宇都宮候補「次点」の意味は?

「毎日新聞」3月1日付

「毎日新聞」3月1日付朝刊の「メディア時評」欄で、京都大学の王寺賢太准教授が「都知事選『宇都宮氏次点』の意味は」という論評を書かれている。

メディア各紙は、都知事選の当選者が決まったあとも、舛添→細川→宇都宮の各候補者の順で報道していた。宇都宮氏が細川氏に勝つはずがないというメディアの「決めつけ」、そして「候補者一本化」をあおったメディアの姿勢がそのまま紙面作りに出てしまったわけだ。

しかし、そもそも宇都宮さんが95万票を獲得して、次点になったことにはどういう意味があるのか。ただ、両首相に勝って溜飲を下げたなどというせこい話でないことは明らかだが、これまで論壇やメディアでそのことを論じたものはほとんどなかった。

しかし王寺氏は、それを正面から取り上げ、次のような点を指摘されている。

まず第1に、王寺氏は、舛添・細川両氏の公約が「原発の部分を黒塗りすれば、見分けがつかない」という毎日新聞の記事を引いて、そうであった以上、「『単一争点』での候補者一本化は、いかなる脱原発といかなる都政を求めるかの議諭を封じるものでしかない」と批判されている。

第2に、さらに王寺氏は、「政府の国家戦略特区政策を推進する舛添・細川両氏と、低賃金労働者の待遇改善や公的福祉拡充を求める宇都宮氏の違いは明確だった」ことを確認し、宇都宮支持者が「その違いを重視した」ことを指摘される。

第3に、さらに氏は、この宇都宮支持は「単なる55年体制下の『革新』への回帰ではない」と指摘し、その背景には「細川政権を生んだ『新党ブーム』以来、小泉政権を経て、民主党政権までの『リベラル』諸派への批判」「論壇などで大々的にメディァや文化人を動員し、絶えず『改革』を呼号しながら進んできた、この20年の政治への批判」があると指摘される。

メディアで大きく取り上げられれば勝てるんじゃないか。そういう「風頼み」ではなく、原発ゼロ、労働者の待遇改善や福祉充実という政策を語って支持を広げて、それで獲得した95万票にはそういう意味があるのだ。そこに僕たちも確信を持ちたい。

[メディア時評]都知事選「宇都宮氏次点」の意味は

王寺賢太・京都大准教授(社会思想史)

 「都知事に舛添氏『脱原発』細川氏惨敗」(毎日)。2月10日、朝刊各紙は、自民・公明両党が支援した舛添要一氏が「原発ゼロ」を掲げた細川護煕氏に大差をつけ当選したと一斉に報じた。小泉純一郎元首相に支援された細川氏は原発間題を争点に安倍政権批判を打ち出していただけに、各紙はこぞって、小泉流の「単一争点」選挙の失敗や、現政権の原発再稼働路線のとりあえずの承認を語ることにもなった。
 この選挙については、極右的な立場をとる田母神俊雄氏への一定の支持(朝日11日、日経16日)や、ネット選挙の影響(朝日12日、毎日15日)も話題になっている。けれども一連の報道でほとんど語られていないように見える点がある。私が気になるのは、宇都宮健児氏(共産・社民推薦)が細川氏をしのいで次点になった意味だ。
 選挙中、脱原発派の一部には、宇都宮氏に立候補を取り下げさせ、脱原発派候補を細川氏に一本化しようとする動きがあった。「細川なら勝てる」という判断だろう。その判断は見事に裏切られたわけだ。そもそも、舛添・細川両氏の公約が「原発の部分を黒塗りすれば、見分けがつかない」(都幹部の話、毎日11日)ものだった以上、「単一争点」での候補者一本化は、いかなる脱原発といかなる都政を求めるかの議諭を封じるものでしかない。実際、有権者の主要な関心事とされる雇用・福祉間題を見ても、政府の国家戦略特区政策を推進する舛添・細川両氏と、低賃金労働者の待遇改善や公的福祉拡充を求める宇都宮氏の違いは明確だった。
 宇都宮支持者はその違いを重視した。単なる55年体制下の「革新」への回帰ではない。この支持の背景には、細川政権を生んだ「新党ブーム」以来、小泉政権を経て、民主党政権までの「リベラル」諸派への批判があると思われるからだ。論壇などで大々的にメディァや文化人を動員し、絶えず「改革」を呼号しながら進んできた、この20年の政治への批判である。
 たしかに舛添・宇都宮両氏にとっては、支援する政党の下部組織が重要な支えとなったにちがいない。しかしいずれにせよ、政治的対立をメディア上の操作だけで生み出すことなどできないのだ。下からの運動や組織の支えを持たない「政界再編」など所詮むなしい。さまざまなメディアが、自らのこの限界に謙虚に、現に形をとりつつある政治的対立には敏感であることを私は望みたい。(大阪本社発行紙面を基に論評)

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