというのは、何らかの「国民」を代表する議会によって、君主権力が根本のところで制約されているかどうかという問題だ。戦前の帝国議会は、そのような意味で、天皇権力を掣肘する議会ではなかった、と私は思っている。

話を安田氏の伊藤氏にたいする批判にもどそう。

批判の第2点は、張作霖爆殺事件の事後処理をめぐって田中義一内閣が総辞職したことへの昭和天皇の関与をどう評価するか、という問題。昭和天皇は田中首相をやめさせるような発言をすべきでなかった、というのが伊藤氏の意見。そうした言動が、「公平な調停者」としての天皇の権威を損ない、満州事変のさいに事変を抑制できなくした、というのだ。

それにたいして、安田氏は、「君主としての誇りと正義感から……強い政治関与をすることは、君主制の運用という点で、大きな問題を生じさせた」という伊藤氏の解釈では、翌日の白川義則陸相による関係者の行政処分という方針の上奏をそのまま裁可したことが説明不能である、と批判している。前日の「君主としての誇りと正義感」はどこへ行ったのか? ということだ。

安田氏は、伊藤氏がこのような解釈に陥る背景として、輔弼を君主権にたいする制約としかとらえない伊藤氏の誤った立憲君主制理解があると論じていて、ここで2つの批判点がつながるわけだ。

最後に安田氏は、「伊藤氏の学問の根本的問題点」として次のように批判を締めくくっている。

 伊藤氏の学問の根本的問題点は、それまで紹介されていない史料を紹介したことで、その史料からは論証しえない歴史解釈や主張を論証したように言明するという、いわば似非実証的論法にある。しかもこうした論法は、安田が「誤解した二つ目の理由」は「一次史料に基づいて天皇の動向を総合的に考察しようとする姿勢が弱いからである」という批判のやり方にも現われているように、ここ一箇所の問題ではない。現在の伊藤氏の見解の出発点になっているその著書『立憲国家の確立と伊藤博文』(吉川弘文館、1999年)の論旨主張を形成する方法として行われて以来、ずっと継続している問題点であると私は考えている。

安田氏は、こう述べて、別に「似非実証的論法による一面的な指導者像の造形――伊藤之雄氏の伊藤博文論の問題点」という論文を発表されるそうだ(国立歴史民俗博物館編『「韓国併合」100年を問う 2010年国際シンポジウム』岩波書店、2011年刊行予定所収)。

実は、私が伊藤之雄氏の研究が気になったのは、今回安田氏が批判した『昭和天皇と立憲君主制の崩壊』もあるが、一昨年、講談社から発売された『伊藤博文 近代日本を創った男』だ。

その「はじめに」で、伊藤氏は、やはりこんな論を展開している。

 〔伊藤は軽佻浮薄であるというイメージと〕もう一つのイメージは、最初の首相であり、保守反動的な憲法を作る中心となって、近代日本の民主化の可能性をせばめ、最後には韓国統監として韓国の民族主義を弾圧し、安重根に殺される権力者というものである。中学・高校のほとんどの歴史教科書が、そのように読めるような叙述である。おそらく、多くの中学・高校で、そうしたイメージでの授業が行われているだろう。
 この二つのイメージに、女性関係の節度のなさを加える人も少なくない。しかし、それらの史料的根拠とされているものは必ずしも信用できない。(同書、2ページ)

ここで、「それらの史料的根拠」の「それら」が何を指しているのか、必ずしもはっきりしない。「女性関係の節度のなさ」だけのようにも読めるが、それでは「それら」と複数形になっている理由がつかない以上、「それら」のなかには、「保守反動的な憲法をつくる中心となって、近代日本の民主化の可能性をせばめ」たことや、「韓国統監として韓国の民族主義を弾圧」したということも「イメージ」であって「史料的根拠」がはっきりしないと主張していると読むのが当然だろう。

さらに、伊藤氏は、こうした「イメージ」は、第2次世界大戦に日本が敗れて、「太平洋戦争の原因の一つとして、『天皇主権』の明治憲法が挙げられ、それを否定する形で、新しい日本国憲法の主権在民等が強調され、新憲法が1947年に施行された」ことでつくられたものだとする(同書、5ページ)。そして、そうした「第2次世界大戦後に新しく形成された伊藤像の1つの典型」は阿部眞之助「伊藤博文」(同『近代政治家評伝』(1953年)で、「この伊藤像が元になり……二つの伊藤像が一般に広まった」とする一方で、阿部氏の著作について、「事実かどうかはなはだ怪しい話をあげている」と批判する。

つまり、戦後の伊藤博文の「イメージ」をつくったのは、阿部眞之助の論文であり、その論文は「史料的根拠がはっきりしない」。だから、「保守反動的な憲法を作る中心となって、近代日本の民主化の可能性をせばめ、最後には韓国統監として韓国の民族主義を弾圧」したというのは間違っている、というわけだ。

これは、安田氏が「似非実証的論法」として批判するのと同じ問題だ。

近年、「靖国派」の連中が「司馬史観」なる旗印をかかげて、司馬遼太郎氏の思いとは無関係に、自分たちの主張に都合のよいところだけを勝手につまみ食いして、戦前の侵略戦争を正義の戦争であったかのように歪曲しようとしている。あれは、酔人の世迷い言のような、およそ学問でも研究とは無縁な代物だ(とはいえ、それにまんまとはまりこんだ東大の先生がいたが)。

しかし、伊藤之雄氏の場合は、京都大学法学部の教授であり、しかも、一見すると史料にもとづいた学問的な手続きにもとづいて主張が組み立てられている(ようにみえる)ので、その影響も無視できないだろう。もちろん、批判は、史料にもとづいて、学問的におこなわれなければならない。日本史研究者諸氏の奮起を期待したい。

【関連ブログ】

こちらは↓、2006年に伊藤氏の本の書評を書いた瀬畑源氏のブログ。
3年前の手紙:源清流清 ―瀬畑源ブログ―:So-netブログ

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