先週木曜日、サントリーホールで聴いてきた新日本フィルの定期演奏会。
- ヒンデミット:葬送音楽
- クルターク:断章――ヴィオラと管弦楽のための
- ブラームス:運命の歌
- シューマン:交響曲第2番 ハ長調 op.61
3月の定期は震災で聴けず、4月は演奏会がなかったので、新日本フィルの定期は3カ月ぶり。会場でも、「お宅はどうでした?」「あの日は歩いて帰りまして」とお客さん同士の会話が聞こえていた。当日、歩いてすみだトリフォニーまで出かけて、演奏会を聴いてきたという“強者”もおられた。
ということで、予定されたプログラムに先だってヒンデミットの「葬送音楽」が震災の犠牲者に捧げられた。
この曲と2曲目のクルタークの「断章」(日本初演)でソロをつとめたタメスティのヴィオラは、お見事の一言に尽きる。非常に透明度の高い音をしっとりと響かせて、情感たっぷりのすばらしい演奏。こんなクリアなヴィオラの音色は初めてだった。
3曲目は、残念ながら、毎度の頸痛の薬のせいに完全ダウン。後半シューマンは、そこそこの出来。プレトークで、アルミンクは、この時期のシューマンの病気は少しよくなっていたと言っていたが、そのせいか、シューマンらしい(?)鬱屈したところがあまり感じられず、僕には可もなく不可もなくといったところだった。
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東条碩夫のコンサート日記 5・26(木)クリスティアン・アルミンク指揮新日本フィルハーモニー交響楽団
ところで、そのアルミンク、今日の「読売新聞」夕刊で大きく取り上げられている(20日のトリフォニー定期)。演奏(後半、マルティヌーの交響曲第3番)については「この人らしい美しい響きをオーケストラから引き出す」と評価されているが、問題は、「楽団員との間にわだかまりが生じたとも言われる」と書かれた、4月の新国立劇場「ばらの騎士」(R・シュトラウス)の交代。「読売」の取材に、本人が「失望を感じていた楽団員もいました」と答えているほどなのだから、事態はかなり深刻なのかも知れない。
僕が聴いたサントリー定期は、後半少しお客さんが増えたが、せいぜい6割の入りというところだろうか。最近のサントリー定期は、かつての日フィルの定演のようにかなり空席が目立つから、これをにわかに4月の交代のせいと断定することはできない。しかし、先日の読響では、ズデニェク・マーツァルに代わって来日したペトル・ヴロンスキーに大きな拍手が寄せられていたのと対照的に見えた。
僕はヒンデミットが好きだから、1曲目の「葬送音楽」は印象深く聴かせてもらった。しかし、震災の犠牲者に曲を捧げるというのも、ほかのオケは4月で一巡したようなところもあって、震災から2カ月以上たってからでは、どことなく「いまさら」という感じもした。若い、ある意味無名だったアルミンクを音楽監督に大抜擢して、7年がかりで着実に実績といえるものを残してきたと思うのだが、これからどうなっていくのだろうか。
読売新聞には、アルミンクの記事の下に、「ダニエル・ハーディング 再来日13公演の活躍」との記事も載っている。傘下に自前のオーケストラをかかえる読売新聞としては、新日フィルを一方的にバッシングしたような格好にならないように、配慮したのだろう。
それはともかく、ハーディングは、震災当日もすみだトリフォニーで公演の予定だった。記事によれば、「11日夜、混乱のさなかの新日フィルとの演奏会後も、5日にわたり日本に残って大震災後の激動の状況を肌で感じた」という。さらに、「帰国後も地質学の書籍に目を通す」などしたというから、ハーディング自身にとっても、あの震災は大変大きな衝撃だったのだろう。イギリスはあまり地震がないから、よけいに驚いたのかも知れない。
3月の演奏会は、結局、11日を除いて中止になった。そのために、来月ふたたび来日するハーディングは、定期演奏会のあとにチャリティー演奏会と3月の振替公演(2回)を開く。僕も、震災翌日の公演はなんとしても聴きたいと思っていたので、振替公演はうれしい限りだ。ハーディングは、チャリティー公演と振替公演では3月に振る予定だったマーラーの交響曲第5番を、定期演奏会ではブルックナーの交響曲第8番を指揮する。超重量級だけれど、ハーディングの心意気がオケとどんなハーモニーを生み出すか、いまから楽しみだ。