大震災と憲法―憲法記念日の社説を読む

ことしの憲法記念日の社説。東日本大震災と福島原発事故という未曾有の事態をうけて、震災と復興をテーマにした社説が多く見られました。

読売新聞のように「緊急事態基本法の制定へ本格的に動き出すべきだ」と主張する社説もあるが、多くの地方紙は、「憲法の理念を土台に、日本社会を再生させなければならない」(北海道新聞)、「(復興計画の)根底に据えるべきは、憲法の理念である」(神戸新聞)、「(憲法の)原理、理念に基づいた被災者、避難者の救援・救済、被災地の復旧・復興のありようがまさに今、問われている」(福島民友新聞)、「東日本大震災を受けた復旧、復興への国の取り組みが、その(憲法の理念の定着の)度合いを測る試金石となる」(河北新報)など、あらためて憲法の理念に立ち返り、生存権など憲法の理念を生かした復興をすすめよう、と共通して提起されています。

非常事態条項を盛り込もうとする動きにたいしては、北海道新聞が「非常時に名を借りて人権を制限する論議は本末転倒だ」ときっぱり批判しています。

希望への道しるべとして 憲法記念日(5月3日):北海道新聞
大震災と憲法/被災者のためにもっと生かそう:神戸新聞
震災と憲法 復興への「道しるべ」に – 社説:中国新聞
被災者と憲法  「人間復興」へ理念生かそう :京都新聞
【憲法記念日】日本再生の基本理念に:高知新聞
[憲法記念日] 大震災を乗り越える「理想の灯」に:南日本新聞
憲法記念日/「国難」へその理念を今こそ:福島民友新聞
憲法記念日 震災で問われる生存権:山陽新聞
東日本大震災 憲法記念日/理念を被災者支援のために:河北新報

社説:希望への道しるべとして 憲法記念日

[北海道新聞 5月3日]

 地震、津波、原発事故で未曽有の被害を受け、だれもがこの国の未来に不安を募らせている。
 大震災から間もなく2カ月、被災地にも遅い春がやってきた。だが今も約13万人が避難所や損壊した住居で途方にくれる日々を送っている。
 家族の明日は、失った仕事は。壊滅したまちや村に戻れるのか?
 危機のときだからこそ安心と希望の道しるべがほしい。「いのちを守る」。それは憲法の原点である。
 災害は地域格差やエネルギーの浪費という社会矛盾もあぶり出した。
 きょうは憲法記念日だ。「個人が尊重され、平和のなかで生きる」。憲法の理念を土台に、日本社会を再生させなければならない。

新たな絆が生まれた

 経験したことのない大災害の傷痕は容易に癒えることがない。それでも惨禍の最中にあって、社会に新たな絆が生まれている。
 「失ったものが大きいほど、人の温かな気持ちがうれしい」
 そんな言葉が被災した東北の各地から聞こえてくる。
 避難所では見ず知らずの人たちが給仕や掃除の当番を決め、互いに助け合った。住宅を流された家族を近所の人が自宅に受け入れ、ランプの明かりで共同生活を始めた。
 北海道や全国からボランティアが駆け付けた。「家族のアルバムが出てきて喜ばれた。東北にも同じ暮らしがある。都会では無関心だった他人の生活やコミュニティーのことを初めて考えた」。友人と被災家屋の泥かきをした千葉県の大学生、會田博志さん(28)の言葉だ。
 現地ではいまだに十分な物資が行き渡らず、食事はおにぎりと菓子パンの避難所もある。原発事故で住み慣れた古里を追われた人たちの辛苦と悲しみはどれほどか。
 被災者を支え、助け合いたい。あまりの被害の大きさにたじろぎ、無力感に陥ることもあるだろう。
 しかし被災地の人々も、災難を免れた人々も、ともにこの日本社会で生きていく。災害から教訓を学び、困難を一つ一つ乗り越え、明日を開く。それが私たちの務めだ。
 米国の作家レベッカ・ソルニットは、米南部を襲ったハリケーン・カトリーナ(2005年)など大災害に見舞われた人々の相互扶助を考察して、「災害は、世の中がどんなふうに変われるかを浮き彫りにする」(「災害ユートピア」)と書いた。
 社会が本来備えているべき共同体の力や政府の能力、経済のあり方までが試されるという指摘だ。
 日本社会は、戦後最大の災害を機にどう変われるのか。問われるのは私たちの生き方と民主主義だ。

