仙台オペラ協会「鳴砂」

仙台オペラ協会「鳴砂」

仙台オペラ協会「鳴砂」

新国立劇場の地域招聘公演ということで、仙台オペラ協会の「鳴砂」というオペラを見てきました。

初演は1986年。昨年、20数年ぶりに再演され(改訂版による)、今回、初の東京公演となったわけです。3月の東日本大震災で、出演者のみなさんも被災して、公演をおこなうかどうか議論を重ねたそうですが、「一歩でも前へ」ということで昨日、今日の公演にこぎ着けたわけです。

舞台は、美しい「鳴砂」の浜を持つとある漁村。そこに、嵐に流されて不思議な船が流れ着いたことから、悲劇が起こるという、悲しいお話ですが、ラストは、出演者全員に加えて、現在に生きる人々が登場して、未来への希望や復興が描かれます。会場のお客さんからも、大きな拍手が送られていました。

しかし、残念なのは「地域性豊かなオペラ」という割に、舞台設定にはあまり東北、仙台という雰囲気を感じませんでした。村の祭りの場面で、纏が出てきたり、中華街の獅子舞のようなオス、メスの虎の舞が登場したり、このへんの設定にも違和感が残りました。

また、嵐でどこか遠くから船が漂着することを、「くだされ物」といって待望する村の”伝承”を描写するのにかなりエネルギーをさいていた割には、それがこの「鳴砂」の物語にどういう意味を持つのか、いまいちはっきりしませんでした。「くだされ物」によって、かろうじて生きながらえる、というのであれば、もっと村の貧しさを印象づけるような描き方があってもよかったのでは、と思いました。

さらに、貧しい漁民たちにたいして、ミナジの育て親の2人(ジサクとトマ)と、村長らしき身なりのいい人物がいて、さらに山伏が登場します。ジサクとトマはともかく、この村長らしき人物と山伏の2人が、ストーリーの中でどんな位置で、どんな役割を果たしているのか、この点もあまりはっきりしませんでした。この村長らしき人物は、船とともに流れ着いた財宝をこっそり自分のものにする様子なども描かれたり、漁民たちが銘々に「くだされ物」から獲物を持ち去ろうとするのにたいして、村の「秩序」を押しつけようとしたり、こういうあたりに何か演出上の意図があったと思うのですが、よく分かりませんでした。山伏も、最初はこの村長らしき人物と一緒の側にいるのですが、途中で頭襟? を外してイサゴの妹ナギサを追いかけてゆき、最後の合唱では、一緒に抱き合っていましたが、これも何を表わしているのか分からずじまい。

いろいろ書いてしまいましたが、そもそも一番大きな問題は、曲に日本語のセリフを載せて歌うと、どうしても間延びしてしまうこと。「ミ〜ナ〜ジ〜、ミ〜ナ〜ジ〜、あ〜な〜た〜は〜〜」とやっていくので、時間がかかる割に情報量が薄い。しかも、「イサゴが〜〜かわいそ〜お〜」と分かりきった科白回しですすむものだから、どうしてもストーリーを展開させるだけで時間がかかってしまう感じです。と、こう書いてしまうと、なんだか日本語でのオペラを全面否定しているようにとられるかも知れませんが、そうではなく、日本語のオペラとして成功させるには、科白をもっと効果的なものにしていくことが求められるのではないか、ということです。

音楽は、なかなか雰囲気もあっておもしろかったのです。オーケストラは、仙台フィル。指揮は、仙台フィル正指揮者の山下一史氏。原作は菅原頑氏、作曲・脚色・演出は岡崎光治氏、演出補・渡部ギュウ氏。

【関連ブログ】
東条碩夫のコンサート日記 7・31(日)仙台オペラ協会東京公演  岡崎光治作曲「鳴砂」

音楽の力を復興の礎に 仙台の音楽家が東京でオペラ:朝日新聞
希望新聞:東日本大震災 被災地の市民ら、創作オペラ「鳴砂」――東京で30、31日:毎日新聞

音楽の力を復興の礎に 仙台の音楽家が東京でオペラ

[asahi.com 2011年7月28日11時24分]

