この間、資本論について呟いたものをまとめて貼り付けておきます。
- MEW395頁注93、オランダ1万2千台の風車の総馬力が6千馬力となっているが、これは6万馬力が正しい。資本論は初版以来すべて6千になっているが、叙述のもとにした『諸国民の産業』252-253ページは6万馬力。『資本論草稿集』(9)155頁上段に引用あり。 #資本論 posted at 08:29:22
- MEW451頁注194、オランダでバントミューレが初めて使用された年は初版以来1629年になっているが、1621年が正しい。1625年に禁止令が出ているのだから1629年では辻褄が合わない。ベックマンが1621年と書いている。 #資本論 posted at 08:35:31
ベックマンの記述は岩波文庫『西洋事物起源』を参照のこと。
- マルクスは資本論で、景気の過熱局面で賃金が高騰し資本は利潤を生まなくなる、それがきっかけとなって恐慌局面へと転換すると説明し、それを資本の絶対的過剰と呼んだ。しかし景気の過熱局面では物価騰貴が生じ、貨幣賃金は上昇しても実質賃金は下落するのではないか?それが置塩氏の批判。 #資本論 posted at 10:51:43
- それに対して利潤率低下法則を盲信する人たちは、マルクスはこう言っているではないかと反論するが、問題はマルクスの言っているようなことが実際に起こっているのかどうか。これは実証の問題。 #資本論 posted at 11:55:26
- 「商品たる労働力が売り物であることが特徴的であるのではなく、労働力が商品として現われることが特徴的なのである」(資本論第2部第1章、MEW S.36)とはどういう意味か? #資本論 posted at 16:11:55
- 複雑労働の単純労働への還元問題を重大に考え過ぎる人たちは、資本論第1部第5章注(18)のマルクスの論述をよく考えてみてほしい。マニュファクチュアがつくり出した等級制や熟練労働・不熟練労働の区別は機械制大工業の発達につれて意義を失うというのがマルクスの基本的見地。 #資本論 posted at 11:24:34
- もちろん現実にはどんな「単純労働」にも「熟練」は存在する。そして資本家たちがその「熟練労働」が失われるとなると大騒ぎすることもマルクスは指摘している。しかし、そういう区別の大部分は「幻想」か「伝統」によるもので、現実には偶然的なものでしかないというのがマルクスの立場。 #資本論 posted at 11:26:32
- 新日本出版社の資本論、新書版(8)57頁(第3部第1章)6行目「資本の価格」は「資本の価値」が正しい。上製版でも直っていない。基本カテゴリーのこういう誤植はやめてほしい。 #資本論 posted at 18:38:29
- 資本論第1部の機械論のところは、資本論草稿集の関連する部分と合わせて読んだほうが絶対によく分かると思う。引用も資本論ではかなり絞り込んでいるけど、草稿集ではとりあえずだあっと引用してあって、原著の言いたいことがよく分かるし、マルクスが機械の何に注目したかもわかりやすい。 #資本論 posted at 18:24:03
- 問題は関連部分をどうやって探すか。資本論の引用出典を使って、草稿集で同じ文献がどこに引用されているかを探すのが一番。ただし手間がかかって面倒。 #資本論 posted at 18:26:56
- 資本論第3部第6章第2節、ヴェルケ124ページに(リカード)とあるが、マルクスが『課税の原理』のどこを念頭に置いていたか。MEWには『原理』第2章とでてくるが、2章にはそれらしい叙述が見当たらない。 #資本論 posted at 21:55:59
- で、インタナショナルパブリッシャー版をいたら、編集注で『原理』第3版の第6章、123〜124ページとあった。MEGAではII/15は注解で『原理』2章を見よと指示しているが、草稿を収めたII/4.2は『原理』124ページを見よと書いてある。 #資本論 posted at 22:01:09
- マルクスは、農業の場合は生産物の価格が騰貴すると資本の価値も増大するとして、リカードを挙げている。しかし困ったことに、『原理』3版の123〜124頁を見ても、マルクスが論じているような問題が書かれていない。もちろん第2章にもそんな話は出てこない。 #資本論 posted at 22:03:04
- で、『原理』2章と6章を走り読みしてみたら、岩波文庫、上、167頁に、そのものずばりの文章がでてきた。第6章だけど、第3版でいうと116頁。つまりMEWの編集注も外れてるけど、MEGA II/4.2の注解も外れてる、ということ。 #資本論 posted at 22:05:18
- しかし僕が走り読みしてすぐに見つかるようなところが、なんでこれまで見つからなかったのか?不思議でならない。いままで誰も本気で調べたことがないのだろうか? 謎。 #資本論 posted at 22:06:50
- 資本論第3部、新日本新書(8)232頁後ろから3行目に出てくるヘンダースン氏の肩書き。独文では当該箇所で何委員会議長か書かれていないが、工場監督官報告書1862年10月の28頁にブラックバーン中央救貧委員会のメンバーと出てくる。議長かどうかは不明。 #資本論 posted at 10:16:48
- 工場監督官報告書1863年10月の91頁には、ヘンダースン氏はブラックバーン労働委員会議長と紹介されている。労働委員会が何なのか不明だが、公共事業法に基づいて受救貧民を戸外労働させたものらしい。 #資本論 posted at 10:22:43
- 工場監督官報告書を見ていたら、件のヘンダースン氏のことを「ブラックバーン市の工場副監督官のレジデント」と書いていた!工場副監督官のレジデントってなに?わからんよ〜! #資本論 posted at 19:46:48
- @GAKU_IZ これ間違ってるかもしれない。工場監督官報告書をさらに読むと、「少なくともかつての10倍の頻度で縦糸をつなぎ合わせなければならない」という記述が出てきた。これだと切れるのは明らかに縦糸。うむむ、困った…。 #資本論 posted at 13:15:44
- 新日本出版社『資本論』新書版(7)700頁10行目「大部門Iに支出された3分の2」に〔6,000〕の訳注がついているが、これは間違い。年労働は全部で3000、その3分の2がIv+Imの2000になるという話。上製版ではこの訳注は削除されている。 #資本論 posted at 19:57:35
- 資本論第3部第9章、MEW170頁、新日本新書(9)278頁2行目の「費用価格マイナスP」の「P」は「p」が正しいのではないか。Pでは計算が合わない。草稿では小文字の「p」になっている(II/4.2 236.29)。邦訳もすべてPだが、宮川訳だけpと訳し替えている。 #資本論 posted at 21:52:30
- ちょっと計算すればPでは計算が合わないことはすぐ分かりそうなものなのだが、カウツキー版でもアドラツキー版でもMEWでもなんの指摘もない。ロシア語版もPのまま。調べた限りでは、この点に気づいているのは宮川訳だけ。不思議だ。 #資本論 posted at 21:55:53
- 資本論第3部第9章、新日本新書(9)287頁に「労働の搾取度を不変と仮定すれば、この場合に利潤率が変動しうるのは、剰余価値の量が変わらなければ、不変資本の価値が変動するか、可変資本の価値が変動するか、または両方が変動するかして…」とあるが、労働の搾取度不変の仮定のもとで(続 #資本論 posted at 22:09:50
- 剰余価値の量が変わらなければ、可変資本も変わっていないはず。搾取度不変であれば、可変資本が増えれば剰余価値量も増える。そのあとの議論と合わせて考えると、「剰余価値の量が変わらなければ」という条件をつけ加えたのは恐らくマルクスの思い違いだろう。 #資本論 posted at 22:09:52
- 資本論第3部第9章、新日本新書(9)291頁最終行「恒常性」に訳注が付いていて「初版以来『中断性』となっていた」と指摘されている。しかし「初版以来」とあるが、カウツキー版、アドラツキー版、MEWは「非中断性」となっている。「中断性」では明らかに意味が通じない。 #資本論 posted at 22:17:13
- だから、カウツキー版以来、この「中断性」Unterbrochenheitは「非中断性」Ununterbrochenheitに訂正されてきた。しかし、この訳注にあるように、マルクスの草稿では「恒常性」Beständigkeitと書かれている(II/4.2 246.7)。 #資本論 posted at 22:17:14
- 「中断性」Unterbrochenheitでは意味が通じないので訂正したのは正しいが、Ununterbrochenheitに訂正する根拠がない。新日本版が草稿にもとづいて「恒常性」と訂正したのは見識ある措置。 #資本論 posted at 22:20:25
- マルクスが想定している市場は、需要が非常に大きくて、買い手の間に競争が働き、市場に出された商品は買い手の間の競争によって価格が決まり、すべて売り切れる。そんな市場。(第3部第10章、MEW194頁) #資本論 posted at 18:57:44
- マルクスは、利潤率の低下を賃金率の上昇から説明するのは馬鹿げている、とも言っている。例外的にはそういうことはありうるとは言っているが。資本論第3部第14章 MEW S.250 #資本論 posted at 15:36:29
- 恐慌局面への転換を資本の絶対的過剰から説明する人は、マルクスのこの指摘を何と考えるのだろうか?もちろんマルクス自身、例外的にはありうると言っているが、そういう例外的事態が常に景気の転換にさいして起こるというのはいかがなものか。 #資本論 posted at 15:39:37
- マルクスは「資本主義的生産を目的とする追加資本がゼロになれば、資本の絶対的過剰生産が存在する」(第3部第15章、MEW25 S.261)と言っているが、「資本主義的生産を目的とする追加資本がゼロになる」とは一体どういう意味なのだろう?よくわからない。 #資本論 posted at 16:33:10
- 原文→sobald das zusätzliche Kapital für den Zweck der kapitalistischen Produktion = 0 これを先ほどのように訳すのが正しいのかどうかもよくわからない。 #資本論 posted at 16:34:36
- 「資本主義的生産という目的にとって、追加資本=ゼロになれば」という意味なのではないかという気がするのだが、果たしてそうなのかどうなのかもよくわからない。 #資本論 posted at 16:35:37
- MEW25 284.9、obgleichの直後に出てくるderselbe Aktは何を指しているのか?新日本新書(9)464頁14行目、国民文庫(6)446頁11行目、岩波文庫(6)430頁4行目の「この同じ行為」とは、何のどの行為なのか? #資本論 posted at 10:06:10
- 『資本論』新日本上製版Ia420頁に「フランス語版ては「ピアスン」となっている」という訳注が付いているが、これは間違い。独語初版〜第四版もピアスンとなっている。児童労働調査委員会の報告書はパースンズであり、英語版でパースンズと訂正された。 #資本論 posted at 22:45:34
- また『資本論』新日本上製版422頁に出てくる「アプスデン」という名前は正しくは「アスプデン」。資本論ではずっとApsdenとなっていたが、ヴエルケ版でAspdenと訂正された。かれも児童労働調査委員会報告書でAspdenと書かれている。 #資本論 posted at 22:48:37
- #資本論 MEW S.538の注8だが、マルクスがカッコの中で「市民の権利と義務のように見える」と言っているのは「〜しなければならない」doitというプルードンの言い方ではないか。どうやって超過分が生まれるかが問題な時に「ねばならない」と言っても仕方ないとプルードンを皮肉っている posted at 23:04:43