SF作家の小松左京氏が亡くなった。
僕がSFを読み始めたころ、ちょうど「日本沈没」がラジオドラマとして放送されていて、小松左京はいわば「時の人」だった。「日本沈没」はその後映画化もされたけれど、僕には、あの毎日15分のラジオ放送が思い出される。
「日本沈没」SF作家・小松左京さん死去 80歳:MSN産経ニュース
ちなみに、筒井康隆には、「日本以外全部沈没」という小説がある。もちろん、「日本沈没」のパロディだ。パロディといえば、「物体O」という作品を小松左京は書いている。タイトルは、もちろん「遊星からの物体X」のパロディ。中身は、宇宙から巨大なO字状の物体(直径1000km、高さ200km)が東京を中心として落下してきて、東京が外部と連絡とれなくなる、というストーリー。このアイデアは、後日、「首都消失」という長編に発展するが、僕は、「物体O」の方がおもしろかった。くだらないことを一生懸命書くからこそ、SFとしてはおもしろいのであって、それをまじめに巨編にしてしまったのではつまらない。
つまらないといえば、小松左京が日本製の本格的なSF映画をと考えてシナリオを書いた「さよならジュピター」は、実につまらなかった。木星を舞台にしているという点で、明らかに「2001年宇宙の旅」を意識した作品だし、「スター・ウォーズ」ばりの特撮をやったが、SF映画に不可欠な「ワクワク感」が全然なかった。
日本SFの「黄金時代」を築いた作家がまた一人亡くなったことになる。合掌。
「日本沈没」SF作家・小松左京さん死去 80歳
[MSN産経ニュース 2011.7.28 15:59]
「日本アパッチ族」「日本沈没」などの作品で知られ、文明評論家としても評価されたSF作家の小松左京(こまつ・さきょう、本名・実=みのる)さんが26日午後4時36分、肺炎のため死去した。80歳だった。大阪市出身。告別式は親族で済ませた。
京都大学文学部イタリア文学科在学中から作家の高橋和巳らと交流し、文学活動に参加。卒業後は業界紙記者、土木工事の現場監督、漫才の台本作家などさまざまな職業を経験した。昭和36年に『地には平和を』で「SFマガジン」の第1回コンテストで努力賞。SF作家としてデビューした。
空襲で焼け野原となった大阪城周辺の廃虚を舞台に、鉄を食料にする一族を描いた「日本アパッチ族」(昭和39年)のほか、「復活の日」(同)「果しなき流れの果に」(41年)など、人類と現代文明の未来を探る構想豊かな作品を次々と発表。日本でのSF小説を開拓する草分け的存在となった。
地殻変動で日本列島が水没し、日本民族は国土を失うという設定の「日本沈没」(48年)は広範な知識に裏づけられた巧みな空想力が話題を呼び、400万部の大ベストセラーに。日本推理作家協会賞を受賞したのをはじめ映画、テレビ・ラジオドラマ、劇画にもなった。また60年には「首都消失」で日本SF大賞を受賞した。
文明評論家としても知られ、45年には国際SFシンポジウムを主宰。平成2年、大阪市で開催された「国際花と緑の博覧会」の総合プロデューサーをつとめたほか、昭和59年公開の映画「さよならジュピター」では脚本・製作・総監督をこなすなど多彩な行動力が持ち味だった。