「生存権」の実現こそ

 指針としたいのは憲法の理念である。前文は「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とうたっている。
 平和的生存権の宣言だ。
 その具体化が第9条の戦争放棄と第25条の生存権であり、平和のうちに生きる権利こそが憲法の柱だ。
 しかしながら、震災後の現実を見れば憲法が掲げる人権や社会の姿からかけ離れている。
 プライバシーもない避難所での不自由な生活は第13条がいう「個人の尊重と幸福の追求」からほど遠い。原発事故で避難を余儀なくされ、慣れない土地で暮らす人々は「居住の自由」(第22条)も実現できない。
 復興は長期に及ぶ。原発の危機はなお進行中であり予断を許さない。被災地も、それを支える国民も、手探りの状態が続かざるを得まい。だがあきらめるわけにはいかない。
 再生への主役は国民であり、憲法が保障する自由や権利は国民自身が「不断の努力によって保持しなければならない」(第12条)。そして国民生活を最優先に、生命と財産を保護することが政府の使命である。

社会のつくり直しへ

 震災前の東北は農水産物の豊かな供給地でありながら、高齢化と過疎化で展望が描けなかった。医療費の削減が暮らしの安心を脅かし、若者は仕事を求めて都会に去った。
 震災前のこうした状況への反省がないままに政治が復興策を主導するなら、これまでの格差や不平等をさらに拡大させかねない。人口と産業の中枢を東京に集中させて中央と地方の分断を生み、原発を過疎地に押しつけた愚を繰り返すだろう。
 経済の効率だけを追い求めるやり方を転換し、人々の連帯と地域のコミュニティーを基礎とした「共生」のビジョンを目指したい。
 政治はその枠組みを保障し、社会の根本的な平等と公正さの回復に努めなければならない。
 自民党内には今回の震災を受け、緊急時に国民の権利を制限する非常事態条項を盛り込もうとする動きもあるが、非常時に名を借りて人権を制限する論議は本末転倒だ。
 憲法の基本的人権は現在だけでなく将来の国民にも保障される「永久の権利」(第97条)である。未来への視線を忘れず、希望への第一歩を踏み出すことが私たちの責任だ。

大震災と憲法/被災者のためにもっと生かそう

[神戸新聞 2011/05/03 09:47]

 大震災と原発事故という未曽有の複合災害に直面する中で、憲法記念日を迎えた。東日本大震災の被災地では復旧・復興へ向け懸命の努力が続けられている。その姿に、この国の政治や仕組みは応えているのだろうか。過酷な避難所生活が長引く実態をみると、首をかしげざるを得ない。
 憲法は、誰もが人間らしく生きる権利を保障している。その理念を、復興にもっと反映させるべきだ。

        ◇

 災害復興と憲法を考える上で一つのエピソードがある。阪神・淡路大震災から6年近くたった2000年10月に起きた鳥取県西部地震のときのことである。
 当時の片山善博知事(現総務相)が壊れた住宅の再建に一律300万円の補助金を支給する県独自の支援策を打ち出した。途方に暮れる被災者に希望を与える施策だったが、これに国がかみついた。
 説明に出向いた知事に、ある官僚が「私的住宅の再建に公金を使うのは憲法に違反する」と言った。「一体、憲法のどこに書いてあるのか」と問い返したが、答えは返ってこなかったという。
 明確な根拠もないのに、憲法まで持ち出して国の姿勢を押しつける。こうした「霞が関理論」が長い間この国を支配していたと片山氏は自著で語っている。
 鳥取県のケースを弾みに、その後は災害時の全壊世帯に最高300万円が支給されることになった。16年前の阪神・淡路を機に生まれた被災者生活再建支援制度が初めて改正されたのである。
 その16年前を思い起こしたい。
 全半壊約46万世帯という甚大な被害を前にしても、国は「個人補償はまかりならん」との方針の下、住宅再建には直接支援せず、自助を求めてきた。
 これを受けて被災者が市民立法をめざして立ち上がり、1998年5月に与野党の共同提案で成立したのが、この支援制度である。
 支給額は最高100万円。要求額にほど遠いばかりか、生活必需品の購入などに限られ、住宅再建に使えなかった。だが市民の声に応える形で国が現金を給付することになった。憲法の理念に沿った画期的な制度と評価する声が強い。
 続く2007年の改正で使途制限も年齢・年収要件も撤廃された。それを後押ししたのはいつも、地震や台風、水害など度重なる災害に見舞われた各地の被災者の切実な声だった。
人間復興を忘れず 憲法には「私的財産への公的支援は違憲」といった条文はない。むしろ、災害復興で国が行うべき責務を定めている。復興のあり方に憲法を生かす運動を進める神戸出身の弁護士津久井進さんは、そう主張する。
 現行憲法が制定された目的の一つは戦後の被災地復興であり、戦後政治の第一歩は国民生活の安定と戦災者救済、住宅再建だった。当時と今日の災害復興は同じように考えるべきとの解釈である。
 憲法25条は、すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する「生存権」を定め、13条はすべての国民は個人として尊重されるとする「個人の尊厳、幸福追求権」を保障している。復興過程においても何より優先しなければならない理念といえる。
 憲法が定めるそうした生活水準に東北の被災者は達しているのだろうか。一人一人の尊厳を大切にする「人間復興」を決しておろそかにしてはならない。
 阪神・淡路を振り返ると、確かに町は美しくよみがえり、驚異的な復興を成し遂げた。一方で、一人一人の人間に焦点を当てた復興が実現できたかとなると、決してうなずけるものではない。
 数々の復興プロジェクトは国の助成と補助制度という既存の枠組みの中で進んだ。戦後最悪の都市災害を受けて、当時の法律や仕組みが被災者の救済にどこまで結びつけることができたのか。
 その反省が16年たった今、東北にどう生かされようとしているのか。復興の道筋が見えてこないのは、政局ばかりに明け暮れる政治の責任といってよい。

