映画「サラの鍵」

映画「サラの鍵」

昨日、フランス映画「サラの鍵」を見てきました。1942年7月のフランスにおけるユダヤ人一斉検挙をテーマにした作品です。

パリで暮らすアメリカ人女性記者ジュリアは、夫の祖父母が暮らしていたアパルトマンに引っ越す準備をしていたが、ふとしたきっかけで、その部屋に祖父母が越してきたのが1942年8月だったことを知る。そこから、この部屋に秘められた歴史に踏み込んでゆきます。

冒頭から、強制連行の様子が激しく、かつ生々しく描かれ、事件の結末を知る僕としては、のっけからぐっと引き込まれます。(^_^;)

映画の中で、ジュリアが「ヴェルディヴ(屋内競輪場)」事件 ((屋内競輪場は、一斉検挙されたユダヤ人が閉じ込められた場所。1万3000人が5日間、水も食糧もなく閉じ込められ、そのあと強制収容所に送られた。なお、この事件は昨年公開された「黄色い星の子供たち」でも描かれている。))のことを話すと、若い編集者が「綴りは?」と聞き返すシーンが出てきます。1995年にシラク大統領が、このユダヤ人強制連行はナチスではなくフランス警察がおこなったものであることを公式に認め、謝罪していますが、それにもかかわらずいまのフランスの若者には知られていないというのは、ちょっと驚きでした。

もう1つ、印象的だったのは名前を告げる、名前を記録するということの大切さが描かれていること。

収容所から脱走しようとしたサラが若い警官に見つかる場面で、サラが「私はサラ・スタルジンスキ」と名乗る。そのとき、その若い警官にとってサラは一人の生きた人間となったのでしょう(そのこと自体は映画では描かれていませんが)、若い警官はサラの脱走を見逃すのです。また、収容所を逃げ出したサラを結果として匿うことになった農家でも、最初サラは偽名を名乗っていましたが、本当に匿ってもらえると分かったとき、彼女は「私はサラ・スタルジンスキ」と名乗ります。

ジュリアがユダヤ人犠牲者のことを調べるために訪れた事務所では、調査員が「犠牲者を単なる数字ではなく、一人一人に名前を与えたい」と語ります。

なるほど、名前をもっているということには、それだけの意味があるのだとあらためて思いました

前半は、かなりシビアな場面が登場しますが、後半はジュリアがサラのその後を追いかけることに。そこにもなるほどなあと思わされたことがいろいろあるのですが、それを書いてしまうとネタバレになってしまうので、コメントは我慢しなければなりません。ただ一緒に映画を見に行った友人が「あんなことがあったのに、そのあとなぜジュリアの祖父母たちは別のアパートに引っ越さなかったのか」と言っていましたが、僕はむしろ、ああいう事件があったからこそ祖父母たちは引っ越さず、その部屋を買い取り、さらに部屋を買い増して住み続けたのではないかと思いました。そういう、歴史にたいする向き合い方というものがある、ということだと思います。

それにしても、こういう映画がなりたつのは、戦前からのアパルトマンが現在も使われ続けているからこそ。内装はすっかり新しくするし、映画でも言われているように、必要とあれば隣の部屋も買い取って、壁をぶち抜いて一部屋に作り替えるけれども、建物そのものはそのまま使い続けているわけです。日本だと、建物を取り壊して更地にして、新しくどーんとマンションを立ててしまえ、ということになるんでしょうが、やっぱり街にも歴史があるわけで、2、30年もしたら建て替えなければならなくなるような安普請のビルを建てては壊し、壊しては建てている日本の貧しさということも考えさせられました。

【公式サイト】
映画『サラの鍵』公式サイト

【映画情報】
原題:Elle s’appelait Sarah/出演:クリスティン・スコット・トーマス(ジュリア)、メリュジーヌ・マヤンス(サラ)、ニエル・アレストリュプ(ジュール・デフォール)、フレデリック・ピエロ(ジュリアの夫)、エイダン・クイン(ウィリアム)/監督:ジル・パケ=ブレネール/原作:タチアナ・ド・ロネ『サラの鍵』(新潮クレスト・ブックス)/フランス 2010年

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください