最近は、演奏会が終わるとすぐTwitterでつぶやいてしまうので、Blogへの書き込みが滞りがちですが、相変わらずコンサートには足繁く通っております。
まず、11月10日は都響の定期演奏会Bシリーズ。
- モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488
- R・シュトラウス:家庭交響曲 op.53
翌11日、1並びのおめでたい日には、日フィルの定期演奏会。
- ショパン:ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 op.11
- ラフマニノフ:交響曲第1番 ニ短調 op.13
一昨日は、今年創立100周年を迎えた東京フィルのコンサート。
- ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より第1幕への前奏曲
歌劇「ローエングリン」第2幕より“エルザの大聖堂への入場”
歌劇「タンホイザー」第2幕より“歌の殿堂をたたえよう” - R・シュトラウス:歌劇「サロメ」より“7つのヴェールの踊り”
歌劇「ばらの騎士」より 第2幕“ばらの献呈” 第3幕“元帥夫人、ゾフィー、オクタヴィアンの三重唱” - グリット:歌劇「ナナ」第1幕より 小序曲と第3景
- ヴェルディ:歌劇「アイーダ」第2幕より“アイーダとアムネリスの二重唱”〜“凱旋行進曲”〜“終曲”
そして昨晩の、東京交響楽団のサントリー定期演奏会。
- シェーンベルク:モノドラマ「期待」 op.17
- フォーレ:レクイエム op.48
まず、都響。指揮のヴォルフガング・ボージチは、ドイツのグラーツ歌劇場第1指揮者、ウィーン・フォルクスオーパー指揮者をつとめたという。下手をすると俗悪に聞こえるR・シュトラウスの「家庭交響曲」を見事にこなすあたり、なかなかの腕前なのかもしれません。しかし、いかんせん興味のわかないプログラムで、ほとんど轟沈状態でした。(^_^;)
日フィルは、ラザレフ指揮のラフマニノフ・シリーズの第1弾。事前の記者会見で、ラザレフは、ラフマニノフの交響曲第1番の初演が大失敗したが「明後日の演奏会で、音楽的な理由はないということを証明いたします」と豪語したそうです。しかしオイラは、2番よりよほど1番のほうが好きなので、なんでそれが失敗したのかわからないほど。あらためて証明するまでもないと思うのですが、当日の演奏は、そりゃもうたいしたもの。東条碩夫氏がブログに書かれているとおり、爆裂しても、決して破綻しないところが、いまの日フィルのすばらしいところですが、個人的には、ここまで爆裂させなくても…というのが正直な感想です。
東フィルのコンサートは、かつてナチスに迫害されて来日して、東フィルの前身・中央交響楽団、東京交響楽団の常任指揮者をつとめたグリットにちなんで、彼のオペラ「ナナ」を含めてオペラ曲を集めたプログラム。創立100周年を記念した一種のガラ・プログラムでした。とはいえ、ダン・エッティンガーの指揮はオペラらしい“艶”に欠け、「7つのヴェールの踊り」もまったくエロティシズムが感じられません。最後のヴェルディは、2階席の左右にアイーダ・トランペットを配置して、華やかに大団円。ま、終わりよければすべてよし…、ということにしておきましょう。(^_^;)
最後は、スダーン指揮のフォーレ・レクイエム。スダーンが「フォーレがフル・オーケストラ用に書き換える前の稿態を復元した、アメル新版を用います」と語っているとおり、コンパクトな弦楽で、敬虔な祈りの雰囲気をもりあげます。第4曲では、ソプラノの森麻季さんが2階パイプオルガンの前に登場。「主よ、やさしきイエスよ、彼らに安息を与え給え」との祈りがホール全体に響き渡って聴こえてきます。それにしても3・11後の日本で、「天地が震え動く」「大いなる悲嘆の日」に、「彼らに安息を与え給え」と祈るこの曲を聴くことは、やっぱり平静なままではいられません。
ということで、今月はあと月末の読響定期のみです。