「公助」をどこまで

 政府は、東日本大震災に関して基本理念や権限などを盛り込んだ復興基本法案をまとめる準備を進めている。だが、いまだ調整できず、国会提出が連休後に先送りされる見通しだ。復興の枠組みがいつまでたっても示されないようでは、非難されても仕方ないだろう。
 町ごと津波に流された東北の被災地からは、現行の生活再建支援制度ではとても再生できないという声が多い。住宅に限らず、事業所や店舗などにも支援対象を広げるべきという要請もある。
 こうした声を十分に受け止め、被災地の実情に合わせた対応を急ぐ必要がある。憲法に照らして「公助」をどこまで広げるか。その姿勢が問われている。
 復興基本法についても時限立法ではなく、将来も視野に入れた恒久的な法制度の整備を検討してはどうか。災害復興の道しるべのような憲章であり、災害列島には欠かせないものといえる。
 根底に据えるべきは、憲法の理念である。私たちの生活に密接に関わる憲法をいま一度見つめ直し、被災者のための復興に生かす方策を求めたい。

震災と憲法 復興への「道しるべ」に

[中国新聞 2011/05/04]

 すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する―。憲法25条は高らかに生存権をうたう。
 だが東日本大震災で被災し、長引く避難所暮らしで気力も体力も消耗している人には、空疎に響くかもしれない。
 憲法はきのう、施行64年の記念日を迎えた。未曽有の震災被害を前にして、憲法はどんな理想を指し示すことができるだろうか。
 大津波や福島第1原発の事故によって、住み慣れた古里から去ることを余儀なくされた住民たち。居住や移転、職業選択の自由はないに等しかろう。
 校庭が放射能で汚染された福島県内の学校は、授業や屋外活動が制約を受ける。教育を受ける権利の侵害となりかねない。
 県民に対するいわれのない風評や偏見に至っては、基本的人権や「法の下の平等」を脅かす由々しき事態だ。
 憲法の理念が色あせたわけではあるまい。むしろ前例のない出来事に、政治や社会が対応できなくなっているのではないか。
 仮設住宅が代表例だろう。被災者の生存権を保障するには、一刻も早く建設する必要がある。菅直人首相は「遅くとも盆までに」とするものの、必要戸数が整うめどは立っていない。
 適地不足に加え、民有地の借り上げ交渉に当たる市町村の職員が全く足りないようだ。資材の調達だけで済ませず、ソフト面での自治体支援にもっと力を傾けてもらいたい。
 住まいだけではない。自宅と働く場を同時に失えば、働き盛り世代もたちまち「災害弱者」となってしまうことが、今回の震災で浮き彫りになった。
 復興構想会議の現地視察に、福島県の南相馬市長は「復興は地域の人が主人公。働くことで尊厳と誇りを持って大きく前進できる」と訴えた。雇用こそ地域再生の鍵を握るとの認識からだろう。
 漁船の建造や漁港の再生、水産加工施設の復旧、田畑の塩抜きや汚染土壌の除去…。産業を復旧し雇用を生むには、国の積極支援が求められる。
 さらに隣近所で助け合うコミュニティーが崩壊した地域は少なくない。ハコモノをつくるだけでは古里は元通りにはなるまい。
 住まいや働くこと、生きがいといった「人間の復興」をいかに進めるか考える必要がある。
 それは憲法理念に基づき、一人一人が大切にされる社会を再生する営みにも通じるはずだ。
 気になるのは、「災害関連の非常事態条項が必要」として改憲を求める声が出ていることだ。迅速に対応するため災害時に政府の権限を強めるという。
 それは国民の権利を縛ることでもある。この時期に拙速に議論すべきテーマではなかろう。
 戦争の焼け野原に誕生した現行憲法。国民主権の考え方が戦災復興の原動力となった。その原点に立ち返り、憲法を災害復興の道しるべとしたい。

