「毎日新聞」2日付で、東京大学の鈴木宣弘教授が、東日本大震災の「復興」と称して「今こそ大規模化の好機だ」「それをモデルにTPPも推進できる」とする議論にたいして、「現場の農業者が『どうやって経営を再建するか』と悩んでいる時に誠に不見識で心ない極論」「大災害によって可能になるような大規模化がどうして全国モデルになるのか」と批判している。
「風評被害」についても、「一方で福島県産や茨城県産の農産物を都会で直売すると、大勢の人が集まって買っていく」と指摘して、「一部企業が出荷停止対象外の野菜まで購入を打ち切ったことは残念」と指摘して「食品の加工・流通・販売に携わる企業の姿勢も問われている」と提起している。傾聴に値する指摘だ。
復興に向けて:東日本大震災 東大農学生命科学研究科教授・鈴木宣弘さん:毎日新聞
【復興に向けて】
効率重視の農業転換を
[毎日新聞 2011年5月2日朝刊]
東大農学生命科学研究科教授 鈴木宣弘さん
「今こそ大規模化」心ない極論
大震災から1カ月以上たち長期的な復興論議が始まっていますが、10年先の議論の前にやるべきことができているでしょうか。被災地は今も大震災と大津波、あるいは原発事故の深刻なダメージから立ち直れていません。被災者の生活再建という「いま」の問題をおろそかにして、「希望の持てる長期計画」もあり得ません。しかし、国の対応は機動性や即応性を欠いています。
被災地は日本を代表する農漁業地帯ですが、大切な田畑、港や船を失い、放射能汚染や風評被害で生産物が売れなくなった人々は破綻の危機に直面しています。現場独自の優れた復旧プランがあっても、
実行する財源が不足しています。現場が前に進めるよう「全責任は自身が取る」と明言し、平時の予算執行ルールに縛られず早急に概算的な資金投入を指示できるリーダーシップが必要です。東京電力には後で負担を求めるとして、当面の住居や生活資金、雇用の確保に国は責任を持つべきです。
農地などが壊滅的な被害を受けたのを見て一部の識者は「今こそ大規模化の好機」「それを全国モデルにして環太平洋パートナーシップ協定(TPP)などの貿易自由化も推進できる」といった議論を展開しています。現場の農業者が「どうやって経営を再建するか」と悩んでいる時に誠に不見識で心ない極論です。大災害によって可能になるような大規模化がどうして全国モデルになるのでしょうか。しかも、被災地の農地を大規化したとしても、1戸当たり数百から数千診の耕地面積がある米国や豪州の農業とはしょせん競争できません。
むしろ、単純に「規模を大きくしてコストを下げれば良い」という目先の効率一辺倒の発想を転換すべきではないでしょうか。たとえば、規模は大きくなく、目先のコストが低くなかったとしても、地域の中で自給的に支え合う生産システムこそサステイナブル(持続可能)であり、原油や食料の輸入が減るといった有事にも強い国づくりの鍵だと思います。人の命を守るには、大きなコストをかけてでも備えねばならぬことがあります。その備えのない状態で「効率」を競ってもほとんど意味がありません。食料自給を含め、真に強い国の在り方を考える機会にすべきだと思います。
国民全体の支え合いも重要です。原発事故による風評被害は深刻ですが、一方で福島県産や茨城県産の農産物を都会で直売すると、大勢の人が集まって買っていくという現象が起きています。多くの消費者は誤った風説に惑わされず、むしろ食を通じて被災地を応援したいと思っているのです。それなのに、一部企業が出荷停止対象外の野菜まで購入を打ち切ったことは残念です。食品の加工・流通・販売に携わる企業の姿勢も問われています。【聞き手・行友弥】◇すずき・のぶひろ
82年東大農学部卒。農林水産省、九州大教授を経て06年より現職。専攻は農業経済学と国際貿易論。著書に「食の未来に向けて」など。52歳。
復興策について、メディアにはいろんな識者が登場していろんなことを言っているが、よく見ると、消費税増税論者は「復興のために消費税増税を」と言い、規制緩和論者は「規制緩和特区で復興を」と言い、法人税減税論者は「法人税減税で復興を」と言い、地方自治体の広域化の推進論者は「東北の広域連合で復興を」と言っている。ようするに、それまでの自分の主張を、震災にあわせて「復興には○○を」と言い直しているだけだ。金子みすゞじゃないけれど、「こだまでしょうか?」と言いたくなる底の浅さだ。
復興策とは、そういうものではなくて、鈴木教授が言っているように、「どうやって経営を再建するか」と悩んでいる現場の農業者が、「そうやってくれるなら、経営は再建できそうだ」と思えるようなプランを提示することだ。減税特区で企業を呼び込んでみても、そうした企業は「減税」のメリットがなくなれば、とっとと出て行ってしまうだろう。そうではなくて、なんとしても会社を再開させようと思っている地元の多くの企業人が、いまさしあたりぶつかっている困難にこたえることが、本当の意味での復興につながるのではないか。
ところで「毎日新聞」は、5月3日の憲法記念日にも東日本大震災・福島原発事故と憲法の特集を組んでいる。
特集:憲法と東日本大震災(その1) 脅かされる生存権 復興と「私権制限」に難題:毎日新聞
特集:憲法と東日本大震災(その2止) 原発事故と国家権限 緊急事態盛り込み賛否:毎日新聞
特集:憲法と東日本大震災 鳥取県西部地震時の知事、片山善博・総務相の話:毎日新聞
特集:憲法と東日本大震災 大分大教育福祉科学部・山崎栄一准教授の話:毎日新聞
大震災・原発事故と憲法との関係でいえば、「緊急事態法」の制定や憲法への「国家緊急事態権」の盛り込みを求める論調がある。紙面では両論併記のかたちをとっているが、そのなかでは、当事者自身が「国家緊急権がないことは憲法上の欠陥だと考えるが、憲法に書かれていないから現実の危機に対応できなかったかと言えばそうではない。原災法に基づく首相の権限は絶大だ」(民主党の長島昭久前防衛政務官)と語っていたというくだりが注目される。憲法上の既定を欠くことが、対応の遅れの理由にはならない、ということだ。
「非常事態」との関連で言えば、むしろ、原発事故での作業品の被曝事故に見られるように、人権軽視が続いていることの方がむしろ大きな問題だという指摘のほうが大事だろう。また、避難所の置かれた過酷な状態にたいして、「生存権の確保が、あらためて大きな課題になっている」と指摘されている。憲法を実現する立場こそが、いま求められているのだ。
見出しに掲げられた「恐怖と欠乏から免れ、平和の家に生存する権利を有する」という憲法前文の言葉が、いまほど求められる時はないと思う。