です・ます調『資本論』

ちょっと思いつきで、『資本論』をです・ます調で訳してみました。やってみると、ただ文末を「です」「ます」に置き換えたというだけではなく、全体がなんだかソフトになったような気がして、文章そのものもそれに相応しく平易にしなければなりません。長い、くだくだしい、いかにも翻訳文といった感じの文章から脱却するのには、ちょうどいいかも知れません。^^;

  • 資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、「商品の巨大な山」であり、一つ一つの商品はその要素形態です。だから、私たちの研究は商品の分析から始まります。 posted at 23:04:47
  • とりあえず商品は外部にある対象物、一つの物です。それは、その性質によって、何らかの種類の人間の欲求を満足させます。そのことは、この欲求が、胃から生まれるかファンタジーから生まれるかで変わったりしません。 posted at 23:15:15
  • いまは、その物が、人間の欲求を直接生活手段として、つまり享受の対象として満足させるか、回り道をして、生産手段として満足させるかということも関係ありません。 posted at 23:19:06
  • 鉄、紙等々のように役に立つ物はどれも、質の面からと量の面からという二重の視点のもとで取り上げなければなりません。そんな物はいろんな性質の総体です。だから、いろんな面で役に立つでしょう。 posted at 23:28:38
  • その役に立ついろいろな面を、したがってその物の多彩な使い道を見つけることは歴史的な所業です。役に立つ物の量をはかる社会的な物差しを見つけることもそうです。 posted at 23:34:15
  • いろんな商品の物差しがあるのは、一つにははかるべき対象がいろんな性質を持っているからであり、また一つには習慣によるものです。 posted at 23:37:23
  • 物のもつ有用性はその物を使用価値にします。しかし、この有用性は空中に浮いている訳ではありません。物の有用性は商品体の性質に条件づけられているので、商品体なしには存在しません。だから、鉄、小麦、ダイヤモンド等々といった商品体そのものが使用価値あるいは財なのです。 posted at 20:39:25
  • 商品のこの性質は、人間がその商品の使用属性を手に入れるのにかかる労働が多いか少ないかということとは関係ありません。使用価値を取り上げる場合は、いつもその量的規定が前提になっています。たとえば1ダースの時計、1エレの亜麻布、1トンの鉄、等々というようにです。 posted at 20:52:15
  • 商品の使用価値は、独自な学科である商品学に素材を提供します。使用価値は、使うことで、あるいは消費することで実現されます。富の社会的形態がなんであれ、使用価値は富の素材的内容を構成します。私たちが取り上げるべき社会にあっては、それは同時に交換価値の素材的担い手になります。 posted at 21:06:28
  • 使用価値は、とりあえず、ある種の使用価値が他の種類の使用価値と交換される量的関係、比率のことです。それは、時間や場所によって絶えず変動する関係です。だから、交換価値は、何か偶然的なもの、純粋に相対的なもののように見えます。 posted at 23:14:27
  • したがって、商品に内的な、内在する交換価値(固有価値)というのは形容矛盾のように思われます。 posted at 23:15:00
  • 何らかの商品、例えば1クオーターの小麦は、x量の靴墨、y量の絹、z量の金、等々と交換されます。要するに、他の商品といろんな比率で交換されるわけです。だから、小麦は唯一の交換価値ではなく、多種多彩な交換価値を持っているのです。 posted at 23:23:13
  • しかし、x量の靴墨もy量の絹もz量の金もみんな1クオーターの小麦の交換価値なのだから、x量の靴墨、y量の絹、z量の金は相互に置き換え可能な、互いに等しい大きさの交換価値であるはずです。 posted at 23:27:33
  • だから、このことから次のような結論が出てきます。第1に、同じ商品の有効な交換価値は1つの同等物を表しているということ。そして、第2に、およそ交換価値は、それとは区別されるある内実の表現様式、「現象形態」にほかならないのではないか、ということです。 posted at 23:39:52

こっちは、第24章の「否定の否定」のくだり。

  • 資本主義的生産様式から生まれる資本主義的領有、つまり資本主義的な私的所有は、個々人の、自分の労働に基づいた私的所有の最初の否定です。しかし資本主義的生産は、自然過程の必然性でもって自分自身の否定を生み出します。これは否定の否定です。 posted at 23:52:52
  • それは私的所有を復活させません。しかし、資本主義時代の成果を基礎として、その上に個々人の所有を再建します。資本主義時代の成果というのは、協業、および土地と労働そのものによって生産された生産手段との共同所有のことです。 posted at 00:02:02

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