被災者と憲法  「人間復興」へ理念生かそう

[京都新聞 2011年05月04日掲載]

 訪ねた福島県いわき市四倉町は福島第1原発から南30キロ余り。解除される前の「屋内退避」圏のすぐ外側だ。
 「30キロで放射能がピタッと止まってくれるわけがねぇ」「いつも風向きとにらめっこだ」。出会った住民は笑い飛ばしたが、不安の裏返しのようにも聞こえた。
 同じ30キロ圏外、原発北西の他町で通常の数百倍の放射線が観測されている。
 東日本大震災から1カ月半たっても、津波に襲われた四倉港は漁船が横倒しになり、倉庫などのがれきが山積みされていた。県立四倉高では160人以上が避難生活を続けている。話してくれた住民は、家や仕事を奪われ、先の見通しを持てないでいた。
 「もう年だしな、この町から離れたくない」。他所へ移り住む不安と放射能の恐れが、住民に重くのしかかっている。

終戦の焼け跡から

 憲法25条1項は<すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する>(生存権)とうたう。
 四倉高の避難所に詰める市職員は「住むところもないのに、憲法なんて」と苦笑した。
 寒くて眠れない夜、冷たいおにぎり、不衛生なトイレ…そんな生活が続いた。放射能の風評で、支援物資が長い間届かなかった。今ではいくらか改善されたが、それでも「最低限度の生活以下です」と話す。
 全国で13万人以上が避難生活を強いられている。こんな時に憲法を持ち出すのは、現実離れした議論だろうか。
 同志社大法学部の尾形健教授は、憲法が誕生した終戦直後と大震災後の窮状を重ね合わせて、こう訴える。「終戦直後の国民苦難の極みにある中で、日本側の発案によって憲法に25条1項が加えられた意義を、いまこそ想起すべきでは」
 64年前の1947年5月3日に憲法が施行された。3カ月後に文部省が刊行した中学生用の社会科教科書「あたらしい憲法のはなし・民主主義」を読むと、復興への意気込みが伝わってくる。
 「基本的人権」の項は、空襲の焼け跡から草が青々と茂る光景から書き出し、人間は草木とは違うと続ける。「(人間は)ただ生きてゆくというだけでなく、人間らしい生活をしてゆかなければなりません」と教えているのだ。
 尾形教授は、憲法13条(個人の尊重、幸福追求権)と25条(生存権)から、「人が自律的に生きていくのを国がサポートすることを、憲法は求めている」とする。
 大震災の被災者が置かれた状況はさまざまだ。家族や住居、仕事を失った人、遠方へ避難せざるを得なかった人…。
 憲法の要請は抽象的であり、内閣と国会が施策として具体化する必要がある。戦後復興への熱い期待が憲法に込められたのを思い起こし、国を挙げて被災者の復興を進めていかなければならない。

生活の立て直しこそ

 政府の復興構想会議を中心に震災復興をめぐる議論が活発になっている。しかし復旧もままならない被災地からは「そんな議論している場合か」との怒りの声も聞こえてくる。
 片山善博総務相はかつて、災害復興の使命を、こう語っていた。「『いいまちづくり』で感謝してくれる100年後の市民のためではなくて、目の前で絶望している被災者のためにある」(「災害復興とそのミッション」クリエイツかもがわ)
 復興会議では、菅直人首相が例に挙げた「高所のエコタウン」などまちづくりが議論される。一方で避難所生活を続ける人たちが切望しているのは、一日も早く仮設住宅に移ることだ。
 この大きなギャップから目を背けて議論を進めれば、「だれのための復興か」となってしまう。憲法の「個人の尊重」「生存権」を踏まえ、被災者の生活立て直しに主眼を置いた復興であるべきだ。
 復興の財源論議は確かに重要だ。ただ、財源の枠を決めてから復旧・復興を制約するようでは本末転倒ではないか。
 阪神大震災でつくられた多くの支援制度が、細かな条件が付いて使い勝手を悪くしていたのは、財源の制約があったからとも言われる。
 被災者にとって最後の命綱ともいえる「生存権」の保障を、財源が狭めてはいけない。

