今朝の「朝日新聞」(6月1日)の「オピニオン」欄で、専修大学教授の田村理氏が、「国会は憲法通りの仕事をしなさい」と題して談話を寄せている。
不信任案提出騒動に、「国会は、少なくともいまは被災者救済や復興、原発対策に集中すべき」と述べる田村氏の趣旨は、被災者救援・復興、原発対策に「こういう法律が必要だ」と思うなら、内閣任せにせず、国会議員は自分で法案をつくって自分で成立させればよい、そもそも憲法は国会を「唯一の立法機関」と定められている、「復興基本法」にせよ、子どもの年間被曝量の問題でも、“国会の場で、国民が見ている前で、きっちり議論して決めるべきだ”というのだ。
「議員のみなさんは首相を交代させることにエネルギーを使うより、憲法が定めたように自分たちで政策をつくり政府にやらせる。そこにエネルギーを使いませんか」――ごもっともな主張だろう。
さらに、田村氏は「議会は、一人の王様には任せきれない、みんなで決めよう、ということから生まれました」「戦後、各国がとってきた行政とその長に建言を集中するべきだという考え方が、僕には破綻して見える」とも指摘されている。
日本国憲法では、国会はただ「唯一の立法機関」であるというだけでなく、「国権の最高機関」だと定められている(ともに第41条)。憲法前文では「そもそも国政は、国民の厳粛な信託による」と規定されている。いまこそ国会議員、政治家諸氏は、この意味を真剣に考えなければならない。
先日、日本共産党の志位委員長が、菅首相に「大震災・原発災害にあたっての第2次提言」を提出した(5月17日)。その提言は、こちらから読むことができる。
復興への希望がもてる施策、原発からの撤退をもとめる――大震災・原発災害にあたっての提言(第2次):しんぶん赤旗(2011年5月17日)
私がこの提言を読んだとき、ある意味「当たり前」のことだけど、やっぱりこれが一番大事だと思ったのは、志位さんが、冒頭で、まず被災者、避難所の状況がどうなっているか、何に困って、どうしてほしいと願っているのか、政府の責任で実態を把握して、改善をはかるためにあらゆる努力をおこなうように求めていることだ。ほかにもいろいろな要求、要望もあるけれど、この当たり前のことができていない――そこをずばり提起しているのがうれしかった。
いまだにパンや冷たい食事しかとれない避難所がある、被災者が被災した自宅で支援も受けられずに暮らしている、健康の不安、仕事の不安、収入が途絶してコインランドリーを使う、お風呂屋さんにいく、手続きのために役所まで出かける、その一つ一つに困っている人がいる、等々、等々。連日、新聞にはそうした人たちの、折れそうな気持ちがあふれている。
同時に、がれきだらけの町の真ん中に、テントやバラックで仮設の店舗をつくって商売を再開する人もいるし、なんとか漁を再開しようと奮闘している漁師さんたちもいる。仮設住宅に入って、家族でなんとか再出発しようと思っている人もいる。
その日その日の暮らしに困っている人にも、なんとか立ち上がろうと思っている人たちにも、いま政治は何ができるのか。それを、まず被災地に行って、被災者、避難者に聞き、実態をつかんで、改善をはかるためにできることから大速力でとりくんでいく――それが政治の責任ではないか。
志位さんの第2次提言は、そういういちばん基本の問題を、まずやろうじゃないかと提案している。田村理氏が“批判ばかりの政治ではなく、自分で政策をつくり、政府にやらせよう”と言われているのも、そういうことではないだろうか。
政権が、志位さんの第2次提言にあげられているようなことを、「こういうふうにやります」と明らかにすれば、政党や立場の違いを超えて、政治の力も結集できるし、国民のエネルギーも結集することができる。そういう政治が本当にいま求められていると思う。