衆議院で「原子力損害賠償支援機構法案」の審議が始まった。吉井英勝議員の本会議質問が掲載されていたが、読んでみて、あらためて政府がすすめようとしている損害賠償がいかにでたらめなものか、思い知らされた。
原子力損害賠償支援機構法案に対する吉井議員の質問:しんぶん赤旗
吉井議員の質問の第1は、こんどの原発事故は、東京電力と原発を推進してきた歴代政府がもたらした人災であることを明確にして、東京電力が全面的な賠償に第一義的責任を負うべきことを明確に指摘している。原発事故がなかったならば得られたであろう収入と、現実の収入の差額のすべてを補償せよ、20km、30kmという機械的な線引きで被害者を切り捨てるな、放射能汚染と内部被曝を含む健康被害、農林水産業・加工業、中小商工業、観光業の損害、風評被害を含むすべての損害を賠償の対象にせよ、自主避難を含め、避難によってこうむった物質的・精神的損害、被害も含め、全面的な賠償をおこなえ、という主張は当然だ。
現在の政府の「紛争審議会」での賠償の基準作りについても、吉井議員は、審査会委員9人中3人が電力会社のつくった「日本エネルギー法研究所」に関係する法律家である、他方で被害者側の委員は1人もいないことを指摘。このような審査会のあり方そのものを見直すべきだと要求している。
そして、原子力損害賠償法の目的から「原子力事業の健全な発達」の文言を削除して、被害者救済に徹するものにせよという要求も、非常に大事な基本を提起している。
第2に、このように全面的な賠償をおこなうとすれば、東電は実質的に破綻していることは明らか。そうであれば、通常どおり「法的整理」をおこない、株主や金融債権者などにも負担を求めるべきだと指摘している。ところが、政府の「原子力損害賠償支援機構法案」は、東電の存続を前提とした「東電救済スキーム」になっている。その結果、株主責任は問われず、メガバンクの債権放棄も求められない。そもそも現在のスキーム自体、経済産業省・財務相と、三井住友銀行などメガバンクが一緒になってつくったもの。国民負担によって、株式上場を維持し、大株主で巨額の債権をもつ大銀行を救済するものだ。
第3に、賠償の財源について、吉井議員は、「使用済み核燃料再処理等引当金」 ((公益財団法人「原子力環境整備促進・資金管理センター」が管理しており、2010年度の事業報告(PDFファイル、290KB)では、2011年3月末で2兆4400億円ほど。1年間で約5000億円以上ずつ積みあがっていくので、吉井議員の上げている数字は今年度分を含んだ額と思われる。))のすでに積み立てられている2兆9000億円を取り崩し、さらにこんご積み立てられる16兆円を財源に充てるように求めるとともに、原子炉メーカーの賠償責任も問うべきだと主張している。
しかしこれにたいする政府の答弁は、東電の「法的整理」は「適切ではない」、「原子力損害賠償法は、原子力事業者のみが責任を負うことになっている」「紛争審査委員会は公正中立に運営されている」と、木で鼻をくくったような答弁ばかり。こんなことで、本当に原発の被害にあった人たちの損害が補償されるのか、不安で仕方がない。
先日開かれた第3回中央委員会総会の発言の特集も、いろいろと読み応えがあった。なかでも、「被害が甚大で、私自身の人間としての受容の限界を超えていたと思う。県議なので毎日全県をまわるが、いつも心のどこかに悲しみや涙をかかえてこの4ヶ月やってきた」という宮城の遠藤いく子県議の発言は、あらためて胸を打つ。長野の栄村(翌日に震度6の地震に襲われた)では、人口比1.7%の党員の力を発揮して「全額公費で1枚の田もだめにしない」支援策を進めているという。ホットスポットが問題になっている千葉県柏市では、子どもたちを守ろうという若いお父さんお母さんたちが、インターネットで調べて、共産党市議のところを尋ねてきて、一緒に運動にとりくみ、署名を集め、対市交渉をやり、市も独自の放射線量測定を始めるなど成果を上げているという。
「くらし・家庭」欄の2つの記事も、原発事故に悩む現地の様子がよく伝わるものだった。1つは、3日に郡山市で開かれた教育シンポの記事。親が仕事を失い、収入をたたれたことが子どもを直撃している。地震で、用水が壊れ、コメが作れない。「大学を辞めさせなきゃいけないのか。高3、中3の進路をどうすればよいのか」などなど、本当に深刻だ。「普段から保護者にとってお金のかからない学校にしなければと強く思った」という事務職員の発言が紹介されているが、本当にその通りだ。「義務教育は無償」といいながら、なんだかんだと実際にはさまざまな負担がある。高校も授業料は無償化されたといっても、その他の負担は大きい。大学の授業料などの負担はいうまでもない。もし、こうした教育費の負担がもっと少なければ、被災した子どもたちの教育、進路の困難はどれほど違っていただろうかと思わずにはいられない。
もう1つの記事は、「放射能汚染 生活への影響は」と題して、福島大学の先生にインタビューした記事。子どもの被曝問題をめぐる親の不安・悩みを、<1>時間がたてば減っていくと思っていた放射線量がずっと高いままで、この状態がいつまで続くのか分からない不安、<2>校庭の表土除去など、効果がはっきりしているにもかかわらず、国や自治体の対処が遅れていること、説明されているのが分かりやすかった。さらに、親切心からかも知れないが「こんなところで子どもを育てるなんて異常」とか「子どもだけでも(あるいはお母さんと子どもだけでも)避難を」と言われるつらさも指摘されている。家族がバラバラになることへの不安もあるし、実際、避難するためには、せめて住むところ、仕事、学校という3つが保障される必要がある。
ともかく、いまは表土を除去するなど除染作業をおこなって、放射線量をできるだけ少なくすることが必要。しかし、個人的にやれることには限界がある。国や自治体が、この問題にきちんととりくまなければ、とても親は安心して子どもたちと暮らすことができない。
最後。社会面に載っている「海水ポンプを軽視? 日本語版のIAEA報告で欠落」のカコミ記事。日本政府が6月にIAEA(国際原子力機関)に提出した報告書。英語版にある「海水ポンプ設置場所での津波の高さは10メートルを超えたと推定される」という一文が日本語版で欠落していたという。
海水ポンプというのは、原子炉の熱を最終的に海に放出するために、放熱用の海水を循環させるポンプのこと。これが壊れると、いろいろ一時的な徐熱はできても、最終的な廃熱ができなくなる。つまり、かりに原子炉の冷却装置そのものが電源喪失で作動しなくなったという事態にならなくても、海水ポンプが壊れただけでも、原子炉の徐熱が上手く行かなくなる危険性があるわけだ。しかし、今回の事故をうけて政府が全国の原発に求めた「緊急安全対策」では、海水ポンプが壊れても代替の徐熱機能で対応可能としていて、予備の海水ポンプの確保などを求めていない。それで「海水ポンプを軽視?」の見出しになっているわけだ。
報告書の日本語版からの脱落は、たんなるミスかも知れないが、しかし、海水ポンプが壊れたままで、原子炉がどれだけもつのかという問題は、けっして小さな問題ではないだろう。いずれにせよ、報告書の英語版と日本語版を読み比べて、この脱落を発見した記者の努力は大きい。