弱者に目を向けて

 児童養護施設の勤務経験もある湯澤直美立教大教授は、東北の被災地で気になったことがある。
 貧困で引きこもっていた家族は避難所にも出てこない。「見ようとしないと、そういう現実は見えてこない」と話す。
 親を亡くした子どもや介護が必要な高齢者、障害者ら。災害弱者は自ら声を上げることもなく、見えにくい。家族や仕事を奪われ、失意の中に閉じこもる人も、見えない災害弱者かもしれない。
 両親が死亡、行方不明の18歳未満の子どもは岩手、宮城、福島の3県で100人を超す。親が失業した子どもはもっと多いだろう。
 憲法26条(教育を受ける権利)を十全に保障するには支援が要る。子どもの貧困は見えにくい。子どもと信頼・愛着関係を築ける大人の存在が重要だ。
 子どもには「子ども期」を生きる権利がある、と湯澤教授は指摘する。それを見守るためには10?20年のフォローが必要だという。
 子どもたちには苦難を乗り越えて成長し、未来を担ってほしい。その歩みは、多くの被災者たちの復興とも重なり合うはずだ。

【憲法記念日】日本再生の基本理念に

[高知新聞 2011年05月03日08時13分]

 私たちの日々の暮らし、生活の基礎は憲法によって保障され、支えられている。
 その象徴は、すべての国民が「健康で文化的な最低限度の生活」を営む権利を有するとした、25条の生存権だろう。26条の教育を受ける権利、29条の財産権の保障なども、こうした基本的人権に当たる。
 東日本大震災によって私たちは、普段当たり前のように享受してきたこれらの権利が、一瞬のうちに奪われることがあるとあらためて知った。
 大津波は人々の生命と財産を、丸ごとのみ込んだ。避難所に逃れた多くの人たちが、いまも劣悪な環境下での生活を強いられている。教育を受ける権利を奪われた子どもたちがいる。
 世界第3位の経済大国であり先進国の日本で起きた原発事故は、世界に衝撃を与えた。と同時に、原発にエネルギーの多くを依存する「豊かな生活」とは何かを問い掛けている。
 がれきの山からの再出発に際し、従来の生活や社会の在り方など、さまざまな分野で価値観の見直しが始まろうとしている。そのよりどころを、私たちは何に求めたらよいのだろうか。
 戦後日本の復興と成長が、憲法とともにあったことを、いま一度思い起こしたい。
 9条で戦争を放棄し、経済的な発展に軸足を置いた。その中から世界に誇れる日本の技術が、いくつも生まれた。曲折を経ながら国民の生活水準も、教育の水準も上がった。
 憲法はこの震災からの復興に当たっても、日本再生の礎となり得る。
 しかしここで忘れてならないのは、震災前、バブル崩壊から今日までの「失われた20年」の中で、憲法が保障する国民の権利には、既にさまざまなほころびが生じていたことだ。
 格差拡大による貧困層の増加は、多くの国民の生存権を脅かしていた。25条は国に、社会福祉や社会保障などの向上、増進の努力義務を課す。だがその社会保障も、「安全網」としての機能を十分果たせていなかった。
 「不断の努力」
 震災からの日本再生は、単に震災前の状態に戻すだけではない。憲法の基本理念により深く立ち返り、新しい国のかたちをつくり出す必要がある。
 まずは、住み慣れた家も仕事も失った被災者の、生活再建を最優先すべきだ。その際、「健康で文化的な最低限度の生活」の中身を、どう考えるかが問われる。
 プライバシーもない避難所の暮らしが、生存権の水準にも達していないことは明らかだ。仮設住宅の建設を急がねばならないが、復興の段階ではどのような町並みを再建し、どんな暮らし方を再生するかも問題になる。
 阪神大震災の復興では、地域コミュニティー(共同体)の喪失が指摘された。教訓を生かすには、地域のことは地域で、地方のことは地方が決めるという、地方自治の理念が重要になるのではないか。
 共同体の喪失では、「無縁社会」という言葉も生まれた。そうした矛盾を解消することができれば、日本全体の再生にも役立つだろう。
 憲法が国民に保障する自由や権利について、最大の責任を負うのは政府や自治体だ。が、同時に憲法は12条で、自由や権利は「国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と定める。施行64年の憲法記念日に、その意味もかみしめたい。

[憲法記念日] 大震災を乗り越える「理想の灯」に

[南日本新聞 5/3 付]

