櫻井良樹『華北駐屯軍』

櫻井良樹『華北駐屯軍』岩波現代全書

櫻井良樹『華北駐屯軍』岩波現代全書

櫻井良樹氏の新著『華北駐屯軍 義和団から盧溝橋への道』(岩波現代全書、2015年9月刊)を読了。盧溝橋事件(1937年)の発端となった華北駐屯軍の歴史を、義和団事件での北京議定書による創設から盧溝橋事件発生までを丹念に追いかけた本で、日本側の資料だけでなく、アメリカやイギリスの関連資料や中国側の資料なども掘り起こして、華北駐屯軍の当初の位置づけ、とくに「列強の行動を規制する側面」を明らかにした点や、その後の第2次山東出兵やとくに「満州事変」後の変質を丁寧にあとづけ、豊台に日本軍が駐屯していたことが決して北京議定書に照らして当然の事態でなかったことを明確にしたことは本書の貴重な成果といえる。

華北駐屯軍は、1900年に起こった義和団事件を受けた北京最終議定書(1901年)にもとづいて創設されたものだが、もともと北京最終議定書には日本、イギリス、アメリカ、フランス、ロシア、ドイツ、イタリア、オーストリア、ベルギー、スペイン、オランダの11か国が調印しており、「駐屯軍は、列強の中国大陸における行動を規制する側面をもった国際協定でもあった」ことに著者は注目している。また、日露戦争後や辛亥革命の終息後に日本政府が率先して減兵したことも明らかにされている。

それが1922年の第1次奉直戦争あたりから怪しくなり、1927年の駐屯軍編制改正で2個中隊増加がおこなわれ、さらに第2次山東出兵で駐屯軍の山東派遣が行われるなど、北京最終議定書にもとづく列強の共同行動から離れる動きが出てくる。そして1931年に起きた「満州事変」後、駐屯軍が華北分離工作の「主役」となり、同時期に大増強され、2個連隊が永駐するようになる。そのさいに、のちに盧溝橋事件(1937年7月)の舞台となる豊台に駐屯することとなった(豊台は北京最終議定書で列強の駐屯が認められた場所ではなかった)。そして、豊台の近くには、もともと中国・宋哲元の第29軍が駐屯しており、豊台駐屯を始めた1936年からしばしばいざこざが起こっていたという。

こういう経過をあらためてふり返ると、豊台に日本軍が駐屯していたことを「北京議定書で認められた駐屯で何の問題もない」とはとても言えないことがよくわかる。「歴史修正主義」の主張に何の根拠もないことを、丹念に資料を掘り起こして、実証的に明らかにした貴重な研究といえる。

【書誌情報】
著者:櫻井良樹(さくらい・りょうじゅ)/麗澤大学外国語学部教授
書名:華北駐屯日本軍――義和団から盧溝橋への道
出版社:岩波書店(岩波現代全書74)
発行:2015年9月18日
定価:本体2,500円+税
ISBN978-4-00-029174-3

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