『資本論』について、いくつかつのテーマについてぶやきました。翻訳にかんすることがいくつかと、「いわゆる本源的蓄積」はなぜ「いわゆる」本源的蓄積なのかという問題。(^_^;)
夜中に、BS歴史館「戦争指揮官リンカーン」(2011年12月22日放映)なんてものを録画で見てしまったもんだから、ちょっとあっちこっちに発想が展開してしまいました。
時系列では、話が錯綜しているので、整理しました。
[Formをいつでも形態と訳すのは間違いではないか]
- 「力織機の近代的形態」なんていわれると何だろう?と思ってしまうけど、力織機の最新の型式のこと。Formを何でも形態と訳すのはやめよう。(^_^;) posted at 00:19:27
[イギリスとは?]
- 「イギリス」という訳語の使われ方もかなりいい加減。マルクスは、第23章第5節注(107)で、「イングランド」はウェールズを含み、「グレートブリテン」はイングランド+ウェールズ+スコットランド、「連合王国」はグレートブリテン+アイルランドのことだと説明している。 posted at 00:52:06
- 日本でイギリスという場合は、恐らくイングランドではなく、グレートブリテンあるいは連合王国を指していると思う。イングランドを指してイングリッシュと言っている場合は「イングランドの」と訳すべきだろう。スコットランド併合以前も明らかにイングランド。 posted at 00:54:51
- 問題は、スコットランド併合後で、フランスやドイツなどと対比してイングリッシュと出てきたときに、それがイングランドなのかイギリスなのかが分かりづらい。この辺は、イギリス人ならすぐ分かるんだろうなぁ〜 「イギリス」問題は純粋に日本語の問題。 posted at 00:56:11
- マルクスが注(107)で言っているのは、イギリス人にとっては常識的なこと。イギリス人に聞いてみたいのは、スコットランド併合後のことで、ただ単にイングランドと言った場合に、それがグレートブリテンを指すような使い方があるのかどうか。 posted at 01:02:57
- まあ、そんなことは資本論の高尚な解釈とはあまり関係がないのだけれど、しかしマルクスが何をどういうつもりで書いたのかも読めなければ、高尚な解釈も成り立たないことも事実。歴史的叙述の部分は、まだまだきちんと読む余地が残っているように思う。 posted at 01:36:30
[資本論に出てくる地名はGoogleやWilipediaで調べられる]
- 資本論に出てくる地名は、原綴りをGoogle地図やWikipedia英語版に放り込んでやると、どこのどんな町か、かなり細かいところまで確認できる。そうやって調べてみると、いろいろと合点のいくところもあって面白い。 posted at 01:33:41
- 資本論第24章第2節に出てくるノルマン征服王が36カ村をつぶしてつくった「新しい森」というのも、いまはNew Forestという国立公園になっていることが分かる。 http://en.wikipedia.org/wiki/New_Forest posted at 01:39:34
[なぜ「いわゆる本源的蓄積」は「いわゆる」本源的蓄積なのか]
- もう1つ。いま気になっている問題は、なぜ「いわゆる本源的蓄積」は「いわゆる」本源的蓄積なのか? ということ。最初マルクスは、「いわゆる」なしに「本源的蓄積」と言っていた。それが「資本論」では「いわゆる」がつくことになったのには、どんな理由があるのだろうか? posted at 01:06:31
- ある程度の見当はついているのだが、論証はできていない。一番困るのは、見出しには「いわゆる」がついているのに、資本論の本文で「いわゆる」がつくのは3カ所?程度しかなく、あとはいわゆるなしの「本源的蓄積」であること。それに、フランス語版では「いわゆる」がついてないこと。あ〜悩ましい。 posted at 01:08:12
- @marukenkyu マルクスは『7冊のノートへの索引』の第1草案では、「III 資本一般」の「1 資本の生産過程」の第4項目として「本源的蓄積」。「資本にかんする章へのプラン」でも「I 資本の生産過程」第4項目として「本源的蓄積」がありますが、いずれも「いわゆる」なしです。 posted at 12:22:58
- @marukenkyu さらに「剰余価値にかんする諸学説」ノートXVIIIの「第1篇のプラン」では、「6、剰余価値の資本への再転化。本源的蓄積。…」と、ここでも「いわゆる」なし(草稿集8、p.542)。ところがノートXXIIでは「β いわゆる本源的蓄積」に(草稿集9、p.596) posted at 12:31:18