 東日本大震災から2カ月近くがたとうとしている。死者・行方不明者数は2万5000人を超え、東京電力福島第1原発事故による放射線の恐怖が被災地の苦悩に追い打ちをかける。国難といわれる苦境の中で、日本国憲法はきょう施行64回目を迎えた。
 国土が一変するほどの壊滅的損害を日本が受けたのは、戦争と自然災害との違いはあっても、66年前の太平洋戦争終戦時以来である。
 国民が信じて疑わなかった成長と価値観が根底から覆された。その点で、3月11日は8月15日と同じ重みを持っている。歴史的な岐路に立ち、「国のかたち」をあらためて考え直したい。
 憲法は国の骨格を定めたものだ。戦争へ国民を駆り立てた反省から改正された今の憲法は、基本的人権の尊重を最も重要な精神に掲げた。人間を人間として尊重する。困難に直面した今こそ真価が問われる視点でもあろう。
 憲法の空洞化が指摘されてきた。ここ10年を振り返ると、基本的人権に限っても、一度解雇されるとはい上がれない滑り台社会、セーフティーネット(安全網)のほころびなど、厳しい格差社会の現実があった。
 「3・11大震災」を契機に、経済成長の陰で戦後日本が忘れていたものは何だったのかを、しっかりと思い起こしたい。

再生への希望を示せ

 憲法は基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」として国民に保障した。家族を失い、生活の基盤を破壊された人々に、政治は希望を示さなければならない。
 高齢者や子ども、障害者などの災害弱者たち、原発事故の最前線で闘う作業員たち、一人一人の権利と尊厳を守る責任が国にはある。
 震災発生から時がたつにつれて、人災の側面が強くなってきた。プライバシーさえ守れない避難所生活を送る人が、まだ12万人以上もいる。一日も早く仮設住宅の建設を急ぎ、雇用の安定にも力を尽くさなければならない。
 だが、それだけでは不十分だ。地域を再生させるためには、インフラの復旧に加えて人と人との絆、温かな連帯が欠かせない。
 被災直後の人々が落ち着いて、助け合う様子は世界中を感動させた。再生の手がかりはこうした人の絆にあるのではないか。
 今回の大震災は過疎と高齢化の進む地域で起きた。再生案次第では、地方を覆う閉塞(へいそく)感を打破するきっかけになる。
 大震災は原発の「安全神話」について、その根拠の不確かさを浮かび上がらせた。地震と津波は確かに「想定外」の規模だったが、それは福島第1原発事故の免罪符にはなり得まい。
 25年前に起きた旧ソ連のチェルノブイリ原発事故、32年前の米スリーマイルアイランド原発事故を受け、安全に敏感な国では原発政策を見直してきた。
 なぜ日本ではこれらの事故を受けて安全神話を疑い、原発推進にブレーキがかからなかったのだろうか。原発周辺の住民の不安が広い共感を得なかったのはなぜか。
 根強い反対があるのに安全性の論議が深まらず、既成事実を積み重ねて原発増設という国の方針が決められていく。日本の政治風土、民主主義には、今なお未熟なところが多いのかもしれない。

目を世界に転じよう

 外務省によると、これまでに146カ国・地域と39の国際機関が日本政府へ支援を申し出た。このうち21の国と地域から緊急援助隊、医療支援チームが来日した。
 援助の手を差し出した国々の多くは、日本より経済規模がはるかに小さい。アジア、アフリカの最貧国からも毛布や食料、寄付金などが日本政府へ届けられた。
 巨大震災で打ちのめされた人々を支えたいという精神は経済格差や人種、宗教、政治体制の違いを超え、人類に共通していることも「3・11」は浮き彫りにしている。
 憲法の前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれている。
 戦後日本は米国との同盟関係を安全保障政策の根幹に据えてきた。中国の不透明な軍備拡張、北朝鮮の核開発疑惑などの現状を踏まえれば、日米同盟が重要なことは今後も変わるまい。
 だが、米国一辺倒ではなく、広く世界に目を向けた人道大国日本の外交をもっと打ち出したい。
 憲法前文はまた、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と宣言した。
 世界では多くの人が貧困や飢餓、深刻な人権侵害に直面している。そんな人々への想像力が、わたしたちに欠けてはいなかっただろうか。
 内向きを脱して、苦しむ世界の人々を積極的に支援していく。その時、平和と人権を守る砦(とりで)である憲法はさらに輝きを増すだろう。

憲法記念日/「国難」へその理念を今こそ

[福島民友新聞 5月3日付]

