Twitter上で、恵林寺検地帳について呟きました。中世史研究者の方にはご不満があるでしょうが、近世史研究者の側からいえば、こういうことです。^^;
- 恵林寺と聞いても、検地帳としか思わないのが日本史研究者の悲しさ。^^; RT @mizuno_masami: 武田信玄の菩提寺「恵林寺」。 http://twitpic.com/9s9cqf posted at 16:55:43
- 恵林寺には武田時代の検地帳が残っていて、それを、中世史研究者は兵農分離を表わすものだと言い、近世史研究者は兵農分離以前の検地帳だと言って論争になっています。 RT @mizuno_masami: 私などいままで、信玄の菩提寺だということを知りませんでした。 posted at 18:59:31
- 僕(元近世史研究者)からみれば、恵林寺検地帳が兵農分離以前の検地帳であることは疑問の余地なし。兵農分離とは兵身分の者と農身分の者とを身分的に区別することではなく、兵身分の者を農業から引き離し、農村から引き離すこと。 posted at 21:31:46
- 中世の土豪、地侍は、隷属農民を抱え彼らを使役して自ら農業経営を行った階層。彼らは年貢を負担する一方で、領主に軍役を務め、それに応じて得分を認めるという形で年貢負担の一部を免除された。兵農分離は、こういう階層を農村・農業から引き離し、武士身分に固定し、城下に集住させた。 posted at 21:37:38