12月のコンサートの途中経過です。
まず、12日は都響の定期演奏会Aシリーズで上野の文化会館へ。今月はインバルの登場です。
- ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第2番 op.126
- ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 op.47
翌13日は読響の定期演奏会。指揮は秋山和慶氏。
- モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K.136(125a)
- ハイドン:交響曲第104番 ニ長調 〈ロンドン〉
- R・シュトラウス:交響詩〈ツァラトゥストラはこう語った〉op.30
そして、本日の、佐渡裕指揮、東フィル「第九」特別演奏会。
- ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 「合唱付」 op.125
3回のコンサートで最もよかったのは、なんと言っても今日の佐渡裕指揮による第九演奏会です。
佐渡裕氏の指揮で演奏を聴くのは今日が初めて。もっとど派手にやるのかと思っていたら、意外とやさしく甘美な演奏。テンポも割とゆったりとした感じで、全体で約70分かかりました。オケは14-12-10-8-7の、やや小振りの編成。コーラスもステージ上に並び、総勢で約80名でした。ソリストはコーラスの前(つまりオケの後ろ)でした。ソロは、ソプラノ横山恵子、アルト谷口睦美、テノール西村悟、バリトン甲斐栄次郎。合唱は東京オペラシンガーズ。
佐渡さんは、今朝の「題名のない音楽会」で、この「第九」第4楽章の歌にベートーヴェンが込めた気持ちを、佐渡さんが男声コーラスと一緒に肩を組んで歌うなど、ユニークなやり方で紹介していました。それを見たからかどうかは分かりませんが、ともかくベートーヴェンがこの合唱に込めた思いがビンビンと伝わってきました。ソリストの面々も見事でしたが、オペラシンガーズの合唱がすばらしかった。これまで何回となく「第九」を聞きましたが、これほど歌の気持ちがストレートに響いてきたのは初めてです。
終わったあと、4回のカーテンコールの間もほとんど席を立つ人はなし。満席のサントリーホール全体が感動した演奏会でした。
その次は、インバル指揮の都響定期。いつもはBシリーズなのですが、今月は20日が綱領教室と重なったため、振り替えていただいて、12日のAシリーズを聞いてきました。
1曲目、ショスタコのチェロ協第2番は、生で聴くのは初めて。これまでとらえどころのない曲だなぁ〜と思っていたのですが、リプキンの演奏を聴いてみると、弦楽四重奏をオーケストラに拡大したような、なかなか複雑な作品で、ところどころにショスタコらしい諧謔も加わって、屈折した作曲家の精神世界に引き込まれてしまいました。
2曲目は、いうまでもない超有名曲。インバルの演奏は、これをうまくまとめてしまわないで、不協和音的に響くところもそのままがつんと響かせるという感じ。それが、響きの少ない文化会館でますます刺々しく聞こえました。とりわけ第3楽章から第4楽章冒頭にかけては、今の日本で聞くにはあまりに切なすぎました。
しかし、この日は、1曲目、陰鬱な作品が終わったと同時、というよりも最後の音がこれからホールに響いていこうというその瞬間に、盛大な拍手をしたアホがいて、せっかくの余韻が台無しにされてしまいました。なにより演奏者のリプキンががっかりしたはずで、その証拠に、2日後のオペラシティではアンコールにこたえたのに、この日はアンコールなし。同じアホは、2曲目でもフライング拍手をくり返していましたが、かつての日フィル木曜定期の「無頼棒」男 ((昔、日フィルの木曜定期で、毎度毎度、フライング・ブラボーをかますお客がいて、日フィル協会の機関紙「市民と音楽」が奉ったあだ名が「無頼棒」。木曜定期からお客さんが逃げ出す原因の1つになった。))いらいの超ど級のアホです。
最後は、13日の読響定期。秋山和慶氏の指揮は初めてなので期待したのですが、いかんせん、R・シュトラウスの「ツァラトゥストラ」ではそれがさっぱり分かりませんでした。前半、ディベルティメントは、僕的には、お抱え宮廷楽士として「こんなん出来ました」的な作品(それでもこれだけ見事なのは、さすがモーツァルトなのですが)で、苦手な曲。ハイドンの最後の交響曲「ロンドン」は、ハイドンの曲としてはかなり聴き応えのある作品で、この日の3曲の中では一番面白く聞きました。
ということで、いよいよ今年も、残すところは26日の読響「第九」演奏会(下野竜也指揮)だけ。いよいよ大団円へ向かって、ラストスパートです。(^_^;)