 「(略)われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する(略)」。日本国憲法の前文の後段にはこういう記載がある。
 巨大な地震と津波、さらにはかつて経験したことのない原発事故に見舞われ、多くの県民が犠牲となり、また古里を追われた生活を強いられている。
 平和国家の建設を目指して憲法は1947(昭和22)年5月3日に施行され64年目を迎えたが、その原理、理念に基づいた被災者、避難者の救援・救済、被災地の復旧・復興のありようがまさに今、問われている。
 前文を受けた第25条の<1>には「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあり、生存権を保障している。
 大震災から2カ月近くになろうとしている中、現在でも8万人以上の県民が避難生活を送っている。
 原発が危機的状況に陥って出された避難指示により、着の身着のままで住み慣れた所を後にし体育館などの施設に集団で身を寄せている人たちに、この25条の<1>が保障されているとは言い難い。
 放射性物質の飛散、拡散により新たに設定された計画的避難区域の住民も、「最低限度の生活」を確保するために仮の住居をどこにするかなど間近に迫る避難に向けて思い悩む日が続く。
 一日も早い建設が求められる仮設住宅については、お盆の8月中旬までに全員の入居を完了させると首相が明言したにもかかわらず、翌日には確固とした裏付けがあったわけではないことを事実上認めた。
 建設の実務を担う自治体の中からは「物理的に無理」との声が上がっていた。首相の発言は他のどの政治家よりも重い。避難者や自治体をこれ以上惑わせてはならない。
 第25条の<2>には「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とあり、福祉や医療などでの国の責務を規定している。
 当然この中では、平時の国民生活だけでなく災害時の救援も含まれている。社会的弱者といわれる子どもや高齢者、障害者、傷病者らには特段の配慮が必要となる。
 国が負うこの責務が、さまざまな困難に直面している住民に対して果たされているかを見定めなければならない。
 財産権や勤労、教育を受ける権利も脅かされ、個人の尊厳が冒されかねない状況も今回の大震災と原発事故は生んでいる。
 未曽有の「国難」だからこそ、国は憲法という基本原理に照らして、課される使命を確実に履行していくことを求められている。

[社説]憲法記念日 震災で問われる生存権

[山陽新聞 5/3 9:11]

 きょう3日は憲法記念日。敗戦の焦土から立ち上がり、戦後の「国のかたち」をつくる土台となった日本国憲法が施行から64年を迎えた。
 1年前の5月18日、憲法改正の手続きを定めた国民投票法が施行された。改正案の国会発議が可能になり、憲法をめぐる論議が新たな段階に動きだすかに見えた。
 しかし、民主党政権は鳩山由起夫首相から菅直人首相へ交代し、夏の参院選では大敗するなど目の前の政権運営に追われてきた。改憲原案などを審議する憲法審査会は衆参両院とも休眠状態となり、野党も含めた国会の責任が問われる状態だった。
 そこへ起きたのが東日本大震災である。戦後最大の国難といえる非常時に憲法はどう関わるのか。あらためて考えてみることは、これからの復旧・復興への足がかりとなるだけでなく、あらためて国の姿を問い直すことになろう。

過酷な避難生活

 人間に値する生活ができるよう国民が国に要求できるのが社会権であり、その代表が生存権である。憲法25条は「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定める。
 だが、発生から2カ月になろうかというのに、いまだに12万人以上が避難生活を強いられている。衣食住のうち、衣食は改善されてきたが、「住」は問題だ。プライバシーがない過酷な環境の中で被災者の身体的・精神的な疲労は極限に達していよう。仮設住宅の建設が急がれる。
 続く復興の段階では土地の問題が鍵になる。土地の所有やどこに住むかといったことは、憲法29条(財産権の不可侵)と22条(居住の自由)で個人の権利が尊重されている。一方、同じ条文には「公共の福祉に反しない限り」という文言がある。今後、建築制限を課したり、利用の線引きといった復興計画の具体化の中で、どう整合性をとるのか、十分な検討と住民への説明が欠かせない。
 復興デザインを地元主体で取り組むことも大切だ。「地方のことは自分たちで決める」。戦後の憲法で初めて盛り込まれた地方自治の理念を生かすべきだ。

安全網の再構築を

 震災で住宅だけでなく仕事をなくした人も多い。復興が進んでも生活に困る人が多数生まれかねず、生活基盤を失った人たちへの支援をどう進めていくかが重要な課題だ。
 憲法25条の理念の具現化の一つが生活保護制度であり、困窮した国民を広く救済するセーフティーネット(安全網)として位置付けられてきた。だが、現行制度で十分かどうか、福祉関係者などから強い疑念が示されてきた。
 2008年の年末、東京・日比谷の年越し派遣村で村長を務めた湯浅誠さんは「生活保護を受ける前に、必要に応じて住まいや生活手段、仕事探しなどへの支援を受けられる“第2の安全網”を構築すべきだ」と指摘している。
 被災者の生活再建には時間がかかりそうだ。それぞれが置かれている状況に応じたきめ細かな支援策が欠かせない。これまでの社会保障制度のあり方を見直し、安全網の再構築が求められる。