 仙台を拠点にする音楽家たちでつくるオペラ「鳴砂(なりすな)」が30、31の両日、東京・初台の新国立劇場で上演される。演奏は仙台オペラ協会と仙台フィルハーモニー管弦楽団。被災したメンバーもいるが「音楽の力を復興の礎に」と、震災後も練習を続けてきた。
 「鳴砂」は同協会の創立10周年を記念し、1986年に委嘱初演された。原作は元放送作家の菅原頑(がん)で、作曲は合唱音楽を得意とする岡崎光治。昨年9月に仙台で再演され、新国立劇場の地域招聘(しょうへい)プログラムで東京の舞台にもかけられることになった。
 大震災後、上演の可否を検討したが、石巻の歌手が長靴姿で練習場に徒歩で現れたのを見た芸術監督の佐藤淳一が「皆が故郷への愛情を新たにした今こそ上演を」と決断、4月から練習を再開した。
 家が被災したアヤギ役の相沢優子は一時、仙台市内の避難所から練習に通っていた。
 「震災は街の風景を大きく変えたが、芸術や人の情は変わらない。変わらぬものの尊さや、欲にからめとられた愚かな、でもだからこそ愛(いと)しい人間たちの姿を描きたい」
 舞台は東北のとある漁村。踏めばキュッと音を立てる鳴砂は、豊かな自然の象徴だった。しかし、ある日「青い灯」とともに不思議な女の乗った難破船が現れ、人々の平穏な暮らしに影が差す――。
 人間のエゴと自然破壊という重い題材を扱ったうえ、女川原発の議論が渦巻いていた時期の初演。当然、話題となった。しかし昨年の再演にあたり、原作者の菅原はプログラムに「思想性を臭わせることに、作者は思案投げ首と相成った」と書いた。音楽を特定の思想表明に「利用」されることを危ぶんだのだ。
 音楽そのものは、土俗的な祭りを思わせるエネルギッシュな変拍子のリズムや、美しい民謡風の旋律に満ちている。仙台フィル正指揮者の山下一史はこう語る。「さまざまな暗喩をどうとらえるかは聴衆に委ねたい。現実を超え、人々の想像力を連携させるのが音楽の力。僕らはただ、真摯(しんし)に音を紡ぐだけ」

希望新聞:東日本大震災 被災地の市民ら、創作オペラ「鳴砂」――東京で30、31日

[毎日新聞 2011年7月23日 東京朝刊]

◇「音楽で何かしたい」??渋谷の新国立劇場で

 仙台市や宮城県石巻市、多賀城市など被災地の市民が演じる創作オペラ「鳴砂(なりすな)」が、30日と31日の午後3時、東京都渋谷区の新国立劇場で上演される。震災後は練習継続が危ぶまれたが、3月末に予定通り公演すると決め、毎週末けいこに励んできた。
 「鳴砂」は仙台オペラ協会の10周年を記念して作られ、86年に仙台市で初演した。白い砂浜が広がる東北の漁村を舞台に、嵐で打ち上げられた難破船をめぐる若い男女の物語だ。出演は地元の小、中学校の音楽教諭やピアノ教室の教師らで、震災直前の3月6日に練習を始めたばかりだった。
 自宅が全壊したり、家族を亡くしたスタッフがいたため練習は中止に。公演を最終決定する3月26日の会議で「やろう」と声を上げたのが、自宅1階が水没し、車も流された石巻市の音楽講師、山田正明さん(70)だった。「やめるのは簡単。どうせなら大変な方を選ぼうよと言いました。音楽で何かしたかった」
 初演時は主役。がんを患い、今回はセリフだけの役だが、練習に通うため車を買った。同協会の庄子真希事務局長は「山田さんの一言で前向きになれた。練習によってスタッフが一丸となり、元気が出ました」と話す。

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