『資本論』を読んでいて、気になるのは、「イギリス」という言葉。地名としては「イギリス」という言葉は英語にもドイツ語にもありません(現在のイギリス国の正式な名称は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」)。邦訳を原書とつき合わせてみると、イギリスはEnglandあるいはenglischの訳語としてだけでなく、さらにbritisch(ブリティッシュ)の訳語としても用いられています。他方で、「連合王国」や「ブリテン」も出てきて、うむむ…
そう思って読んでいると、第23章第5節「資本主義的蓄積の一般的法則の例証」の原注(107)で、マルクス自身が次のように書いていました。
(107) イングランドにはつねにウェールズが含まれ、グレートブリテンにはイングランド、ウェールズおよびスコットランドが含まれ、連合王国には、この3地方とアイルランドが含まれる。
107) In England ist immer Wales eingeschlossen, in Großbritannien England, Wales und Schottland, im Vereinigten Königreich jene drei Länder und Irland.
イギリスの成り立ちをふり返ってみると、
- ウェールズがイングランドに最終的に併合されたのは13世紀。(このとき征服したのが皇太子だったので、以来、イギリス王室の皇太子は「プリンス・オブ・ウェールズ」を名乗ることに)
- スコットランドは、1707年にイングランドとの連合条約が成立して、独自の議会が消滅。以後、「グレートブリテン連合王国」の一部に。
- アイルランドは、たびたびイングランドの侵攻を受け占領・支配と反乱を繰り返してきたが、最終的には、1801年にアイルランド議会が廃止されて、「連合王国」に完全併合された(「グレートブリテンおよびアイルランド連合王国」の成立)。
- アイルランドは、その後1922年に北アイルランドを除いて、英連邦内の自治共和国として独立し、1949年には英連邦を離脱して独立の共和国に。「連合王国」は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」に。
ということで、マルクスが生きていたのは「グレートブリテンおよびアイルランド連合王国」の時代。したがって、原注107にあるとおり、普通に「イングランド」といえば狭義のイングランド+ウェールズの地域を指している、ということになります。
もちろん、フランスやドイツに対してEnglandと言った場合には、「グレートブリテンおよびアイルランド連合王国」全体を指しているという可能性も考えられます。ただし、人口のうえでも経済的にも、ウェールズ、スコットランドに比べてイングランドの比重は圧倒的。したがって、イングランドでもって「連合王国」を代表させている、ということも十分考えられます。これがいちばん判断がつきにくく、困るところです。
また、マルクスが『資本論』で引いている資料のなかには、もともとイングランド限定の統計資料というものもあります。たとえば、国勢調査は「イングランドおよびウェールズの国勢調査」ですし、「戸籍本署長官報告書」もイングランド限定の統計です。
他方で、本源的蓄積などで、「17世紀のイングランド」などと出てきた場合は、連合条約前なのだから、当然、ここでいうイングランドは狭い意味でのイングランドを指していることになります。ウェールズを含むかどうかははっきりしませんが。
いずれにしても、問題は日本語をどうするかであって、英語やドイツ語の問題ではありません。逐語訳的にいえば、britischは「ブリテン」に、Vereinigtes Königreichは「連合王国」と訳すべきなのでしょうが、日本での「イギリス」という言葉の使われ方からすると、Vereinigtes Königreichあるいはbritischこそ「イギリス」と訳し、Englandやenglischは全部「イングランド」と訳すのが、いちばん合っているように思います(もちろん、島を指して「ブリテン」という場合は別)。
ちなみに、オリンピックのイギリス・チームのユニフォームには「グレートブリテン」と書かれていますね。^^;