危機感薄い国会

 国会の震災への対応はどうか。与野党対立は一時「休戦」したものの、政局をにらんだ駆け引きが再燃し、与党内では党内抗争までくすぶりだした。復旧費用などを盛り込んだ11年度第1次補正予算は2日、ようやく成立したが、福島第1原発事故の長期化にもかかわらず、危機意識が薄いと言わざるを得ない。
 復旧・復興は時間との戦いでもある。だが、衆院と参院で多数派が異なる「ねじれ」による政策決定の遅れは否めない。これまでも指摘されてきたことだが、憲法で規定された二院制のあり方があらためて問われよう。
 超党派の国会議員らでつくる「新憲法制定議員同盟」は先日、震災復興を新しい国づくりの第一歩と位置付け「その理念を憲法に盛り込むべきだ」とする決議を採択した。緊急事態を宣言できる規定を憲法に入れようという声もあり、震災を機にさまざまな議論が起きている。
 敗戦後にも匹敵する「3・11以後」である。今また震災復興に向けて、憲法の理念が問われている。しっかりと向き合わなければならない。

東日本大震災 憲法記念日/理念を被災者支援のために
[河北新報 2011年05月03日火曜日]

 憲法施行から3日で64年。その理念はどれだけ定着しているだろうか。東日本大震災を受けた復旧、復興への国の取り組みが、その度合いを測る試金石となる。
 「人間一人一人が掛け替えのない存在として大切にされ、基本的人権が守られた社会」。憲法が大づかみに指し示す社会の姿であり、権力を委ねられた国と主権者・国民との間の、実現に向けた「約束」でもある。
 発生から2カ月近く。被災者の現状に改善の兆しは乏しい。
 今なお、13万人近くが避難生活を強いられ、多くはおよそ「健康で文化的な最低限の生活」とは相いれない劣悪な環境下で暮らす。段ボールで仕切られただけのプライバシーのない体育館や、ライフラインが整わない場所で寝起きする被災者の人権は大きく損なわれたままだ。
 避難所で提供される食事は目配りを欠き、9割でカロリーが不足し、7?8割でタンパク質とビタミンが足りないとの調査結果がある。「生存権」が著しく脅かされている。
 しわ寄せは高齢者や子どもといった「災害弱者」に集中的に現れる。
 避難所生活の長期化に伴い、健康を崩す高齢者が続出。助かった命を保てない「関連死」の懸念が高まる。全身機能の衰えが進み、日常生活が不自由になるお年寄りも少なくない。
 子どもたちの教育を受ける権利も制約を受ける。学習環境が破壊され、受けた心の傷は深い。学習の遅れを取り戻す手当てはもとより、精神的ケアに万全を期すべきだ。教員を増やすなどして、教育機会の平等から大きく外れる事態を避けてほしい。
 生活再建の要、仮設住宅建設のテンポが鈍い。建設要件緩和と官民の連携強化などで「お盆まで」の目標の前倒しを望みたい。災害救助法を柔軟に解釈し、民間住宅に入居した被災者に国や県が家賃負担することもためらうべきではない。
 中長期的には高台移住の促進を図るため、国や自治体が低地の土地を買い上げたり、特別立法で長期間、法定借地権を設定したりする大胆で柔軟な取り組みも憲法の理念にかなう。
 岩手、宮城、福島3県で、失業手当の受給手続きを始めた被災者は7万人に上る。農地や漁船などの生産手段を奪われ、生活の糧を絶たれた被災者に対する暮らしを支える措置とともに、迅速に対応すべきだ。
 義援金の給付が遅れている。原発事故に伴う仮払金も同様で、早急に支給してほしい。
 原発事故で県外に避難した福島県民が心ない差別やいじめに遭うケースがあるという。憲法への理解力が問われているのは、国や自治体ばかりではない。
 最高法規としての憲法の趣旨を踏まえて主権者の国民に寄り添い、シンプルにスピード感を持って支援に取り組む。法治国家の成熟ぶりを示したい。
 未曽有の大震災である。未経験の対応に加え、公共の福祉と財産権との調整などに難しさはあるが、憲法の理念実現に知恵を絞ろう。

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