- @marukenkyu だから、この間に、マルクスの認識が、単なる「本源的蓄積」から「いわゆる本源的蓄積」へと発展したと思うのです。で、ノートXXIIでは2つの「いわゆる本源的蓄積」の間に、囲い込みなどにかんする著作の抜き書きが一杯残されています。 posted at 12:35:11
- @marukenkyu だから、マルクス自身が、こうした著作を読んで、本源的蓄積の過程が「血と火の文字」で書かれていることを詳しく知って、とても「純朴な」蓄積過程とはいえないと考え、「いわゆる」をつけたのではないか、ということです。長々と失礼! posted at 12:38:11
[「原初的」蓄積]
- @mnb_chiba 「原初的」の訳語は、すでに筑摩版『資本論』で採用されています。「本源的」という訳語には歴史主義的な誤った読み方がまとわりついているというよな理由を
3人の訳者の誰かが『現代思想』の論文に書いていたように思います(記憶モード)。posted at 12:16:17 - @mnb_chiba 私も、ところどころ誤植を発見したり、「通俗経済学」などという翻訳を発見したりしたほかは、まあだいたい同じようなものです。なぜ「原初的」かという論文は、
2005年の『現代思想』のマルクス特集号にでていたはずですが、すぐには見つかりません。どこかで探してくださいposted at 15:35:05 - @mnb_chiba @marukenkyu 筑摩版『資本論』上の凡例に次のような説明がありました。「「原始的」も「本源的」も不必要なイデオロギー的思い込みを誘うからである」。また、剰余価値の訳語は踏襲したものの「「剰余」という表現は、厳密には問題的な訳語である」とも。 posted at 16:22:19
※『現代思想』のマルクス特集に書いてあったはずというくだりは間違いですので、取り消します。
[リンカーンと南北戦争]
- そうか、アメリカの綿花生産は世界の75%も占めていたのか(1850年代)。←NHK BS歴史館「戦争指揮官リンカーン」 posted at 02:16:15
- リンカーンは、奴隷制の拡大に反対しただけで、当時すでに奴隷制のおこなわれた州での奴隷制を禁止するつもりはなかった。 posted at 02:17:05
- しかし、マルクスは、奴隷制度は拡大を禁止されると存亡の危機に直面すると指摘した。で、なんでかなと思ったら、綿花栽培の急激な拡大が土壌の損失をもたらしていたからだって。なるほど〜 ←NHK BS歴史館「戦争指揮官リンカーン」 posted at 02:18:44
ちなみに、BS歴史館「戦争指揮官リンカーン」では、南北戦争開戦後、北部で奴隷解放の世論が大きくなったという場面で、「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」の紙面が映し出されていました。一瞬でしたが、マルクスが寄稿していた「トリビューン」って、そういう位置を占める新聞だったのね、と思ってしまいました。(^_^;)
[南北戦争は「警鐘」か「出撃の合図」か]
- 資本論の初版序文で、マルクスは、アメリカ独立戦争がヨーロッパの中間階級にたいする、南北戦争がヨーロッパの労働者階級にたいする「警鐘」になったと書いている。この「警鐘」の原語はStrumglockeだが、これは「出撃の鐘」の意味ではないのか? posted at 02:58:58
- タイポ StrumglockeではなくSturmglocke、 posted at 03:00:34
- しかし、南北戦争(北軍の勝利、奴隷制廃止)がヨーロッパの労働者階級にとって「警戒せよ」という合図になる、というのは合点がいかない。マルクスは、奴隷解放は労働者階級の解放に繋がるものだと思っていたはず。 posted at 03:02:11
- だったら、南北戦争が「警鐘」になるのはヨーロッパのブルジョアジーにとってのはず。だから、南北戦争がヨーロッパの労働者階級にとっての「警鐘」になるという翻訳は納得できない。 posted at 03:03:28
- Sturmは「嵐」だからSturmglockeは「嵐の時に鳴らされる鐘」つまり「警鐘」だということになるのだが、独和辞書をみるとSturmには軍事用語として「突撃」「出撃」の意味もある。そう考えると、Sturmglockeは「突撃の号令」「出撃の合図」になるのではないか? posted at 03:06:19
- 新日本訳は「出動準備の合図」となっていて一歩前進ですが、僕は「出動準備の」ではなく「出撃の合図」だと思っているので、なんとも中途半端な訳語に思われてなりません。 RT @marukenkyu: @GAKU_IZ 新日本訳では正しく訳されてますね。 posted at 12:08:56