福島第1原発事故>ベント後に高い放射線が計測されていた

福島第1原発の事故で、水素爆発が起こる前に、原発から5.6kmの地点で1時間あたり4.6ミリシーベルトという高い放射線量を計測していたことが明らかになったという。原因はその前に実施したベントとみられ、水を通すから放射性物質は取り除かれるはずだという設計がそのようには機能しなかった可能性が出てきた。

ベント装置の設置は、福島第1原発の事故をうけて、原子力規制委員会がつくった新しい規制基準で、過酷事故対策の1つとして義務づけられている。しかし、ベントによって放射性物質が大量に放出されるのであれば、周辺住民にとっては重大問題だ。

なぜこのデータがこれまで明らかにされてこなかったのかという疑問は残るが、事故当日、いったい何が起こっていたのか、徹底的に解明してもらいたい。

原発事故 克明な放射線量データ判明 NHKニュース

原発事故 克明な放射線量データ判明

[NHKニュース 3月11日 19時32分]

 東京電力福島第一原子力発電所の敷地の外にある観測点で、事故直後の詳細な放射線量のデータが記録され、震災発生の翌日、1号機が水素爆発する1時間以上前から、数値が急上昇する様子を克明にとらえていたことが分かりました。3年がたって初めて明らかになったデータで、専門家は「放射性物質放出の真相を検証するうえで、非常に重要だ」と話しています。
 放射線量の詳細なデータが記録されていたのは、福島第一原発の周辺に設置された福島県が管理するモニタリングポストです。その14か所で、事故後数日の20秒ごとの放射線量の値が記録されていたことが、NHKの取材で分かりました。
 このうち、福島第一原発の北西5.6キロにある双葉町上羽鳥のモニタリングポストでは、震災発生の翌日(3月12日)の午後2時10分以降、放射線量が急上昇していました。午後2時40分40秒には、1時間当たり4.6ミリシーベルトと、午後3時36分に起きた1号機の水素爆発のおよそ1時間前にこの日の最大の値を記録しました。データの推移から、最大値を記録した前後およそ20分で、積算の被ばく線量が一般人の年間の被ばく限度の1ミリシーベルトに達するとみられます。
 放射性物質の拡散に詳しい日本原子力研究開発機構の茅野政道部門長は、WSPEEDIと呼ばれるコンピューターシミュレーションで、今回のデータと当時の風向きなどを分析しました。その結果、午後2時ごろから1号機で行われたベントと呼ばれる緊急の作業が影響したとみています。
 ベントは、格納容器が壊れないよう高まった圧力を下げるため、放射性物質を含む気体を放出します。途中、水の中に通すことで、放射性セシウムなどの放出量を1000分の1程度に抑えるとされていましたが、今回のデータから、それほどの効果は得られず、かなりの量が出たとみられます。
 茅野部門長は、「放射性物質の放出の真相を検証するうえで、非常に重要なデータだ。ベントでどういうことが起きるかや、どれくらいの効果があるかを検証しなければならない。多くの研究者が3年たった今も事故の解析をしているので、思わぬところで新たな発見がある可能性もあり、できるだけ多くのデータが欲しい」と話しています。

埋もれたデータはほかにも?

 福島県によりますと、事故直後の詳しい放射線量のデータは電源が失われるまで自動観測が行われたモニタリングポストのメモリーに記録されていました。公開するには、データを変換し、時系列が分かるように取りまとめる必要があります。しかし、事故のあとは停電で、各地の放射線量は職員が回って計測しなければならず、集めた毎日のデータを住民に提供するのが精いっぱいだったということです。このため、メモリーに記録された事故直後のデータまで手が回らず、これまでは1時間ごとの値をおととし9月に公表するにとどまっていました。
 事故後の混乱で埋もれたデータはほかにもあると考えられ、十分な検証のためにも、早急な掘り起こしが必要です。

「放出量はチェルノブイリ原発事故の17%余」

 東京電力福島第一原子力発電所の事故で、原発から外部に放出された放射性物質の量について、東京電力は、チェルノブイリ原発事故の17%余りで、大半は閉じ込め機能を失った格納容器から直接放出されたと分析しています。
 東京電力は、コンピューターによる解析や原発の周辺で計測された放射線量のデータなどから、震災発生の翌日の3月12日から3月末までに放出された放射性物質の量を試算し、おととし5月に公表しました。それによりますと、ヨウ素131とセシウム137の放出は合わせて90京ベクレルで、チェルノブイリ原発事故の520京ベクレルの17%余りとなっています。「京」は1兆の1万倍です。
 当時の原子力安全委員会が公表した57京ベクレル、当時の原子力安全・保安院が公表した77京ベクレルより多くなっています。
 放出量の推移と事故の経過から、どのように放出されたかを分析したところ、建屋の水素爆発に伴う放出は合わせて0.5京ベクレル、ベントに伴う放出は0.1京ベクレルで、大半は閉じ込め機能を失った格納容器から直接放出されたとみています。1号機から3号機の格納容器はメルトダウンによって内部の温度や圧力が高まり、継ぎ目や配管の貫通部などが壊れたとみられています。各号機ごとでは、2号機と3号機がそれぞれ全体の4割、1号機が残りの2割で、4号機からの放出はなかったとしています。
 時系列では、3月16日午前10時からの3時間に3号機から18京ベクレルと、最も多くの放射性物質が放出され、3月15日には冷却やベントの対応が遅れ、メルトダウンが進んだとみられる2号機から同じく18京ベクレルが放出されたとしています。平成23年4月以降は放出量は大幅に少なくなり、先月の放射性セシウムの放出量は、1時間当たり1000万ベクレルと発表しています。
 海に放出された放射性物質の量については、海水中の濃度などからデータのある平成23年3月下旬から半年間で15京ベクレルと推定しています。

なお、この問題は3月16日のNHKスペシャルで取り上げられるようだ。

NHKスペシャル|メルトダウン File4放射能”大量放出”の真相(仮)

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