これは歴史学関係者じゃなくても必読だ!!

『歴史評論』2011年9月号

『歴史評論』2011年9月号

歴史科学協議会の『歴史評論』9月号に、日本政治史の功刀俊洋氏が「地震と放射線に揺さぶられて――フクシマから」という報告を書かれている。書かれたのは5月時点ということだが、冷静に書かれた文章の行間から、なるほど福島(とくに福島市内)はこうなっているのかと、原発事故の深刻な実態を思い知らされるものだ。

功刀氏は、「これは想像したくないです」と断りつつ、福島原発が事故の収束に失敗して、再び大爆発を起こし、関東と東北地方全域が再び低線量被曝地となり、いわき市や郡山市、福島市を含む60km県内の150万人が避難せざるをえなくなるのではないかという「恐怖」にふれ、その恐怖のもと、福島では「県内での原発の是非を論じるのはタブー」「事故の収束がすべてに優先する課題で、それ以外のことを検討する余地がない」と指摘。その状況を、「はたして今後福島に住みつづけられるのか見通しがないのです。時間が止まっていて、過去も未来も語りにくいのです」と表現されている。

福島市は、3月15日には、24μSv/h(マイクロシーベルト毎時)の「低線量の放射線被曝地」になったという。5月には1.4μSv/hになったとはいえ、その後はなかなか下がらない(8月12日でも、1.14μSv/h)。放射性セシウムの半減期は30年なので、放射線量が「平常値の0.05μSv/h前後」に戻るには、いったい何年かかるのか。功刀氏は、その間に、フクシマが「原発事故と放射線被害・不安を克服して、人間がよりよく生活できる再生と発展のモデルを世界に提示」しているか、はたまた「震災前から進行していた人口減少と産業衰退がこの事故をきっかけに一挙に加速して、子どもや若者がいない地域から無人地域へと、100年を待たずに地域社会が崩壊していく」のか、と問いかけている。すでに、8000人の子どもを含む3万人の県民が県外に避難・転出していて、猶予はない。

今後も避難・転出者は増えるだろうが、他方で、多くの住民は、やむをえず、地域に踏みとどまって生活を続けていかざるをえない。そこで問題になるのが放射線による健康被害への不安。「ところが、現在の放射線医学では、ヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリの経験しかないためか、放射線医学界をめぐる政治・利権体質のためか、毎年100mSv未満の低線量、長期累積、内部被曝による健康被害について、住民が納得できる合意可能な知見を提供していません」。そこから、極端な「楽観論」と「悲観論」という「両極端の議論」が生まれているという。極端な「楽観論」は、平常生活・業務への早期復帰を主張し、健康不安を訴える声には答えようとしない。他方で、「悲観論」は全域避難、住民疎開を主張。「住民は両論に分裂して社会的混乱の渦が拡大し、行政は対応に苦慮」「パニックや避難による社会と心のダメージの大きなことも体験」したという。

そうして、現在は、「原発・放射線の被害に対する可能な限りの安全対策を行政に講じさせる」という活動が一部の住民から始まり、それがマスメディアと行政を引っ張り、放射線健康被害の学習会、残留放射線の測定と汚染地図の作成・公表、子どもの年間被曝許容量を文部科学省に設定させる運動、校庭の除染要求運動などが広がり、福島市内でも除染作業が始まった。

しかし、本当の不安は残留放射線被曝ではないと、功刀氏は書かれている。本当の不安は「原発の再爆発です」と。

 他方、本当の不安は残留放射線被曝による健康被害でなく、原発の再爆発です。巨大地震やその余震の際に、あの原発の建物や内部構造が耐えられるでしょうか。その時には三月同様に鉄道は停止し、国道は土砂崩れで不通でしょう。水道も電気も止まり、電話も混線してしまうでしょう。しかし、内心その恐怖におびえながら、どの機関も再爆発時の緊急事態対応を本気で検討しようとはしていません。150万人の避難は、あまりに社会的負担と混乱と犠牲が大きいから、想定したくないのです。「その時は、屋内退避や避難の命令は政府の決定によるものだ」という説明で、あとは思考停止です。3月の事態と同様、当面政府は命令するだけで、誰も東京から避難作業や混乱回避には来てくれません。退避や避難の準備や演習、備蓄物資の確保、大規模な避難場所の確保、パニックの防止策、住民の緊急連絡網、社会的弱者の救援方法など、今から各機関が準備していかなければ緊急時に対応できないこと、準備しておけば犠牲を少なくできることはたくさんあります。しかし現状の対応では、その時は「あとは野となれ山となれ」でしょう。首都圏での巨大地震と複合災害を想定すると、おそらく恐怖の規模が、けた違いに大きくなります。

現在の福島第一原発が、今後の大きな余震に耐えうるのか。それを考えれば、とても「安定的に冷却できている」などといっていられないことは明らかだろう。また、溶融した炉心から、どうやって核燃料と使用済みの放射性廃棄物を安全に取り出すのかは、まったくもって何の見通しもない。そういう現状では、「原発の再爆発」を「杞憂だ」といってすませることはできない。

功刀氏の報告の後半は、福島県内の歴史資料や文化財の流失、被害について。功刀氏地震、相馬市史の史料探しのなかで、昨年、漁業関係の経営史料の所在を確認したが、4月に現地を訪れてみると、すべて津波に流されていたという。日本の漁業史・漁村史の研究は、まだまだマイナーな分野で、貴重な経営史料が失われてしまったことは、本当に残念でならない。

国見町や桑折町では、土蔵が倒れ、歴史的景観を大切にした町づくりへの影響が心配される。福島市も、空襲被害を受けなかったので、戦前の建物がいろいろと残っていたが、やはりそれが地震で崩壊し、すでに取り壊されてしまったものもあるという。

新聞記事でいろいろと福島県内の住民の動きは報じられているが、その渦中にある研究者による現地のリポートとして、あらためて事態の深刻さと、とりくみの立ち遅れを痛感させられた。

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