切れるのは経糸か綜絖か

『資本論』第3部第6章第3節(新日本出版社上製版223-224ページ、MEW S.140)に、粗悪な綿を固く糊づけした糸を使うために「綜絖のなかの糸が絶えず切れる」という話がでてくる。

この「綜絖のなかの糸」は経糸ではなく、綜絖を構成する糸のことではないかと、以前このブログに書いたことがあるが、あらためてマルクスがもとにした「工場監督官報告書」(1863年10月)を読み返してみると、どうも僕の推測は間違っていたようだ。

工場監督官報告書の43ページには、こう書かれている。

… the hard state of the warp causes the threads of the heald to break frequently; and it is said to tale a weaver five minutes to tie up the thereads every time they break; and weaver has to piece these ends at least ten times as often as formerly, …

直訳すると、

経糸(warp)の固い状態が原因となって、綜絖の糸(the threads of the heald)がしばしば切断される。そして織布工には、それが切断する度にその糸(the threads)をつなぎ合わせるのに5分かかる。そして、織布工は、以前に比べて10倍の頻度で、これらのendsをつなぎ合わせなければならない…。

前半の部分では、「綜絖の糸」が切断され、その「糸」を直すのに5分かかると書かれている。ここを読むと、切れるのは経糸ではなく、経糸を通す綜絖の糸だという解釈になる。

ところが後半ではendsをつなぎ直すとでてくるが、このendsがくせ者。切れた糸の「端」という意味かも知れないが、辞書を引くとendには「経糸」という意味もある。そうだとすると、切れた経糸を繋ぎ直すということになる。

だから、この部分で切れるのが経糸なのか綜絖の糸なのかは、再びどちらかはっきりしない状態に戻ってしまった。

関連項目
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